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国鉄419系・715系電車

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国鉄715系電車から転送)
国鉄583系電車 > 国鉄419系・715系電車
国鉄419系・715系電車
北陸本線で運用される419系電車
(2008年4月8日 敦賀駅
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道(715系)
西日本旅客鉄道(419系)
九州旅客鉄道(715系)
種車 581系・583系
改造所 国鉄小倉・松任・郡山・土崎・盛岡工場
改造年 1984年 - 1985年
改造数 419系: 45両
715系: 108両
運用終了 715系0番台: 1998年3月26日
715系1000番台: 1998年4月22日
419系: 2011年3月12日
主要諸元
編成 419系: 3両 (2M1T)
715系: 4両 (2M2T)
軌間 1,067 mm(狭軌
電気方式 419系:直流1,500V・交流20,000V (50/60Hz)
715系0番台:交流20,000V (60Hz)
715系1000番台:交流20,000V (50/60Hz)
最高運転速度 100 km/h
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 5.0 km/h/s
車両定員 クハ715形・クハ715形1000番台・クハ419形 70人(座席44人)
クハ714形・クハ418形 84人(座席54人)
クハ715形100番台・クハ715形1100番台・クモハ419形 110人(座席66人)
モハ715形 128人(座席76人)
モハ714形・モハ418形 118人(座席66人)
自重 715系0番台 34.9 -44.9 t
715系1000番台 34.7 - 45.7 t
419系 41.3 - 45.5 t  
全長 21,000 mm (クハネ581形改造車)
20,500 mm
全幅 2,950 mm
全高 4,245 mm (クハネ581形改造車)
4,235 mm
車体 普通鋼
台車 軸箱守(ウイングばね)方式空気バネ台車 DT32K形・TR69D形
主電動機 直流直巻電動機 MT54形
主電動機出力 120 kW
駆動方式 中空軸平行カルダン撓み板継手方式
歯車比 84:15 = 1:5.60
編成出力 120kW×8基 = 960kW
制御方式 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁制御
制御装置 CS15形
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ・勾配抑速ブレーキ
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419系・715系電車(419けい・715けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・改造した近郊形電車である。

種車は交流直流両用電車であったが、改造後に投入される線区に応じて、電源切替機能を交流側に固定し交流専用とした715系電車と残置した419系電車の2系列がある。

概要

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地方都市圏の普通列車電車化を目的として、当時余剰となっていた特急形電車581系・583系を種車に改造した車両である[1]

1984年(昭和59年)に交流専用の715系0番台が長崎本線佐世保線用に、続いて1985年(昭和60年)に寒冷地対応形の715系1000番台が東北本線仙台地区)に、交流直流両用の419系が北陸本線に投入された。

改造は経費の節減と当時の車両の余命も考慮して種車となる581・583系の基本構造を活かし、内容は近郊形電車として使用するための最小限度での工程とした[1]。そのため、近郊形電車としては極めて特異な外観を有する車両となった。

登場の背景

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「電車型ダイヤ」の拡大

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1982年(昭和57年)11月15日国鉄ダイヤ改正では、従来の長大編成・不等時隔のいわゆる「汽車型ダイヤ」から、短編成・等時隔頻繁運転のいわゆる「電車型ダイヤ(シティ電車)」への列車運行形態の転換を、山陽本線で実施した。これは利用者から好評をもって迎えられ、国鉄はこれを全国の地方都市圏に拡大していくことになった。

直流電化区間では、従来からの車両に対し中間車への運転台設置改造や先頭車の新製を行って短編成化し、車両数を極力増やさずに編成本数増を行って対応したが、地方交流電化区間の普通列車郵便荷物輸送の問題から電気機関車牽引に代わっただけの客車[注 1]や電化前から使用されていた気動車がそのまま投入されていた。しかし、多くの電気機関車は貨物列車牽引に必要な高牽引力重視のため高速性能が劣る上に[注 2]、客車列車では起終点駅での機回しが必要で電車型ダイヤに対応できないことから、新たな交流用および交直流両用の近郊形電車が大量に必要となった。このころには急行列車の廃止により余剰車が多数発生したことから、455系・457系・475系などの交直流急行形電車に近郊用転用改造が施工されていた[注 3]

581・583系の余剰

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一方で、同ダイヤ改正では、利用低迷に伴い、中京 - 関西圏と九州を結ぶ寝台特急「金星」「明星」が廃止・削減され、向日町運転所所属の581・583系電車に大量の余剰が発生した[2]

