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壱岐市立渡良小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
壱岐市立渡良小学校

2015年(平成27年)4月に
壱岐市立渡良中学校校舎を改修の上移転
地図北緯33度45分24.6秒 東経129度39分46.2秒 / 北緯33.756833度 東経129.662833度 / 33.756833; 129.662833座標: 北緯33度45分24.6秒 東経129度39分46.2秒 / 北緯33.756833度 東経129.662833度 / 33.756833; 129.662833
過去の名称 第五大学区第四中学区渡良小学校
公立中等渡良小学校
石田郡尋常渡良小学校
石田郡渡良尋常小学校
壱岐郡渡良尋常小学校
壱岐郡渡良尋常高等小学校
渡良国民学校
渡良村立渡良小学校
郷ノ浦町立渡良小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 壱岐市
設立年月日 1874年11月16日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210002348 ウィキデータを編集
所在地 811-5154
長崎県壱岐市郷ノ浦町渡良東触144番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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壱岐市立渡良小学校(いきしりつわたらしょうがっこう, Iki City Watara Elementary School)は長崎県壱岐市郷ノ浦町渡良東触にある公立小学校。略称は「渡良小」(わたらしょう)。

概要

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歴史
1874年明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区渡良小学校」を前身とする。2009年平成21年)に創立135周年を迎えた。
校名の由来
渡良」(わたら)という校名は、学校の所在地である渡良地区に由来する。以前渡良村という村があった。この渡良という地名は、その昔「綿」が良く取れていたことから、「渡」という漢字をあて、「綿良」が「渡良」になったと言われている。
校章
校名の由来にもなっている「綿」の花と海のしぶきを組み合わせ図案化したもの。中央に「小」の文字を置いている。1972年昭和42年)に地元の美術家、種田和男によってデザインされた。
校歌
歌詞は3番まであり、2番と3番は「渡良校」で終わる。
通学区域

