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駐日中国大使

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在日本中国大使から転送)

駐日中国大使(ちゅうにちちゅうごくたいし)とは、中華人民共和国政府が派遣した日本に駐在する特命全権大使である。

本項では中華民国(日華断交以前、断交以降は駐日台湾大使を参照の事)、汪兆銘政権満州国、中華人民共和国の大使について記述する。

歴代大使

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清の駐日外交使節

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名前 任命 着任 递交国书 免職 離任 階級 外交使節 備考
許鈐身 1876年9月30日 未到任 1877年1月15日 二等公使 出使日本國欽差大臣 駐英副使節から変更
光緒二年八月十三日 光緒二年十二月二日
何如璋 1876年9月30日 未到任 1877年1月15日 出使日本國欽差副大臣
光緒二年八月十三日 光緒二年十二月二日
何如璋 1877年1月15日 1877年12月24日 1877年12月28日 1880年12月2日 1882年2月14日 二等公使 出使日本國欽差大臣
光緒二年十二月二日 光緒三年十一月廿日 光緒三年十一月廿四日 光緒六年十一月一日 光緒七年十二月廿六日
張斯桂 1877年1月15日 1880年12月2日 出使日本國欽差副大臣 光緒6年11月1日に副使節に任命された
光緒二年十二月二日 光緒六年十一月一日
許景澄 1880年12月2日 未到任 1881年4月5日 二等公使 出使日本國欽差大臣
光緒六年十一月一日 光緒七年三月七日
黎庶昌 1881年4月5日 1882年2月14日 1882年2月22日 1884年10月5日 1884年12月26日 二等公使 出使日本國欽差大臣 憂免
光緒七年三月七日 光緒七年十二月廿六日 光緒八年正月五日 光緒十年八月十七日 光緒十年十一月十日
徐承祖 1884年10月5日 1884年12月26日 1887年6月23日 二等公使 出使日本國欽差大臣
光緒十年八月十七日 光緒十年十一月十日 光緒十三年五月三日
李興銳 1887年6月23日 未到任 1887年9月13日 二等公使 出使日本國欽差大臣
光緒十三年五月三日 光緒十三年七月廿六日
黎庶昌 1887年9月13日 1890年9月9日 二等公使 出使日本國欽差大臣
光緒十三年七月廿六日 光緒十六年七月廿六日
李經方 1890年9月8日 1891年1月29日 1891年2月10日 1892年7月9日 1892年10月11日 二等公使 出使日本國欽差大臣 光緒十七年六月廿四日(1891年7月29日)憂假;光緒十八年三月帰国;光緒十八年六月十六日憂免
光緒十六年七月廿五日 光緒十六年十二月廿日 光緒十七年正月二日 光緒十八年六月十六日 光緒十八年八月廿一日
汪鳳藻 1891年7月29日 1892年4月 署理出使日本國欽差大臣
光緒十七年六月廿四日 光緒十八年三月
汪鳳藻 1892年7月4日 1892年10月11日 1894年7月29日 二等公使 出使日本國欽差大臣
光緒十八年六月十一日 光緒十八年八月廿一日 光緒廿年六月廿七日
裕庚 1895年7月10日 1895年9月26日 1898年7月 二等公使 出使日本國欽差大臣
光緒廿一年閏五月十八日 光緒廿一年八月八日 光緒廿四年六月
黃遵憲 1898年8月11日 未到任 1898年10月5日 二等公使 出使日本國欽差大臣
光緒廿四年六月廿四日 光緒廿四年八月廿日
李盛鐸 1898年9月19日 1898年9月19日 1898年10月5日 署理出使日本國欽差大臣 升实授钦差大臣
光緒廿四年八月四日 光緒廿四年八月四日 光緒廿四年八月廿日
李盛鐸 1898年10月5日 1898年10月5日 1901年 1901年11月27日 二等公使 出使日本國欽差大臣
光緒廿四年八月廿日 光緒廿四年八月廿日 光緒廿七年 光緒廿七年十月十七日
蔡鈞 1901年7月4日 1901年11月27日 1901年12月7日 1903年 1903年10月15日 二等公使 出使日本國欽差大臣
光緒廿七年五月十九日 光緒廿七年十月十七日 光緒廿七年十月廿七日 光緒廿九年 光緒廿九年八月廿五日
楊樞 1903年6月15日 1903年10月15日 1903年10月28日 1907年 1907年10月7日 二等公使 出使日本國欽差大臣
光緒廿九年五月廿日 光緒廿九年八月廿五日 光緒廿九年九月九日 光緒卅三年 光緒卅三年九月一日
李家駒 1907年7月12日 1907年10月7日 1907年10月22日 1908年3月23日 二等公使 出使日本國欽差大臣 光緒34年2月21日、憲政調査のために転居した。
光緒卅三年六月三日 光緒卅三年九月一日 光緒卅三年九月十六日 光緒卅四年二月廿一日
胡惟德 1908年3月23日 1908年8月1日 1908年8月11日 1910年5月24日 1910年6月9日 二等公使 出使日本國欽差大臣
光緒卅四年二月廿一日 光緒卅四年七月五日 光緒卅四年七月十五日 宣統二年四月十六日 宣統二年五月三日
吴振麟 1910年5月24日 1910年6月9日 1910年8月6日 参事官 臨時代理
宣統二年四月十六日 宣統二年五月三日 宣統二年七月二日
汪大燮 1910年5月26日 1910年8月6日 1910年8月15日 1912年 二等公使 出使日本國欽差大臣
宣統二年四月十八日 宣統二年七月二日 宣統二年七月十一日

