土方雄重
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 文禄元年(1592年) |
死没 | 寛永5年12月29日(1629年1月23日) |
別名 | 通称:鎬彦三郎 |
戒名 | 雪江了寒 |
墓所 | 大阪府貝塚市森の青松寺 |
官位 | 従五位下掃部頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川秀忠→家光 |
藩 | 下総多古藩主→陸奥窪田藩主 |
氏族 | 土方氏 |
父母 | 土方雄久 |
兄弟 | 雄氏、雄重、雄則、雄政、平野長泰正室、西光寺某室、織田信長側室? |
妻 | 内藤政長娘 |
子 | 雄次、那須資重正室、九鬼隆季正室 |
土方 雄重(ひじかた かつしげ)は、江戸時代前期の武将・大名。下総国多古藩(田子藩)2代藩主、のち陸奥国窪田藩初代藩主。官位は従五位下・掃部頭。
略歴
[編集]慶長13年(1608年)、父が死去すると家督は長兄・雄氏が継いだが、既に伊勢国菰野の大名として独立していたため、父の旧領の下総田子1万5000石は雄重が継ぐこととなった。慶長19年(1614年)からの大坂の陣では酒井忠世の軍に属して功を挙げた。その功績により、陸奥国菊多郡1万石、能登国内に1万石の合計2万石の所領に加増移封され、窪田藩初代藩主となった。
寛永3年(1626年)、徳川家光の上洛に従った。寛永5年(1628年)12月、37歳で死去した。家督を長男・雄次が継いだ。