和田賢助
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和田 賢助(わだ けんすけ、1861年11月30日(文久元年10月28日) - 1939年 (昭和14年)10月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将[1]。鹿児島県出身[1]。
人物
[編集]海軍兵学校(8期)、海軍大学校(甲号5期) 、海軍砲術練習所の各学生を経て、1894年(明治27年)筑紫分隊長に補される。累進して海軍中佐となり愛宕 、葛城 等の艦長を務め、1902年(明治35年)には海軍大佐となり、金剛 、和泉 、須磨 、浪速 、見島 、常磐 、敷島 の各艦長を歴任した。1908年(明治41年)海軍少将に任官、横須賀海軍工廠工廠長となる。その後は、佐世保鎮守府予備艦隊司令官や横須賀鎮守府参謀長などを経て1913年(大正2年)5月31日、海軍中将に昇進したが同日付けで予備役編入となった。
経歴
[編集]- 1881年(明治14年)9月15日– 海軍兵学校(8期) 卒業[1]。
- 1893年(明治26年)12月19日– 海軍大学校(甲号5期) 卒業[1]、海軍砲術練習所学生[2]
- 1894年(明治27年)4月20日 – 海軍砲術練習所学生 被免、補 筑紫 分隊長[3]
- 1897年(明治30年)12月1日 – 補 横須賀海兵団副長[4]
- 1900年(明治33年)
- 1901年(明治34年)10月4日- 葛城 艦長[7]
- 1902年(明治35年)
- 1903年(明治36年)
- 1905年(明治38年)
- 1906年(明治39年)11月22日 – 敷島 艦長[1][12]
- 1907年(明治40年)11月22日 – 免本職、横須賀海軍工廠艤装委員ヲ命ズ[13]
- 1908年(明治41年)
- 1910年(明治43年)4月9日 – 舞鶴鎮守府参謀長[1][16]
- 1911年(明治44年)12月1日 – 佐世保鎮守府予備艦隊司令官[1][17]
- 1912年(明治45年)7月9日 – 横須賀鎮守府参謀長[1][18]
- 1913年(大正2年)5月31日 – 任 海軍中将・予備役編入[1][19]
栄典・授章・授賞
[編集]- 1885年(明治18年)9月16日 - 正八位[20]
- 1890年(明治23年)1月17日 - 従七位[21]
- 1891年(明治24年)12月16日 - 正七位[22]
- 1898年(明治31年)3月8日 - 正六位[23]
- 1902年(明治35年)12月25日 - 従五位[24]
- 1908年(明治41年)1月31日 - 正五位[25]
- 1913年(大正2年)
- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『帝国海軍将官総覧』147頁
- ^ 『官報』第3144号「叙任及辞令」1893年12月20日。
- ^ 『官報』第3241号「叙任及辞令」1894年4月23日。
- ^ 『官報』第4327号「叙任及辞令」1897年12月2日。
- ^ 『官報』第5152号「叙任及辞令」1900年9月3日。
- ^ 『官報』第5231号「叙任及辞令」1900年12月7日。
- ^ 『官報』第5479号「叙任及辞令」1901年10月5日。
- ^ 『官報』第5779号「叙任及辞令」1902年10月7日。
- ^ 『官報』第5793号「叙任及辞令」1902年10月24日。
- ^ 『官報』第5931号「叙任及辞令」1903年4月14日。
- ^ 『官報』第6089号「叙任及辞令」1903年10月16日。
- ^ 『官報』第7022号「叙任及辞令」1906年11月24日。
- ^ 『官報』第7231号「叙任及辞令」1907年8月6日。
- ^ 『官報』第7393号「叙任及辞令」1908年2月21日。
- ^ 『官報』第7554号「叙任及辞令」1908年8月29日。
- ^ 『官報』第8037号「叙任及辞令」1910年4月11日。
- ^ 『官報』第8536号「叙任及辞令」1911年12月2日。
- ^ 『官報』第8717号「叙任及辞令」1912年7月10日。
- ^ 『官報』第251号「叙任及辞令」1913年6月2日。
- ^ 『官報』第709号「叙任」1885年11月10日。
- ^ 『官報』第1970号「叙任及辞令」1890年1月25日。
- ^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
- ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
- ^ 『官報』第5846号「叙任及辞令」1902年12月26日。
- ^ 『官報』第7377号「叙任及辞令」1908年2月1日。
- ^ 『官報』第167号「叙任及辞令」1913年2月21日。
- ^ 『官報』第311号「叙任及辞令」1913年8月12日。
- ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
- ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
参考文献
[編集]- 『官報』
- 『帝国海軍将官総覧』太平洋戦争研究会