士幌町農業協同組合
士幌町農業協同組合 | |
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統一金融機関コード | 3279 |
代表理事組合長 | 國井 浩樹 |
設立日 | 1948年2月20日 |
貯金残高 | 931億3,800万円[1] |
貸出金残高 | 105億8,700万円[1] |
職員数 | 168名[2] |
組合員数 | 693人(うち准組合員数81)[2] |
本部 | |
所在地 |
本部事務所 |
外部リンク | http://www.ja-shihoro.or.jp/ |
士幌町農業協同組合(しほろちょうのうぎょうきょうどうくみあい、英称:JA Shihoro )は、北海道河東郡士幌町にある農業協同組合である。略称はJA士幌町。
概要
[編集]「農村ユートピアの創造を目指して」をスローガンとしており[3]、太田寛一や安村志朗をはじめとする青年たちの「農畜産物の原料生産をするだけではなく、加工から流通・販売を農民自身が担い、付加価値を得ることで他産業と同じ所得を得られるようにしたい」という考えがJA士幌町の礎となっている[4]。組合員数のうちに占める准組合員の割合が少なく、これは准組合員の比率が他府県と比べて高い北海道では珍しい[3]。また、信用事業においてはJA士幌町独自の「自賄貯金制度」があるほか[4]、自己資本を充実して内部留保の確保に努めているため、堅実な経営基盤を確立している[5]。
沿革
[編集]士幌の開発は、1898年(明治31年)に岐阜県で設立した美濃開墾合資会社の一行43戸が中士幌に入植したことから始まった[5]。入植当初は米づくりにこだわったが、稲作適地ではないためにうまくいかず、豆に切り替えたが豊凶の差が激しく相場の変動も大きかった[6]。1912年(明治45年)になると旧佐倉藩の藩主による約2,000 haに及ぶ佐倉農場などが建設され、平坦部の開発に目途がついた[5]。1931年(昭和6年)に「士幌村産業組合」が設立し、1948年(昭和23年)の「農業協同組合法」(農協法)施行に伴って「士幌村農業協同組合」となった[5]。
農民が自ら農産加工によって付加価値を得る取組みとして、1946年(昭和21年)に澱粉工場を買収した[4]。すると、それまで歩留まり率が8分の1と言われていたデンプンが、実際には4分の1であるという生産者に不利な取引状況であったことがわかると、1954年(昭和29年)までには士幌村内のすべての澱粉工場がJA士幌町の傘下となった[4]。その翌年には連続式合理化澱粉工場を建設し[4]、1960年(昭和35年)にはJA士幌町に加え、JAおとふけ、JA木野、JA鹿追町、JA上士幌町の5農協による馬鈴薯関連施設の共同利用体制を構築した[7]。1956年(昭和31年)からは北海道内で初めて生乳共販を始めており、季節や地域によって格差があった取引価格の是正に努めた[4]。また、この頃には寒さに強い馬鈴薯(ジャガイモ)やビート(テンサイ)に、豆や酪農・畜産を組み合わせた有畜農業の体系を作りだしたほか[6]、農地を積極的に開墾して農家の淘汰選別を進め、1戸当たりの耕地面積をそれまでの3倍以上にした[8]。1970年(昭和45年)からは牛肉の需要安定に応えるため、本格的に肉牛事業を始めた[9]。1973年(昭和48年)に食品工場を建設すると、販売高が飛躍的に向上した[4]。また、同年から自立経営農家を育成するため、新規草地開発などの基盤整備を行い、リースによる酪農団地の建設を始めた[9]。JA士幌町が関連施設を建設して20年間の長期リースをする事によって新規就農が可能となるほか、跡地は近隣の酪農家や畑作農家の規模拡大に資するなど、全国的にも例のない取組みとなった[9]。さらに、アイソトープ照射センター(コバルト照射センター)が完成して翌年から操業を始め、世界で初めての食品照射の商業用照射施設となった[10]。
年表
[編集]- 1931年(昭和 6年):士幌村産業組合設立[5]。
- 1935年(昭和10年):集乳業務開始[5]。
- 1943年(昭和18年):統制代行機関としての農業会へ移行するために組合解散し、士幌村農業会となる[5]。
- 1944年(昭和19年):集乳業務が北海道興農公社に移管後、雪印乳業(現在の雪印メグミルク)が継承[5]。