581・583系電車は、昼夜兼行で運転するため座席をボックスシートとしたことにより、昼行特急車両として設備面で見劣りし、個人志向の強まりによるボックスシート敬遠傾向の強まりもあって、昼行特急への転用が難しい状況にあった。

417系・713系の量産頓挫

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交流区間における「電車型ダイヤ」に適した近郊形電車としては、既に1978年(昭和53年)に片側2扉クロスシートの417系が開発され、仙台地区に15両が投入されていた。しかし同系列の落成時期は、1970年代末期から1980年代の国鉄の累積債務問題が議論され、国鉄改革が急務とされた時期と重なり主にコスト面での問題[注 4]から、これ以上の量産投入はなされなかった。

また、前述の1982年(昭和57年)11月改正に先立つ同年9月頃に国鉄部内で「昭和57年度第二次債務車両」の新製計画がなされていたが、この中には九州地区の電化区間の気動車列車・客車列車を電車化して要員合理化を行うことを目的に、713系電車の80両新製[注 5]が計画・提案されていた[2]。しかし、この計画は局長会議にて前述の余剰581・583系を引き合いに、「なんで新製する必要があるのか」「他に余剰電車はないのか」と新製に疑問が呈され、「(引用注:九州地区は)本来巨額の投資を行わないで合理化を行う地区」という理由によって承認されず、差し戻しとなってしまった[2]。このため、713系は試作車という位置づけに目的を変更し、4編成8両のみの投入となった[2]

581・583系改造への決断

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前述の局長会議で、当時の車両局長は「あれ(引用注:581・583系)は寝台専用の電車であって、普通列車には不適当である」旨を述べたものの、会議参加者からは「使用できないと誰が判断したのか」「同じ電車であり、改造して使用すれば良い」といった意見が出されていた[2]

差し戻しを受けて国鉄車両局では善後策として余剰581・583系の具体的使用法の検討を始め、経費的にも最小限度の改造を施工し、地方都市の電車化に使用することとなった[2]。そもそも581・583系は、交直流電車であり、線区によって必要な抑速ブレーキがあることや、座席配置がボックスシートであること、後述の投入先では特急電車として走行実績があること、さらに冷房装置を備えており、かつ空気ばね台車で乗客へのサービス向上が図られるといった、一応の利点もあった[1]

投入先については、713系が投入予定だった九州地区の長崎本線・佐世保線、また、以前から電車化の要望があり、ある程度頻度の列車設定ができ、気動車・客車列車が多い地区である、東北本線(仙台地区)、北陸本線が選定された[2]

主な改造内容

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上 - クハネ581形(改造前) 下 - クハ715形(改造後) 塗色変更・扉増設・一部側窓をユニットサッシ化。
上 - クハネ581形(改造前)
下 - クハ715形(改造後)
塗色変更・扉増設・一部側窓をユニットサッシ化。
上 - サハネ581形(改造前) 下 - クハ715形100番台(改造後) 先頭車が不足したため運転台を取付施工。
上 - サハネ581形(改造前)
下 - クハ715形100番台(改造後)
先頭車が不足したため運転台を取付施工。

種車となる581・583系の車齢は13 - 16年であるが、車両の運用密度から計算した車齢は17 - 21年となり[3]、残存寿命は特急または急行に転用した場合で4 - 5年、近郊形に転用した場合で7 - 8年と見込まれた[3]。このため、1編成当たりの改造費用(715系0番台の場合)は約1億円[4]であり、投資を回収するには7年 - 8年を要した[4]。別な文献においては、当初計画では2全検相当・8年程度の使用期間(つまり、1991年から1993年頃に本形式を淘汰する予定)を見込んでいた[5][注 6]

改造費用は極力抑えられ、1両あたり約1,000万円で施工することが求められていた[5]。しかし、国鉄および民営化した旅客鉄道会社の運用事情を考慮すると、実際には8年程度での廃車は困難であった[注 7]ことから[5]、旅客鉄道会社に引き継がれた715系1000番台や419系では、それ以上の期間を考慮した改造工事(特別保全工事等)を施工している[5]

