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和訓栞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

和訓栞(わくんのしおり)は、近世から近代の国語辞書。江戸時代に編纂された。「和訓栞」の表記は題叢で、内題・版心から「倭訓栞」とも記する[1]谷川士清編、前編45巻34冊、中編30巻30冊、後編18巻18冊、全93巻82冊のち合冊。五十音順の配列、穏当な語釈、出典・用例などの整備から、日本初の近代的な国語辞書とされる。石川雅望の『雅言集覧』、太田全斎の『俚言集覧』とともに近世の三大国語辞書として並称されることがある。

和訓栞
倭訓栞
言語 日本語
類型 古辞書
編者・監修者 谷川士清
出版地 日本
最初の出版日 1778年 (246年前) (1778)1887年 (137年前) (1887)
バリエーション 谷川清逸筆写本
製版本
合冊
最新版の項目数 20897
派生辞書 井上頼圀小杉榲邨編『増補語林倭訓栞』
数量 ; 大きさ 93巻82冊
付録 大綱
印刷者 成美堂など
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沿革

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当初は、製版本として谷川士清の没翌年から1887(明治20)年までの百余年、数次にわたり刊行された。原稿完成当時のものとして、谷川士清の曾孫・清逸(すがはや)の筆写した清逸本『倭訓栞』が現存する。当初は一部の予定であったが、出版は難航し、三部構成に変更された。[2]

  • 1777(安永6)年、前編14冊出版。
  • 1805(文化2)年、前編10冊出版。士清の息子・士逸(ことはや)と賀茂季鷹の校訂。
  • 1830(文政13)年、前編10冊出版。孫の士行(ことつら)が資金を工面。
  • 1862(文久2)年、中編30冊出版。
  • 1887(明治20)年、後編18冊出版。野村秋足校訂。

1898(明治31)年に井上頼圀小杉榲邨が『増補語林倭訓栞』として後編を割愛して前編・中編を増補改正した。

内容

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首巻の「大綱」では漢字、仮名、方言など、国語に関して論ずるが、その所説は谷川士清の主著『日本書紀通證』と密接な関係にある。[3]前編(7496語)には古言・雅語、中編(9618語)に雅語、後編に方言・俗語・外来語(3783語)を収録する。[4]

配列

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『日本書紀通證』の「倭語通音」説に基づいて、見出し語を各編ごと仮名一字の語、二字の語、三字の語などそれぞれ別に、また第二音節までを五十音順にならべる。オ・ヲの所属が現在と異なる。

脚注

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  1. ^ 尾崎 1984, 2.
  2. ^ 吉丸雄哉「Chronicle of Mie 文学編 谷川士清と『倭訓栞』」『Wave Mie Univ.』2014年https://www.mie-u.ac.jp/report/wm/wm047_20_21.pdf2024年11月17日閲覧 
  3. ^ 尾崎 1984, 1.
  4. ^ 北岡 1977.

参考文献

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  • 尾崎知光 著「解説」、谷川士清 編『和訓栞:大綱』 121巻、勉誠社〈勉誠社文庫〉、1984年。 
  • 北岡四良 著、故北岡四良教授遺稿集刊行会 編『近世国学者の研究 : 谷川士清とその周辺』故北岡四良教授遺稿集刊行会、1977年。