沿革

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  • 1874年(明治7年)11月16日 - 「第五大学区第四中学区渡良小学校」が開校。校舎には太平寺を利用。
  • 1875年(明治8年)- 渡良沖の大島に大島分校が開校。
  • 1881年(明治14年)- 渡良南触字前坂に新校舎を建設し、移転。
  • 1883年(明治16年)- 「公立中等渡良小学校」と改称。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の改正に伴い、「石田郡尋常渡良小学校」と改称。
  • 1887年(明治20年)- 大島分校が簡易大島小学校と改称。
  • 1892年(明治25年)10月1日 - 「石田郡渡良尋常小学校」と改称。簡易大島小学校が再び大島分校となる。
  • 1893年(明治26年)- 渡良沖の原島に原島分教場を設置。
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 石田郡が壱岐郡に統合され、「壱岐郡渡良尋常小学校」に改称。
  • 1903年(明治36年)2月24日 - 渡良東触字無田原(現在地)に新校舎を建築し、移転。大島分校が分離・独立し、大島尋常小学校となる。
  • 1904年(明治37年)- 原島分教場を廃止。
  • 1906年(明治39年)- 原島分教場を再設置。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 高等科を設置し、「壱岐郡渡良村立渡良尋常高等小学校」と改称。
  • 1911年(明治44年)4月3日 - 校舎を増築。
  • 1916年大正5年)- 原島分教場が原島分校となる。
  • 1917年(大正6年)- 大島尋常小学校が大島分教場となる。
  • 1918年(大正7年)- 渡良沖の長島に長島分校を設置。
  • 1925年(大正14年)4月 - 校舎を増築(裁縫室を含む5教室並びに便所渡り廊下新築)、運動場を整備。
  • 1933年昭和8年)3月30日 - 新校舎1棟5教室が完成。児童数が最大の664名を記録する。
  • 1940年(昭和15年)6月 - 運動場を拡張。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「渡良国民学校」と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革に伴い、「渡良村立渡良小学校」と改称。渡良村立渡良中学校を併設。
  • 1952年(昭和27年)3月22日 - 渡良村立渡良中学校校舎が、小学校隣接地に完成。併設を解消。
  • 1954年(昭和29年)11月16日 - 創立80周年記念祝賀会を挙行。
  • 1955年(昭和30年)2月11日 - 町村合併により、「郷ノ浦町立渡良小学校」と改称。
  • 1964年(昭和39年)- 大島分校が分離・独立し、郷ノ浦町立三島小学校(大島本校)となる。また、原島分校と長島分校を三島小学校へ移管。
  • 1965年(昭和40年)8月21日 - 校舎を全面的に大改築。校地拡張。
  • 1968年(昭和43年)5月1日 - 観察用池並びに噴水が完成。
  • 1970年(昭和45年)3月1日 - 国旗掲揚塔が完成。
  • 1971年(昭和46年)
    • 2月10日 - 講堂(へき地集会室)が完成。
    • 3月20日 - 「健康」の記念碑が完成。
  • 1973年(昭和48年)11月16日 - 創立100周年記念式典を挙行。
    • 記念事業として校旗新調、教育功労者表彰記念ブロンズ像建設、記念造園植樹、生活文化資料保存、学校沿革史編集、小鳥小屋・観察地・岩石園建設等を実施。
  • 1976年(昭和51年)6月24日 - プールを建設。
  • 1981年(昭和56年)11月6日 - 運動場かさあげ工事を実施。
  • 1983年(昭和58年)8月29日 - 講堂を体育館に改修。
  • 1989年平成元年)11月20日 - 屋内消火栓を設置。
  • 1991年(平成3年)10月18日 - 造形砂場、体力づくり施設を設置。
  • 1992年(平成4年)12月22日 - 水洗便所を新設。
  • 1993年(平成5年)3月4日 - 駐車場、倉庫を新設。
  • 1994年(平成6年)
  • 1996年(平成6年)11月16日 - 創立120周年学芸発表会を実施。
  • 1997年(平成9年)4月1日 - 渡良小・中学校専用駐車場を新設。
  • 1999年(平成11年)
    • 11月20日 - 屋上鉄塔を撤去。
    • 12月1日 - 普通教室を改修し、パソコン室新設。
  • 2000年(平成12年)9月8日 - パソコンのインターネット接続。ジャングルジムを設置。
  • 2001年(平成13年)10月2日 - のぼり棒を設置。
  • 2002年(平成14年)11月12日 - ふるさとふれ合い学習で諫早市立真津山小学校と交流を行う。
  • 2003年(平成15年)9月9日 - ふるさとふれ合い学習で諫早市立本野小学校と交流を行う。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - 町合併により、「壱岐市立渡良小学校」(現在名)と改称。
旧・壱岐市立渡良小学校校舎(北緯33度45分27.7秒 東経129度39分49.7秒 / 北緯33.757694度 東経129.663806度 / 33.757694; 129.663806 (旧・壱岐市立渡良小学校校舎)
(2015年(平成27年)3月末まで)

アクセス

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  • 最寄りのバス停
    • 壱岐交通
      • 「渡良校」バス停下車後すぐ。
        • 郷ノ浦港からは、郷ノ浦「本町」バス停で下車後、反対側のバス停から「渡良」行きのバスに乗車。
        • 芦辺漁港方面からは「郷ノ浦行き(直行)」のバスに乗車し「本町」で下車後、「渡良」行きのバスに乗車。
        • 印通寺港方面からは「郷ノ浦行き」のバスに乗車し「本町」で下車後、「渡良」行きのバスに乗車。
        • 壱岐空港方面からは「郷ノ浦行き」のバスに乗車し「本町」で下車後、「渡良」行きのバスに乗車。
  • 最寄りの国道・県道
    • 長崎県道175号渡良浦初瀬線
      • 郷ノ浦港方面からは、長崎県道25号郷ノ浦港線、長崎県道175号渡良浦初瀬線を北上。
      • 芦辺漁港方面からは、長崎県道23号勝本石田線を南下し、田河校前交差点で右折し県道173号郷ノ浦芦辺線を南下。八畑交差点を直進で過ぎた後の信号で、バイパス(郷ノ浦中学校)方向へ右折、本町交差点で右折。
      • 印通寺港・壱岐空港方面からは国道382号線を通り、西へ進む。八畑交差点を直進で過ぎた後の信号で、バイパス(郷ノ浦中学校)方向へ右折、本町交差点で右折。

周辺

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脚注

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  1. ^ 平成22年度までは、小学校のそばに壱岐市立渡良中学校があったが、規模適正化で旧郷ノ浦町内の武生水初山沼津、そして渡良の4中学校が統合され、壱岐市立郷ノ浦中学校となった。校舎は旧武生水中学校で、渡良地区の中学生は市営スクールバスで通学する。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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