国鉄クモニ83形電車
国鉄クモニ83形電車 | |
---|---|
クモニ83815(1986年 姫路駅) | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 西日本旅客鉄道(保留車) |
種車 | 72系(100番台除く) |
改造年 | 1966年 - 1975年 |
改造数 | 51両(100番台除く) |
運用終了 | 1986年 |
廃車 | 1989年[1] |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流1500 V |
荷重 | 11 t[2] |
全長 | 20,000 mm |
車体 | 鋼製 |
台車 | DT13 |
主電動機 | MT40B |
主電動機出力 | 142 kW |
制動装置 | 電磁直通ブレーキ[2] |
備考 | 80系改造の100番台は特記以外は省略 |
クモニ83形は、かつて日本国有鉄道(国鉄)および西日本旅客鉄道(JR西日本)に在籍した、直流用荷物制御電動車である。
概要
[編集]新性能電車と併結可能な旧性能荷物電車として、72系電車からの改造により1966年から1975年にかけて51両が改造された[3]。1970年には80系電車の改造車3両もこの形式に編入されているが、72系改造車との共通性はなく新性能電車との併結も不可能である[4]。
登場の経緯
[編集]1966年12月の中央東線客車列車の一部電車化に伴い、荷物専用電車が必要となった[5]。当時は72系電車を改造した郵便・荷物電車としてクモユニ74形が東海道本線向けに登場しており、新製車体と72系流用の走行機器を組み合わせた旧型電車ながら電磁直通ブレーキの採用で新性能電車と併結可能な仕様となっていた[6]。中央東線には同様の仕様で狭小トンネル対応として屋根高さの低い全室荷物車が投入されることになり、1966年7月にクモニ83形800番台が登場した[2]。
1967年に上越線の客車列車が電車化される際に郵便・荷物電車の投入が必要となり、郵便車は新性能電車のクモユ141形が新製されたが、荷物車はモハ72形を種車にクモニ83形が改造されることになった[7]。800番台をベースに屋根構造を通常屋根とし、クモユ141形や70系電車、115系電車など多くの車種と併結運転を行うため、ブレーキの新旧切換装置などを搭載した0番台が1967年6月に登場した[8]。
1969年には飯田線で使用されていた80系の郵便・荷物合造車クモユニ81形3両が荷物専用車に改造され、1970年にクモニ83形の100番台へ編入された[8]。100番台は同一形式ではあるが形態・性能とも他のクモニ83形との共通点はない[9]。
構造
[編集]ここでは72系から改造された800番台・0番台の構造を主体に記述する。
車体
[編集]車体はクモユニ74形がベースであり、800番台は低屋根構造、0番台は通常屋根構造となった[3]。前面は非貫通で左右にシールドビーム式の前照灯を、各前照灯の下に尾灯を設けた[5]。通風器はグローブ形で、警笛はクモユニ74形と同じく床下に搭載された[10]。
室内配置は前位側より第1運転室、荷物室、貴重品室とトイレ、荷扱車掌室、第2運転室となっており、側扉は乗務員室扉が幅500 mmの開き戸、荷物室扉が幅1,800 mmの両引き戸である[10]。荷物室の荷重は11 tである[10]。
塗装は中央東線向け、横須賀線向けが青15号にクリーム1号の横須賀色、その他の線区向けが黄かん色と緑2号の湘南色となった[10]。
主要機器
[編集]走行機器類もクモユニ74形と同じく72系電車からの流用品が多用されているが、同時期改造のクモユニ82形と同じく主電動機は出力142 kWのMT40B形、電動発電機は容量3 kWのMH77B-DM43Bに変更された[10]。台車はクモユニ74形と同じくDT13形が採用された[10]。
パンタグラフは当初の改造車はPS13形を2基搭載していた[10]が、1基使用の例が多かったため後期の改造車は1基搭載となった[11]。1973年以降の中央西線・中央東線向け改造車は、通常屋根に折り畳み高さの低いPS23形が搭載された[11]。後にパンタグラフ2基搭載車の一部車両でも1基が撤去されているほか、通常使用する1基をPS16形へ交換する改造も行われている[12]。
0番台では115系や70系など多数の車種と併結を行うため、ブレーキの機能として「新旧自動切換装置」が搭載された[7]。この装置はジャンパ連結器の組み合わせにより併結先の車両に合わせたマスコン・ブレーキを自動で選別して切り替えるもので、電磁直通ブレーキの115系など新性能電車、自動空気ブレーキの70系など旧性能電車のどちらとも連結が可能となる[13]。800番台などでも以降の増備車に搭載されたほか、後に従来車にも同装置の設置改造が行われている[14]。
番台区分
[編集]改造種車により2つに大別され、性能・外観が異なる。
800番台
[編集]中央東線普通列車の一部電車化に伴い、低屋根構造のグループとして1966年7月に登場した[2]。中央東線のほか広島地区や横須賀線にも投入されており、1966年から1973年までの7年間にクモニ83800 - 820の21両が改造された[15]。当初は同時期に登場の郵便・荷物合造車クモユニ82形とともに中央線とそれ以外の線区も含めた共通設計として低屋根構造とし、番台区分も0番台とする予定であったが、計画変更により低屋根車を表す800番台となった[2]。