主な改造内容を以下に示す。

扉の増設
  • 種車が特急形車両で乗降扉が1両あたり片側1か所しかないため、1か所増設し片側2か所配置とした。既設の扉は幅700mmの折戸のまま手を加えず、増設扉も既設扉と同じ構造とされたため、近郊形電車では前例のない幅の狭さとなった。
    • 引き戸方式の扉増設などは、台枠の大きな改造を伴うことから、改造費用の観点から不可能であった[5]
  • デッキと客室間の仕切は配電盤部分を除いて撤去。
  • 戸閉回路はどの運転台からも開閉できる方式に変更。
窓の開閉可能化
  • 種車の側窓は固定式であったが、混雑時等の換気を考慮し1両につき片側3か所が上段下降・下段上昇に開閉可能な4分割ユニット窓へ交換。窓の日除けは巻上カーテンとした。
    • 全窓開閉可能にすることも検討されたが、冷房装置を搭載していることから部分的な交換にとどめられた。
先頭車改造のクハ419形(左) 中間車改造のクハ418形(右)
先頭車改造のクハ419形(左)
中間車改造のクハ418形(右)
クハ715-1 車内
クハ715-1 車内
ボックスシート
ボックスシート
中間車の先頭車化改造
  • 特急時代に10 - 13両編成で使用されていた車両を、導入線区の輸送量に合わせて715系は4両編成、419系は3両編成とそれぞれ短編成化して使用することから、715系は制御車、419系は制御電動車がそれぞれ不足した。そのため、以下に示す中間車は運転台取付の改造が施工された。
    • サハネ581形→クハ714形・クハ715形(100番台・1100番台)・クハ418形
    • モハネ583形→クモハ419形
  • 工法は、改造期間を短縮するため中間車端部のトイレ・洗面所・寝台4区画分を台枠ごと切断し、あらかじめ製造しておいた運転台ブロック・増設客扉・客室を接合する方式(ブロック接合工法)である。
  • 新設運転台はクモニ143形に類似した非貫通切妻構造であるが、種車の特徴である深い屋根構造による車体の高さをそのまま残したため、食パンを思わせる六角形の特徴的な断面となり「食パン列車」とも称された[6][7][8][9]
  • クハ714形0番台ならびにクハ418形は、編成中の補助電源と圧縮空気供給用に電動発電機 (MG) ・空気圧縮機 (CP) を新たに床下搭載した。
    • MGは急行形電車廃車発生品となる容量110kVAの物に脈流対策等を施工した。クハネ581形改造車のMGは150kVAであるため比較すると容量が若干小さいが、4両給電で冷房能力も小さいので問題はない。
座席の改造
  • 座席⇔寝台の転換機能を封印するためボルトで固定。扉付近はボックスシートからロングシート105系新造車グループ415系500番台と同様の低座面かつ奥行きが深い形状)に変更された。荷棚はクロスシート部分は中・上段寝台の寝台舟に取付けられているものをそのまま使用し、ロングシート部分は中・上段寝台を撤去して新造の荷棚を設置した。
一部トイレの撤去
  • 種車は1両に2か所のトイレと洗面所を設置していたが、トイレを偶数向き先頭車1両に1か所の車端側のみ残して、他の車両では撤去して扉増設スペースとした。偶数向き先頭車に残るもう1か所のトイレは業務用室(物置)扱いとして閉鎖。
  • 洗面所は洗面器・冷水機等を外したが、洗面台自体は構造が頑丈なため撤去が困難なことや撤去跡にロングシートを設けた場合にロングシートがトイレ出入口を向くこと、使用地域が混雑区間ではないことから骨組みは撤去せず台座部にカバーを被せて使用不可とした。
走行性能の変更
  • 電動車の歯車比は高速向きの3.50であったが、近郊形としては起動加速力を欠いて運用に適さないことから101系通勤形電車廃車発生品に交換して5.60とし普通列車運用に必要な加速力を確保した。このため従来の標準的な近郊形電車(歯車比4.82)に比べて加速性能は良いが高速性能では劣り最高速度は100km/hに低下。このため動力台車がDT32K形に変更された。
    • 大きい歯車比と重い車重から他系列電車が故障した際には、救援に投入された実績がある[10]
第2パンタグラフの撤去
  • 種車のモハネ580形・モハネ582形ではパンタグラフを1両あたり2基装備していたが、このうちユニット外側の第2パンタグラフは元々交流区間では使用していない上、交直両用の419系も性能的に1基で充分と判断されたことから撤去された。

本形式の問題点

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この形式は、運行当初は気動車から電車化による列車の高頻度化に貢献したが、国鉄末期の財政状況に起因する極度な改造経費の節減を図ったため不十分・不合理な点が残り結果的には以下の問題点を抱えた。