在大日本帝国中華民国公使

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氏名 任命 着任 免職 退任 階級
汪大燮 1912年 1913年 特命全権公使
馬廷亮 1913年 1913年
陸宗輿 1913年
12月9日
1916年
6月30日
特命全権公使
劉崇杰 1916年 1916年
章宗祥 1916年
6月30日
1919年
6月10日
特命全権公使
劉鏡人 1919年
9月3日
1920年
9月10日
特命全権公使
莊景珂 1919年 1920年
胡惟德 1920年
9月10日
1922年
6月2日
特命全権公使
王鴻年 1920年 1920年
汪榮寶 1922年
6月2日
1931年
8月6日
特命全権公使
施履本 1922年 1923年
1月19日
張元節 1925年 1926年
蔣作賓 1931年
8月11日
1935年
5月17日
特命全権公使

在大日本帝国中華民国大使

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氏名 任命 着任 免職 退任 階級
蔣作賓 1935年
5月17日
1935年
5月17日
1936年
2月8日
特命全権大使
許世英 1936年
2月8日
1938年
1月20日
特命全権大使

在大日本帝国中華民国(汪兆銘政権)大使

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氏名 任命 退任 階級
褚民誼[1] 1940年12月22日   特命全権大使
徐良 1941年10月2日
蔡培 1943年3月31日
廉隅 1945年5月23日

在大日本帝国満洲国公使・大使

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姓名 任命 着任 信任状捧呈 免職 離任 外交階級 外交使節 備考
鮑観澄 1932年10月[2] 代表[2] 駐日満洲国代表、当時はまだ外交関係を樹立していなかった。
丁士源 1933年4月26日[3][2] 公使 特命全権公使
謝介石 1935年6月19日[2] 1935年6月28日[2] 1935年7月4日[2] 1937年6月6日[4] 大使 特命全権大使
阮振鐸 1936年6月23日 1940年12月 1940年12月 大使 特命全権大使 1937年5月20日任命。[4]暫定上院会議は6月23日に正式に発行され、特別任命式は6月24日に開催さた。[5]
李紹庚 1940年12月6日[6] 1940年12月25日[7] 大使 特命全権大使
王允卿 1942年9月29日[8] 1942年11月12日[9] 1945年 大使 特命全権大使

在日本中華民国大使

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代数 氏名 任命 退任 階級
1 董顕光 1952年 1956年 特命全権大使
2 沈覲鼎 1956年 1959年
3 張厲生 1959年 1963年
4 魏道明 1964年 1966年
5 陳之邁中国語版 1966年 1969年
6 彭孟緝 1969年 1972年

日本と中華民国が1972年に国交を断絶後、両国の非公式な外交窓口として台湾に亜東関係協会、それに対する機関として日本に財団法人交流協会が設立された。翌1973年に双方に在外事務所が設置され、以後大使館の役割を果たしている。亜東関係協会東京弁事処は1992年台北駐日経済文化代表処と改称されている。

現在では台北駐日経済文化代表処の代表が事実上の「在日本中華民国大使」となっている。

在日本中華人民共和国大使

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1972年9月の日中共同声明以降、中華人民共和国政府は日本に13人の特命全権大使を派遣している。

代数 氏名 任命 退任 階級
1 陳楚 1973年4月 1976年12月 特命全権大使
2 符浩 1977年8月 1982年2月
3 宋之光 1982年3月 1985年8月
4 章曙 1985年9月 1988年6月
5 楊振亜 1988年1月 1993年3月
6 徐敦信 1992年12月 1998年6月
7 陳健 1998年4月 2001年7月
8 武大偉 2001年7月 2004年8月
9 王毅 2004年9月 2007年9月
10 崔天凱 2007年9月 2010年1月
11 程永華 2010年2月 2019年5月
12 孔鉉佑 2019年5月 2023年2月
13 呉江浩 2023年2月 (現職)

出典

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  1. ^ 郭卿友. 中華民国時期軍政職官志. 甘粛人民出版社 
  2. ^ a b c d e f 滿洲國史: 分论(上),东北师范大学,1990年,第540页
  3. ^ 刘国铭主编 (1989). 中华民国国民政府军政职官人物志. 春秋出版社 
  4. ^ a b 中央硏究院近代史硏究所集刊2007年第57卷,第89页
  5. ^ 外交時報、1937年、第83卷、98頁
  6. ^ 中国现代史2009年第7-12期,第100页
  7. ^ 伪满洲国大事记,大连出版社,1990年,第129页
  8. ^ 伪满洲国大事记,大连出版社,1990年,第144页
  9. ^ 东北沦陷十四年大事编年,辽宁人民出版社,1990年,第465页

関連項目

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外部リンク

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