増山正武
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永2年7月5日(1705年8月23日) |
死没 | 延享4年6月11日(1747年7月18日) |
改名 | 政次郎(幼名)→正武 |
戒名 | 常住院殿如山了真大居士 |
墓所 | 東京都台東区上野の勧善院 |
官位 | 従五位下、弾正少弼 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 伊勢長島藩主 |
氏族 | 増山氏 |
父母 |
父:増山正任 母:源姫(清泉院、小笠原長章の娘) |
妻 | 平姫(慧照院、毛利匡広の娘) |
子 |
養子:正贇 養女(本多忠辰の娘・正贇の婚約者) |
増山 正武(ましやま まさたけ)は、江戸時代中期の大名。伊勢長島藩の第3代藩主。長島藩増山家4代。
生涯
[編集]宝永2年(1705年)7月5日、第2代藩主・正任の次男として生まれる。享保元年(1716年)7月5日、将軍徳川吉宗に御目見する。享保4年12月18日(1720年)、従五位下・弾正に叙任する。寛保2年(1742年)4月7日、父の隠居で家督を継ぐ。延享2年(1745年)10月15日、奏者番に就任する。延享4年6月11日に43歳で死去した。
継嗣がなく、正室の平姫(長府藩主毛利匡広の娘)の弟である養嗣子の正贇が跡を継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 平姫、慧照院 - 毛利匡広の娘
養子女