  • 583系時代からの昼夜兼行運用による累積走行距離過多や経年から、種車自体の老朽化が進行していた[11]
  • 片側2扉であるが、増設扉も含めて種車の幅700mm折戸を踏襲したため乗客の乗降に時間がかかり、列車遅延が生じやすい。
  • 幅700mm折戸では一般的な車椅子用スロープを最大限に広げることができないため、車椅子での乗降の際にはさらに時間がかかり、場合によっては介助者3人がかりで車椅子を持ち上げなければ乗降できないケースもあるほか、電動車椅子など折りたためない車椅子での乗車は物理的に不可能である。
  • 特急型時代の間隔や幅が広いシートをそのまま流用しており、定員が少なく通路も狭い。そのため乗客の詰込みには不向きである。
  • AU41形床置式冷房装置の設置スペースによる客室分断(モハ714形・モハ418形)・クハネ581形改造車の機器室・撤去されなかった洗面台やトイレスペースなど、無駄な区画(デッドスペース)が多く、収容力が削がれた[12]
  • 営業最高速度は100km/hであるが、同様の普通列車へ転用された457系急行形電車および車体更新車の413系・717系電車は110km/hのままであることが原因で、共通運用が組めない。
  • 側窓が小さく採光が十分でないため、車内が比較的暗い[13]
  • 天井に寝台の収容部分が残っているために天井が低く、全体的に圧迫感がある。

このように本系列はラッシュ対策を中心とした問題点が多数発生し、民営化後は新車の導入により715系は改造から13年前後で廃車となったが、419系は整備新幹線開業における並行在来線の問題から代替車両の導入が進まず、改造後22-27年も使用されることとなった[注 8]

形式および番台区分

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715系0番台

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登場時の715系0番台
クハ715-1
クハ715-1
モハ714-1
モハ714-1
モハ715-1
モハ715-1
クハ715-101
クハ715-101

1984年2月ダイヤ改正に合せて長崎本線佐世保線用に48両が改造された交流専用車。改造は小倉工場(現・小倉総合車両センター)・松任工場(現・金沢総合車両所)。

モハ715形・モハ714形
モハネ581形・モハネ580形改造の中間電動車。種車全車を改造したことにより交流電源周波数60 Hz専用の581系電動車が形式消滅した。
クハ715形0番台
クハネ581形改造の下り方(長崎早岐方)制御車。種車のMG・CPは存置された。
クハ715形100番台
サハネ581形改造の上り方(鳥栖佐世保方)制御車。
クモハ419同様、種車の前位側に運転台を有する。
クハ714形0番台
下り方制御車は種車のクハネ581形が不足したためにサハネ581形改造のクハ714形0番台2両が充当された。床下に110 KVA MGとCPを搭載する。
クハ418同様、種車の後位側に運転台を有し、ドアも2箇所ともに新設し直している。

4両編成12本(NM101 - 112編成)が組成され、全車南福岡電車区(現・南福岡車両区)に配置された。なおNM111・112編成がクハ714形を連結する編成とした。塗装は713系とともにクリーム1号地に緑14号帯が新規に設定された。

クハ715形モハ714形モハ715形クハ715形100番台

715系編成図。塗色は登場時のもの。2両の中間電動車を制御車で挟む4両編成。


715系0番台車両番号一覧
モハネ581
モハネ580
11 3 12 7 8 4 5 2 9 10 1 6
モハ715
モハ714
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
改造施工 小倉 松任 小倉 松任
サハネ
581
38 32 6 47 11 27 2 8 4 1 23 13
クハ715
100番台
101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112
改造施工 小倉 松任 小倉 松任 小倉 松任 小倉 松任
クハネ
581
8 1 7 2 4 5 6 32 3 17  
クハ715
0番台
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10  
改造施工 小倉 松任 小倉 松任 小倉 松任  
サハネ
581
  54 31
クハ714
0番台
  1 2
改造施工   小倉

715系1000番台

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クハ715形1100番台
クハ715形1100番台
クハ715形1000番台
クハ715形1000番台

1985年3月のダイヤ改正に合せて仙台地区用に改造されたグループ[14]。改造施工は、0番台を担当した小倉工場の他に郡山工場(現・郡山総合車両センター)・土崎工場(現・秋田総合車両センター)が担当した[14]。なお番台区分に関しては仙台地区からの要望により、「センダイ(1000(番)台=仙台)」の語呂合わせ[5]となった。

50Hz電化区間で使用されることから、電動車の種車は50Hz・60Hz両用のモハネ583形・モハネ582形とした。419系同様に寒冷地で運用されることから、客用扉の半自動化や車内暖房器の増設、車内ロングシートの扉隣接部に防風板を設置、先頭台車へのスノープラウ取り付け、耐雪ブレーキの取り付け[14]などの防寒・防雪対策を施工したため1000番台に区分された[14]。また増設運転台の空気笛(タイフォン)が0番台の床下から前照灯横へ搭載位置変更[14]、中・上段寝台用小窓が当初から埋め込みなどの設計変更が行われた。