車体は狭小トンネルへの入線に対応するため、屋根高さは3,510 mmに下げられた[2]。雨樋の高さはクモニ83800 - 805は115系に準じて高くなっていた[16]が、以降の改造車は種車に合わせた位置となった[17]。クモニ83814以降は同時期改造の0番台と同じくパンタグラフが1基搭載となり、818以降は新旧自動切換装置が搭載された[18]。
鉄道荷物輸送の縮小により1985年度までに大半が廃車となったが、国鉄最終日の1987年3月31日付でクモニ83805が試験車のクヤ497形に改造されたほか、クモニ83815がJR西日本に継承された[1]。クモニ83815は1989年3月に廃車となった[1]。
0番台
[編集]高崎線・上越線系統の荷物列車の電車化に伴い、通常屋根構造のグループとして1967年に登場した[7]。中央線・篠ノ井線など各地の幹線区にも投入されており、1975年までにモハ72形・クモハ73形からクモニ83000 - 029の30両が改造された[8]。
車体は800番台の低屋根構造を通常屋根構造とし、屋根高さはクモユニ74形と同じく3,634 mmとなった[7]。側窓は幅700 mmの2段上昇窓が用いられたが、窓隅は角形となった[7]。浜松工場で改造の012 - 015は2枚1組に並んだ窓の四隅にのみRが付き[19]、クモニ83形で唯一幡生工場で改造されたクモニ83021は窓隅全てにRが付けられた[11]。
ブレーキは新旧切換装置が装備され、KE70-9形ジャンパ栓が装備された[7]。クモユニ74形、クモユニ82形、クモニ83形で新旧切換装置のない車両とは誤作動防止のため併結不可能である[7]。
当初の製造車はパンタグラフが2基搭載されていたが、後期車ではパンタグラフを1基搭載として通風器を1個増設した[11]。1973年のクモニ83022以降は、中央西線・篠ノ井線電化用としてパンタグラフが折り畳み高さの低いPS23形となった[11]。1975年の中央東線普通列車の全面電車化として投入されたグループは、PS23形搭載とともに塗装が横須賀色となった[11]。
国鉄末期までに大半が廃車となったが、クモニ83005・026・027の3両はJR西日本に継承された[8]。1988年に3両とも旅客車クモハ84形に改造されて宇野線で運用され、1996年に廃車となった[8]。
100番台
[編集]100番台は80系の郵便荷物合造車クモユニ81形からの改造車である[8]。1968年に東海道本線から飯田線へ転用されたクモユニ81004 - 006を1969年に荷物車へ改造、翌1970年2月にクモニ83形に編入されクモニ83101 - 103に改番された[20]。形式は同じクモニ83形ではあるが、72系改造車とは形態・性能とも別物である[8]。
飯田線用として使用されたが、飯田線の新性能化に伴って1983年から1984年にかけて廃車となった[21]。
他形式への改造車
[編集]クヤ497形への改造
[編集]クモニ83805は1987年にすべり粘着台車の試験車であるクヤ497形に改造され、国鉄最終日の1987年3月31日付で竣工した[1]。鉄道総合技術研究所(鉄道総研)の所有で東日本旅客鉄道(JR東日本)の車籍に編入されたが、1996年に除籍された[22]。
クモハ84形への改造
[編集]1988年の瀬戸大橋線開業に伴ってローカル線となる宇野線の茶屋町 - 宇野間の輸送力適正化のため、保留車としてJR西日本に継承されたクモニ83形の3両が旅客車のクモハ84形に改造された[22]。JRグループで唯一の旧性能電車の新形式である[22]。
1995年にクモハ123形の転入で置き換えられ、クモハ84形は1996年に全廃となった[23][24]。
運用
[編集]クモニ83形は中央東線、上越線や東海道・山陽本線系統で運用された。中央東線ではクモユニ82形と、上越線ではクモユ141形となど郵便・荷物電車他形式との併結も行われ、殊に中央東線では夜行急行「アルプス」の165系との併結も行われた。
東京地区では汐留・隅田川の両駅が大規模な荷物基地となっていたが、年末になると両駅の中継荷物量が大幅に増加した[25]。1971年からの数年間は、年末の荷物輸送量増大による取り扱い荷物集中防止のため汐留・隅田川の両駅を経由せずに東海道本線と上越線を結ぶ新潟 - 大垣間の臨時荷物電車が設定されており、クモニ83形2両の間に72系電車3両を挟んだ編成で運転された[25]。
1985年3月のダイヤ改正での荷物電車運用の縮小により、上越線での運用は身延線から転入したクモユニ143形で[26]、東海道本線での運用は飯田線から転入したクモユニ147形などで置き換えられ[27]、中央東線の荷物列車もこの改正で運用終了となった[28]。クモニ83803は廃車後に大船工場の入換車となった[29]。
