和田雄二 (競馬)
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和田雄二 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県鹿屋市[1] |
生年月日 | 1969年8月14日(55歳)[2] |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
初免許年 | 2013年[2] |
経歴 | |
所属 |
保田隆芳/厩務員(1995.4 - 1996.3) 吉永正人/厩務員・調教助手(1996.4 - 2006.8) 松山康久/調教助手(2006.9 - 2006.11) 武市康男/調教助手(2006.12 - 2007.6) 中野栄治/調教助手(2007.7 - 開業) 美浦T.C(開業 - )[2] |
和田 雄二(わだ ゆうじ、1969年8月14日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。鹿児島県鹿屋市出身。
来歴
[編集]同郷の騎手である吉永正人(同郷には他に瀬戸口勉の他郷原洋行や梅内忍、現役騎手では幸英明らがいる)に憧れ、騎手になるため競馬学校を3度受験するも全て不合格となり、その後は調教師を目指すことになる[3]。鹿屋農業高校、日本大学農獣医学部畜産学科を卒業し1994年10月にJRA競馬学校厩務員課程に入学[1][2]。翌1995年4月に保田隆芳厩舎の厩務員となる。
1996年4月から憧れていた吉永正人厩舎で厩務員となり1997年6月から調教助手を務める[2]。
2006年9月11日に吉永が病死し厩舎解散となったため松山康久厩舎に移籍する。その後、武市康男厩舎、中野栄治厩舎と所属を渡り歩いた。
2013年に14回目の挑戦でJRA調教師免許試験に合格し、同年美浦トレセンで厩舎を開業した[3]。
2022年5月29日の東京1Rの勝利でJRA通算100勝を達成[4]。11月12日に行われたデイリー杯2歳ステークスでオールパルフェが勝利し、重賞初勝利となった[5]。
2023年4月22日美浦トレセンで調教コースへ向かう途中に脳梗塞を発症し落馬、一時意識不明の重体となった[6]。その後、意識が回復し一命を取り留め、自宅療養につとめた[7]。
調教師成績
[編集]概要
[編集]日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 2013年3月16日 | 2回中京3日2R | 3歳未勝利 | オクマンチョウジャ | 16頭 | 13 | 15着 |
初勝利 | 2013年7月20日 | 2回福島7日7R | 3歳未勝利 | ビバゴールデン | 16頭 | 5 | 1着 |
重賞初出走 | 2014年8月31日 | 2回新潟10日11R | 新潟2歳ステークス | ラミーロ | 18頭 | 17 | 16着 |
重賞初勝利 | 2022年11月12日 | 5回阪神3日11R | デイリー杯2歳ステークス | オールパルフェ | 10頭 | 3 | 1着 |
GI初出走 | 2014年12月14日 | 5回阪神4日11R | 阪神ジュベナイルフィリーズ | スマートプラネット | 18頭 | 13 | 6着 |
主な管理馬
[編集]- オールパルフェ(2022年デイリー杯2歳ステークス)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b 和田雄二 facebook
- ^ a b c d e 調教師名鑑. JRA. 2023年8月15日閲覧
- ^ a b “新規調教師免許合格者、美浦所属2名のインタビュー/美浦トレセンニュース”. netkeiba. 2023年8月15日閲覧。
- ^ “和田雄二師が通算100勝、現役148人目「感謝の気持ちでいっぱいです」/東京1R”. 日刊スポーツ. 2023年8月15日閲覧。
- ^ “競馬のデイリー杯2歳S、オールパルフェV 重賞初制覇”. 日本経済新聞. 2023年8月15日閲覧。
- ^ “病院搬送の和田雄二調教師が危険な状態脱する 調教コース向かう途中で落馬 脳梗塞の所見報告”. 日刊スポーツ. 2023年8月15日閲覧。
- ^ “和田雄二師 「少しずつやっていければ」復帰へ意欲 脳梗塞で療養中”. スポーツニッポン. 2023年8月15日閲覧。
- ^ “落馬で入院療養していた和田雄師が美浦トレセンで職場復帰”. netkeiba.com. 2023年8月15日閲覧。