0番台と異なりクハ714形は存在しない。4両編成x15本計60両が改造され仙台運転所(現・仙台車両センター)に配置された。塗装は0番台同様クリーム1号地に緑14号帯としたが、前面塗分けが異なる。後に仙台配置の455・457系がこの塗色を採用した際、地色はより白みがかったクリーム10号に変更。その後は本系列の地色もクリーム10号に変更された。

分割民営化時には日本国有鉄道が保有していた60両全車がそのまま東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。

モハ715・714形1000番台
モハネ583・582形改造の中間電動車。
クハ715形1000番台
クハネ581形[注 9]改造の上り方(黒磯方)制御車。
クハ715形1100番台
サハネ581形改造の下り方(一ノ関方)制御車。
715系1000番台車両番号一覧
モハネ583
モハネ582
17 20 21 33 34 35 37 39 43 48 52 67 77 86 90
モハ715
モハ714
1001 1002 1003 1004 1005 1006 1007 1008 1009 1010 1011 1012 1013 1014 1015
改造施工 小倉 土崎 小倉 土崎 郡山 小倉 土崎 郡山 土崎 小倉 土崎 郡山 土崎
クハネ
581
31 40 39 9 34 41 16 19 38 20 14 10 23 18 26
クハ715
1000番台
1001 1002 1003 1004 1005 1006 1007 1008 1009 1010 1011 1012 1013 1014 1015
改造施工 小倉 土崎 郡山 土崎 郡山 土崎 小倉 土崎
サハネ
581
39 42 41 30 21 26 24 3 29 40 33 44 43 5 7
クハ715
1100番台
1101 1102 1103 1104 1105 1106 1107 1108 1109 1110 1111 1112 1113 1114 1115
改造施工 小倉 郡山 小倉 土崎 郡山 小倉 土崎 郡山 土崎 小倉 土崎 小倉

419系

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登場時の419系
クモハ419-14
クモハ419-14
モハ418-14
モハ418-14
クハ419-4
クハ419-4
クハ418-5
クハ418-5

715系1000番台の登場と同じ1985年3月ダイヤ改正で、北陸本線金沢富山都市圏へ電車型ダイヤを導入することとなり、小倉・松任・盛岡の各工場で15本計45両が改造により落成した。

基本仕様は715系を踏襲する一方で、後述する715系1000番台同様に寒冷地で運用されることから、耐寒耐雪改造を実施している[15]。また運用形態に合わせて3両編成となり、下り方(直江津方)先頭車は制御電動車(クモハ419形)とした点が715系との相違点である。

北陸本線は交流区間のほか滋賀[注 10]・新潟県内で直流電化区間を有していたことから、種車と同じく交流直流両用とされた[15]

車内保温のため、客用扉の半自動扱い機能を追加した[15]。冬季の雪の侵入対策として、MGおよび主電動機冷却風取入口を夏季(車外から取り入れ)・冬季(車内から取り入れ)切り換え機能を備えている[15]。先頭台車へのスノープラウ取り付け、耐雪ブレーキの取り付け、車内暖房器の増設、床下機器の雪害対策などが実施されている[15]

改造当初の塗色は、赤2号クリーム10号の帯を入れた「旧北陸色」とされた[15]。本塗装は、北陸本線のローカル列車に用いられる475系413系にも採用された。


クハ419形モハ418形クモハ419形

登場時の塗色(赤2号+クリーム色10号帯)による419系側面図。3両編成化したため先頭車の1両(図中右)は制御電動車。


クモハ419・モハ418形
モハネ583・582形改造の電動車ユニット。
クモハ419形は直江津制御電動車
種車の前位側に運転台を新設し、主電動機冷却用の空気取り入れルーバを運転台助士席直後側面に設置する。
クハ419形
クハネ581形改造の米原方制御車。
3は前面の空気笛(タイフォン)耐雪カバーを装備せずスリットのまま廃車。
クハ418形
サハネ581形改造の米原方制御車。
種車の後位側に運転台が取り付けられており、出入り口は2箇所とも新設されている。
419系車両番号一覧
モハネ583
モハネ582
9 36 41 42 54 55 69 72 76 22 32 40 44 49 51
クモハ419
モハ418
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
改造施工 小倉 盛岡 小倉 松任 小倉 松任 小倉 松任 小倉
サハネ
581
51 28 34 18 35 9 45 12 22  
クハ
418
1 2 3 4 5 6 7 8 9  
改造施工 盛岡 小倉 松任 小倉 松任 小倉 盛岡 松任  
クハネ
581
  13 12 27 15 21 11
クハ
419
  1 2 3 4 5 6
改造施工   松任 小倉