- 1946年(昭和21年):士幌村農業会が杉原澱粉工場を買収[5]。
- 1948年(昭和23年):「農業協同組合法」(農協法)施行に伴い、士幌村農業協同組合となる。
- 1954年(昭和29年):前年に続いて冷害・凶作となり、農家経済の消費節約計画運動開始[5]。備荒貯金組合結成[5]。
- 1955年(昭和30年):合理化澱粉工場操業開始[5]。
- 1956年(昭和31年):牛乳の一元集荷開始[5]。雪印乳業(現在の雪印メグミルク)から集乳所を移管[5]。
- 1957年(昭和32年):「合理化でんぷん工場の建設と運営」の功績により第11回北海道新聞文化賞(産業経済賞)を受賞[11]。
- 1962年(昭和37年):士幌村が町制施行して士幌町となり、士幌町農業協同組合となる。
- 1967年(昭和42年):北海道協同乳業(現在のよつ葉乳業)設立[5]。
- 1968年(昭和43年):麦乾燥施設完成[5]。
- 1973年(昭和48年):酪農団地(リース施設)建設開始。北海道アミー設立(翌年に北海道フーズと改称)[5][12]。馬鈴薯加工施設完成[5]。
- 1974年(昭和49年):アイソトープ照射センター(コバルト照射センター)完成[13]。種子馬鈴薯貯蔵庫建設[7]。
- 1976年(昭和51年):埼玉県熊谷市に消費地出荷施設(野菜消費地貯蔵施設、馬鈴薯冷凍食品貯蔵施設など)完成[5][7]。
- 1985年(昭和60年):土壌診断センター建設[7]。
- 1986年(昭和61年):溶液栽培団地施設(寒地バイテク研究所)建設開始[7]。
- 1987年(昭和62年):食肉加工処理施設(士幌町振興公社)完成[9]。
- 1989年(平成元年):埼玉県東松山市にポテトチップスの工場(現在のポテトフーズ関東工場)操業開始[14][15]。
- 1991年(平成 3年):農協記念館開館。
- 2001年(平成13年):環境対応型の澱粉工場に建替。
- 2005年(平成17年):公正取引委員会が組合員に対する不公正な取引方法の疑いで検査(翌年に警告を受ける)[16][17]。
- 2013年(平成25年):JA士幌町が事業主体となる個別型バイオガスプラント建設[18]。
施設
[編集]- 本部事務所 - 河東郡士幌町字士幌西2線159
- 下居辺事業所 - 河東郡士幌町字下居辺西2線136
- 上居辺事業所 - 河東郡士幌町字士幌東7線173
- 中士幌事業所 - 河東郡士幌町字中士幌西2線78
- 西上事業所 - 河東郡士幌町字上音更西3線229
- 新田事業所 - 河東郡士幌町字上音更西12線17
- 佐倉事業所 - 河東郡士幌町字士幌東7線134
- 購買店舗(Aコープ士幌店 ASPO) - 河東郡士幌町字士幌西2線161
- 旬菜酒房 和(なごみ) - 河東郡士幌町字士幌西2線161
- 農協記念館 - 河東郡士幌町字士幌225
- ガス工場 - 河東郡士幌町字士幌西1線160
- 士幌給油所 - 河東郡士幌町字士幌西2線144
- 農業資材館 - 河東郡士幌町字士幌西2線159
- 倉庫事務所 - 河東郡士幌町字士幌西1線161
- 澱粉工場 - 河東郡士幌町字士幌西1線160
- 寒地バイテク研究所 - 河東郡士幌町字士幌幹東1線152-1
- 種子馬鈴薯 受入事務所 - 河東郡士幌町字士幌幹東1線150
- 土壌診断センター - 河東郡士幌町字士幌西2線161
- コバルト照射センター - 河東郡士幌町字士幌234-1
- 食用馬鈴薯貯蔵施設 管理事務所 - 河東郡士幌町字士幌234-1
- 食用馬鈴薯 受入事務所 - 河東郡士幌町字士幌西2線142
- 食肉処理施設(士幌町振興公社) - 河東郡士幌町字士幌幹線147
- 畜産総合施設 - 河東郡士幌町字士幌西2線161
- 苫小牧農業倉庫 - 苫小牧市沼ノ端中央6丁目12-50
- 釧路農業倉庫 - 釧路市貝塚3丁目
- 熊谷市消費地出荷施設 - 埼玉県熊谷市久保島602
子会社
[編集]- 北斗運輸株式会社
- 株式会社士幌町振興公社
- 株式会社エーコープサービス
主な生産品
[編集]関連項目
[編集]- 日本の農業協同組合一覧
- なつぞら - 2019年度上期連続テレビ小説(NHK) 。ヒロインの育ての親(演・藤木直人)が勤務する「音問別農協」のモデルの一つとされる。[19]
脚注
[編集]- ^ a b 事業概要 2018, p. 5.