1986年3月のダイヤ改正で関西地区の荷物電車運用は大阪 - 姫路間の荷物列車1往復のみとなり、この列車も同年11月のダイヤ改正で廃止となった[30]。この運用に使用されたクモニ83形4両は1987年の国鉄分割民営化でJR西日本に継承されており、うち0番台3両が1988年の宇野線茶屋町 - 宇野間普通列車用としてクモハ84形に改造され、800番台のクモニ83815は1989年に廃車となった[1]。クモハ84形も1996年に3両とも廃車となった[8]。
保存車
[編集]クモニ83006は鉄道総合技術研究所(鉄道総研)に譲渡され、キハ30形とともに電車と気動車の協調運転試験[31]など各種試験に用いられた。2008年には東芝の府中事業所に譲渡されて試験車両として使用されたが、2020年には同所のクハ103-525とともに千葉県いすみ市の「ポッポの丘」へ移設され、同年7月11日より保存展示されている[32]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 吉岡真一「荷物電車形式解説」『鉄道ファン』2020年12月号、p.36
- ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.33
- ^ a b 「72系改造の国鉄郵便荷物電車(車体新製車)」『鉄道ピクトリアル』2017年5月号、p.49
- ^ 「国鉄の旧型郵便・荷物電車」『鉄道ピクトリアル』2017年5月号、p.44
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.32
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.11
- ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.37
- ^ a b c d e f g h 吉岡真一「荷物電車形式解説」『鉄道ファン』2020年12月号、p.37
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.12
- ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.34
- ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.39
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.53
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.41
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.52
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.35
- ^ クモニ83-800代 消えた車両写真館(鉄道ホビダス)、2010年9月29日
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.36
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.111
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.98
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.51
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.102
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.8
- ^ クモハ84001 消えた車輌写真館(鉄道ホビダス)、2010年3月16日
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.125
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.43
- ^ 小榑宏明「国鉄荷電運用をめぐる記憶」『鉄道ピクトリアル』2017年5月号、p.33
- ^ 小榑宏明「国鉄荷電運用をめぐる記憶」『鉄道ピクトリアル』2017年5月号、p.30
- ^ 小榑宏明「国鉄荷電運用をめぐる記憶」『鉄道ピクトリアル』2017年5月号、p.35
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」p.105
- ^ 小榑宏明「国鉄荷電運用をめぐる記憶」『鉄道ピクトリアル』2017年5月号、p.27
- ^ 「鉄道総研の技術遺産 試験車両キハ30形気動車」『RRR』2013年9月号(Vol.70 No.9)、鉄道総合技術研究所、p.34
- ^ 「千葉県『ポッポの丘』に国鉄型電車2両が保存車の仲間入り」『鉄道ピクトリアル』2020年10月号(No. 978)、電気車研究会、p.121
参考文献
[編集]- 『鉄道ピクトリアル』2017年5月号(No. 931)「特集:郵便・荷物電車」電気車研究会
- 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」電気車研究会
- 『鉄道ファン』2020年12月号(No. 716)「特集:形式記号『ニ』」交友社