改造工事

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419系・715系として運用を開始してからの改造工事を記載する。

715系0番台の改造

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1986年(昭和61年)から1990年(平成2年)にかけて、車体側面上部に残されていた583系時代の寝台使用時明り取り用小窓が、水の浸入を防ぐなどの理由で埋込工事が施工された。さらに同時期に塗装もクリーム10号に青23号帯の「九州色」に変更された。

また車体の腐食防止という観点から以下の工事が一部車両に施工された。

  • 側面行先表示器撤去。
  • クハ715形0番台前面貫通扉埋込[注 11]
  • 閉鎖されたトイレの窓埋込。

715系1000番台の改造

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715系1000番台はJR東日本への承継後に一部車両へ特別保全工事を施工。屋根の補修・寝台舟完全撤去・横引カーテンへ変更など改造された。このため末期には工事施工車と未施工車が混在する編成も存在した。

419系の改造

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クハ419形前面貫通扉・種別幕閉鎖工事施工車

419系は全車に延命N工事を施工。座席モケットや化粧板・ガラス支持用Hゴムの交換・ブラインドの横引カーテンへの変更・吊手の増設などが行われ、一部車両では洗面台が完全撤去された。2005年(平成17年)からはクハ419形の前面貫通扉・種別幕を閉鎖する工事も開始された。

1988年(昭和63年)から1991年(平成3年)にかけオイスターホワイトにライトコバルトブルーの帯を入れた「新北陸色」に変更された。同様の塗装変更は北陸ローカル用の475系列、413系でも行われている。

1995年(平成7年)には七尾線の架線積雪対策として、モハ418-15に第2パンタグラフを搭載し早朝の上り1本で運用に投入されたが、1996年(平成8年)の転属に伴い撤去。ただし台座はそのまま残存する[16]

運用

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東北地区

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715系1000番台が東北本線黒磯 - 一ノ関間のほか、1991年(平成3年)までは仙山線仙台 - 愛子間・奥羽本線福島 - 庭坂間でも運用された。

1995年(平成7年)から701系への置換えが開始され、1998年(平成10年)3月のダイヤ改正をもって定期運用を離脱した[17]。同年3月22日にはさよなら運転を実施し[17]、その後4月22日に団体輸送に使用された[17]のを最後に旅客運用を終了した。その後、1998年8月11日に最後の編成が廃車となり完全消滅した[18]

北陸地区

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419系は当初は全車金沢運転所(現・金沢総合車両所)に配置。分割民営化時には西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された。北陸本線全域[注 12]のほか1991年(平成3年)から2006年(平成18年)までは湖西線近江今津以北の区間でも運用されたが、幅が狭い客用扉などの問題から次第に福井以西もしくは富山以東の閑散区間運用が主になった。1996年(平成8年)3月には新設の福井地域鉄道部(現・敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室)に転出。

登場時、クモハ419形・クハ418形の前面に長方形の「TOWNとれいん」マークを掲出していた(クハ419形はクハネ581形時代の列車愛称表示器を活かして「普通」と表示していた)。JR西日本発足後の1987年(昭和62年)秋頃、五角形のマークに交換された(表記も「TOWNトレイン」となる)。クハ419形は遅れて1990年(平成2年)頃、元の表示を覆う感じで五角形のマークが付けられたが、2001年(平成13年)7月頃掲出が中止された。なお、マーク自体は2003年(平成15年)3月の小浜線電化記念など、各種イベントの告知に使用された。

老朽化が顕著になったことから、2006年(平成18年)の富山港線経営分離・敦賀以南の直流化および521系の投入によって、前述工事未施工車を含む編成から廃車が開始された。

2010年(平成22年) 時点では北陸本線敦賀 - 直江津間の普通列車で運用されていたが、2011年(平成23年)3月12日ダイヤ改正により定期運用を終了した[注 13]。この前日は東北地方太平洋沖地震の本震が発生した日であり、北陸本線でも列車の運行を一時中断したものの、その日に運用されていた419系は最終的には運転を再開して終着駅にたどり着いた[注 14]

なお、本系列の廃車発生部品は京都総合運転所(現・吹田総合車両所京都支所)所属の583系に使用されたほか、一部は富山地方鉄道が購入、同社の10030形電車に使用されている。