- ^ a b 事業概要 2018, p. 6.
- ^ a b “【現地レポート・JA士幌町(北海道)】大手資本の搾取排し「農村ユートピア」創造(1)<JA士幌町の挑戦>”. 農業協同組合新聞 (農協協会). (2018年1月10日) 2019年1月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g “【現地レポート・JA士幌町(北海道)】大手資本の搾取排し「農村ユートピア」創造(2)<JA士幌町の挑戦>”. 農業協同組合新聞 (農協協会). (2018年1月10日) 2019年1月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “【現地レポート・JA士幌町(北海道)】大手資本の搾取排し「農村ユートピア」創造(3)<JA士幌町の挑戦>”. 農業協同組合新聞 (農協協会). (2018年1月10日) 2019年1月28日閲覧。
- ^ a b 土門剛 1995, p. 1.
- ^ a b c d e “畑作物加工施設のご紹介”. 士幌町農業協同組合. 2019年1月28日閲覧。
- ^ 土門剛 1995, p. 2.
- ^ a b c d “畜産物加工施設のご紹介”. 士幌町農業協同組合. 2019年1月28日閲覧。
- ^ 伊藤均 2014, pp. 23–25.
- ^ “北海道新聞文化賞”. 北海道新聞社. 2023年12月22日閲覧。
- ^ “会社概要”. 北海道フーズ. 2019年1月28日閲覧。
- ^ “士幌アイソトープ照射センター 11日から操業を開始”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1974年1月11日). 2019年1月28日閲覧。
- ^ “士幌町農協、首都圏に開発拠点。ポテトチップの埼玉新工場の完工式”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1989年6月17日). 2019年1月28日閲覧。
- ^ “プロフィール”. ポテトフーズ. 2019年1月28日閲覧。
- ^ “取委検査*農協に批判と理解*「囲い込み」「圧力ない」*士幌”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2005年10月26日). 2019年1月28日閲覧。
- ^ “士幌町農業協同組合に対する警告について” (PDF). 公正取引委員会 (2006年7月21日). 2019年1月28日閲覧。
- ^ “士幌町におけるバイオマス事業の展開” (PDF). JA士幌町. 北海道 (2016年7月26日). 2019年1月28日閲覧。
- ^ 「なつぞら」 北の酪農ヒストリー 第20回 「太田寛一の挑戦」(上)~極秘に乳業会社設立に奔走 日本農業新聞 2019年9月24日閲覧
参考資料
[編集]- 土門剛「東洋一の食品コンビナートを建設した 北海道・士幌町農協」(PDF)『農業経営者』、農業技術通信社、1995年8月1日、2019年1月28日閲覧。
- 伊藤均「第50回記念大会特集 食品照射研究の歴史と現状」『食品照射』第49巻、日本食品照射研究協議会、2014年、2019年1月28日閲覧。
- “JA士幌町 資料編” (PDF). 士幌町農業協同組合 (2018年). 2019年1月27日閲覧。