国鉄ホキ7500形貨車
国鉄ホキ7500形貨車 | |
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ホキ7500形、ホキ7501 1993年2月13日、美濃赤坂駅 | |
基本情報 | |
車種 | ホッパ車 |
運用者 |
日本国有鉄道 日本貨物鉄道(JR貨物) |
所有者 |
小野田セメント 富士セメント→日鐵セメント 清水工業 |
製造所 | 日本車輌製造 |
製造年 | 1967年(昭和42年) - 1968年(昭和43年) |
製造数 | 22両 |
消滅 | 2003年(平成15年) |
常備駅 | 猿岩駅、東藤原駅他 |
主要諸元 | |
車体色 | 黒 |
専用種別 | セメント |
化成品分類番号 | なし |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 10,800 mm |
全幅 | 2,706 mm |
全高 | 3,820 mm |
ホッパ材質 | 普通鋼(一般構造用圧延鋼材) |
荷重 | 40 t |
実容積 | 34.2 m3 - 38.5 m3 |
自重 | 13.9 t |
換算両数 積車 | 5.5 |
換算両数 空車 | 1.4 |
台車 | TR41C |
車輪径 | 860 mm |
軸距 | 1,650 mm |
台車中心間距離 | 6,700 mm |
最高速度 | 75 km/h |
国鉄ホキ7500形貨車(こくてつホキ7500がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)及び1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍したホッパ車である。
概要
[編集]本形式はセメント輸送用として1967年(昭和42年)から1968年(昭和43年)にかけて日本車輌製造東京支店にて22両(ホキ7500 - ホキ7521)が製作された40t 積の私有貨車である。
落成当時の所有者は小野田セメント、富士セメントの2社のみであった。その後富士セメントは日鐵セメントに社名変更を行った。小野田セメント車は石蟹駅、小野田港駅、津久見駅、東藤原駅、黒崎港駅、赤崎駅、厚木駅、富士セメント車は東室蘭駅をそれぞれ常備駅として運用した。
1984年(昭和59年)10月12日に、小野田セメント所有車3両(ホキ7501、ホキ7508、ホキ7509)が清水工業へ名義変更され、常備駅を西濃鉄道市橋線の猿岩駅になった。
外観はホキ5700形とほぼ瓜二つであるが荷役方式が異なっていた。このためホッパ上部の配置に違いがある。荷役方式はエアスライド式のほかに電動縦型スクリューコンベアを備えたため、下出しに加え上出しも可能となった。この機能により取り出し設備の無い駅でも荷役が可能となったが、晩年にはセメントの集約化が進みこの機能も不要となり、撤去された車もある。
全長は10,800mm、全幅は2,706mm、全高は3,820mm、台車中心間距離は6,700mm、実容積は34.2m3 - 38.5m3、自重は13.9t、換算両数は積車5.5、空車1.4である。台車はベッテンドルフ式のTR41Cである。
1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化時には19両(ホキ7501 - ホキ7510、ホキ7513 - ホキ7521)の車籍がJR貨物に継承され、1995年(平成7年)度末時点では3両(ホキ7501、ホキ7508、ホキ7509)が現存していたが、2003年(平成15年)度に廃車となり同時に形式消滅となった。
年度別製造数
[編集]各年度による製造会社と両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)
- 昭和42年度 - 8両
- 日本車輌製造 8両 小野田セメント (ホキ7500 - ホキ7507)
- 昭和43年度 - 14両
- 日本車輌製造 3両 小野田セメント (ホキ7508 - ホキ7510)
- 日本車輌製造 2両 富士セメント (ホキ7511 - ホキ7512)
- 日本車輌製造 9両 小野田セメント (ホキ7513 - ホキ7521)
参考文献
[編集]- 鉄道公報
- 吉岡心平『プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑』(ネコ・パブリッシング、1997年)ISBN 978-4-7770-0583-3
- 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)
- 吉岡心平『RM LIBRARY 140 有蓋ホッパ車のすべて(上)』(ネコ・パブリッシング、2011年)ISBN 978-4-7770-5306-3
- 吉岡心平『RM LIBRARY 141 有蓋ホッパ車のすべて(下)』(ネコ・パブリッシング、2011年)ISBN 978-4-7770-5307-0