2012年(平成24年) 4月時点ではD01編成(クモハ419-1,モハ418-1,クハ418-1)が保留車として車籍を有していたが、同年9月29日付で廃車[19]・廃系列となった。解体は同日から30日にかけて富山県高岡市伏木の日本総合リサイクルで実施されることからトレーラーで陸路搬送された[20]。搬入直後にクモハ419-1・モハ418-1の解体が行われ、クハ418-1のみが構内屋外に9年あまり置かれていたが、2021年11月中旬頃に解体された。

九州地区

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臨時急行「ホリデー佐世保」
1987年 肥前山口

715系0番台は1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には48両全車が九州旅客鉄道(JR九州)に承継された。基本的に配置や運用の変化はなかったが、繁忙期には臨時急行「ホリデー佐世保」(博多駅 - 佐世保駅間)などに投入されたこともあった。

当初予定されていた長崎本線・佐世保線の他に鹿児島本線福間 - 八代間でも運用されたが、各車2扉の狭幅折戸でラッシュ時に対応できないこともあり徐々に運行数を減らし、営業運転からの離脱直前は回送で南福岡区に出入庫するのみとなった。荒木 - 鳥栖 - 長崎間の直通普通列車も運転されていたが、1996年(平成8年)から813系電車に置換えられ、1998年(平成10年)3月26日の長崎本線885Mに充当された第9編成を最後に定期運用を離脱し[21]、1998年8月7日付で最後の7編成が廃車となり[22]、後述のクハ715-1を除き全車解体された。

保存車

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クハネ581-8として保存されるクハ715-1
クハ715-1
廃車後も解体されずにJR九州小倉工場に留置され、2000年(平成12年)に種車のクハネ581-8に可能な限り近づける形で整備され、2003年(平成15年)8月9日より北九州市九州鉄道記念館に移されて静態保存された。
復元工事内容は、塗装を特急時代のクリーム1号+青15号に塗替・車両番号表記の復元・側面の中・上段寝台用明り取り窓と特急エンブレムの再設置。一方、増設扉・セミクロスシート・開閉窓・中吊広告枠は715系時代のままである。

脚注

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注釈

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  1. ^ 荷物・郵便輸送においては、大都市部ではこれらの車両のみで編成される専用列車が多かったが、地方部では専用列車を運行するほどの需要がないため旅客列車に荷物車・郵便車を混結していた。これらの車両はそのまま幹線系の荷物列車に連結して継送するため、直通運用を行う線区の郵便・荷物輸送は客車で行う必要があった。
  2. ^ 高速性能に特化した電気機関車は牽引力が劣るため貨物列車の牽引には不向きとなり、実際にこのような性能の電気機関車はEF58形の製造が終了した1958年以降新製はない。
  3. ^ 当初は車内の改造が主であったが、1986年(昭和61年)からは車体を前述の417系・713系に準じたものに更新する改造も行っており、形式も413系・717系に変更されている。
  4. ^ 交直流電車は、直流電車に整流機器を追加装備することになるため、製造価格が直流電車に比べて高価となる。
  5. ^ 713系は1M2T構成を考慮した設計であったが、実際に登場した8両は1M1T構成、2両編成4本の形態であった。この80両の内訳について具体的な編成形態の記述はない。
  6. ^ 当時の検査周期から、2年で要部検査、4年で全般検査、6年で要部検査、8年の全般検査(2回目の全般検査)時期の廃車を想定。
  7. ^ 製造こそ新しいが非冷房でサービスレベルの向上が困難な50系客車の置き換えを優先したため。
  8. ^ このため、583系時代よりも当形式での活躍期間が長くなった車両も存在する。
  9. ^ クハネ583形導入を機に東北本線系統から撤退していた。
  10. ^ 2006年9月に直流区間を福井県の敦賀駅まで延伸。
  11. ^ クハ715-3(旧・クハネ581-7)は581系当時に事故復旧で前面貫通扉を埋込。
  12. ^ 2015年(平成27年)3月14日の北陸新幹線金沢延伸開業に伴い、新潟県区間はえちごトキめき鉄道富山県区間はあいの風とやま鉄道、金沢以東の石川県区間はIRいしかわ鉄道にそれぞれ移管。
  13. ^ 同改正では485系で運転されていた特急「雷鳥」も運用終了となり記念グッズなどが販売されたが、本系列の運用終了は特別な告知・グッズ販売は未実施。
  14. ^ 直近の2010年11月20日訂補の時刻表によると、日付が変わってから終着駅に到着した419系で運用されていた電車は以下の二本。584M(直江津2222発→富山015着)・460M(富山2332発→金沢028着)。

出典

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  1. ^ a b c 鉄道ジャーナル社「鉄道ジャーナル」1983年10月号「583系電車の近郊形改造」88-89、92P記事。
  2. ^ a b c d e f g 小榑 2024, pp. 72–74.
  3. ^ a b 鉄道ジャーナル社「鉄道ジャーナル」1983年5月号「寝台・座席両用電車の運用と現況」p.32。
  4. ^ a b 鉄道ジャーナル社「鉄道ジャーナル」1983年10月号「国鉄ニュータイプ交流電車二題 - 1 715系電車」86-87P記事。同書では48両の改造に約12億円を要したと記載されている。
  5. ^ a b c d e f JTBパブリッシング「581・583系物語」(福原俊一 著)pp.142-163。
  6. ^ 「時代を象徴した食パン電車の終焉」『鉄道のテクノロジー Vol.10』、三栄書房、2011年3月31日、p.101、ISBN 978-47796120222011年5月13日閲覧 
  7. ^ 「北陸本線食パン電車419系 ー記憶に残るリストラ電車ー」『鉄道のテクノロジー Vol.10』、三栄書房、2011年3月31日、p.126、ISBN 978-47796120222011年5月13日閲覧 
  8. ^ “さよなら「食パン列車」 元特急の419系車両 JR北陸線、県民の足 セレモニーなく静かに”. 北國新聞: p. 16(朝刊). (2011年3月11日) 
  9. ^ “JR北陸線:「食パン列車」11日に引退 寝台列車の痕跡、惜しむファン”. 毎日新聞: p. 25(朝刊・地方版/新潟). (2011年3月8日) 
  10. ^ 『鉄道ファン』2011年5月号p.108。
  11. ^ 藤崎一輝『仰天列車 鉄道珍車・奇車列伝』(秀和システム、2006年)p.151
  12. ^ 藤崎一輝『仰天列車 鉄道珍車・奇車列伝』(秀和システム、2006年)p.149-150
  13. ^ 藤崎一輝『仰天列車 鉄道珍車・奇車列伝』(秀和システム、2006年)p.150
  14. ^ a b c d e 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1985年5月臨時増刊号新車年鑑1985年版「715系1000番代」p.40。
  15. ^ a b c d e f 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1985年5月臨時増刊号新車年鑑1985年版「419系近郊形交直流電車」pp.41-42。
  16. ^ 『鉄道ファン』2011年5月号p.106。
  17. ^ a b c 交友社鉄道ファン』1998年8月号 通巻448号 p.125
  18. ^ 交友社鉄道ファン』1999年7月号 通巻459号 p.72
  19. ^ 「JR電車編成表2013冬」ISBN 9784330331126 p.355。
  20. ^ 419系D01編成が伏木の車両リサイクル工場へ - 『鉄道ファン交友社 railf.jp鉄道ニュース 2012年10月1日
  21. ^ 鉄道ファン 1998年6月号 121頁
  22. ^ 交友社鉄道ファン』1999年7月号 通巻459号 p.81

参考文献

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  • 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1983年10月号「国鉄ニュータイプ交流電車二題 - 1 715系電車」、「583系電車の近郊形改造」
  • 小榑, 宏明「60.3改正前後の車両改造・転配に伴う回送列車設定を振り返って」『鉄道ピクトリアル』第74巻第11号、電気車研究会、2024年11月1日、70-88頁、ISSN 0040-4047 
  • 交友社『鉄道ファン』1987年12月号 通巻320号 特集:JR交流・交直流近郊形電車
  • 鉄道図書刊行会鉄道ピクトリアル
    • 1985年5月臨時増刊号新車年鑑1985年版「715系1000番代」p.40(国鉄車両設計事務所 電気車 野元 浩)
    • 1985年5月臨時増刊号新車年鑑1985年版「419系近郊形交直流電車」pp.41-42(国鉄車両設計事務所 電気車 石川 陽一)
  • 佐藤哲也・福原俊一『715系・419系寝台電車改造近郊形電車』(車両史編さん会、2001年)
  • イカロスMOOK『国鉄型車両の系譜シリーズ02 形式583系』(イカロス出版、2005年)
  • 藤崎一輝『仰天列車 鉄道珍車・奇車列伝』(秀和システム、2006年)
  • 福原俊一 『581・583系物語』(JTBパブリッシング)pp.142-163

関連項目

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  • 東武1800系電車 - 本系列同様に、短期間の使用を前提に通勤形への改造工事を行った車両が存在する。