壱岐市立芦辺小学校
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壱岐市立芦辺小学校 | |
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北緯33度48分11秒 東経129度45分41秒 / 北緯33.803194度 東経129.7615度座標: 北緯33度48分11秒 東経129度45分41秒 / 北緯33.803194度 東経129.7615度 | |
過去の名称 |
第五大学区第四中学区諸吉小学校芦辺分校 中下等芦辺小学校 諸吉小学校芦辺分校(再) 尋常諸吉小学校芦辺分教場 芦辺尋常小学校 田河尋常高等小学校芦辺分校 芦辺尋常小学校(再) 田河村立芦辺国民学校 田河村立芦辺小学校 田河町立芦辺小学校 芦辺町立芦辺小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 壱岐市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002482 |
所在地 | 〒811-5301 |
長崎県壱岐市芦辺町芦辺浦546番地 | |
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壱岐市立芦辺小学校(いきしりつ あしべしょうがっこう, Iki City Ashibe Elementary School)は長崎県壱岐市芦辺町芦辺浦にある公立小学校。略称は「芦辺小」、「芦小」。
概要
[編集]- 歴史
- 1876年(明治9年)に開校した「第五大学区第四中学区諸吉小学校(現・壱岐市立田河小学校)芦辺分校」を前身とする。2016年(平成28年)に創立140年を迎えた。
- 学校教育目標
- 「やさしく かしこく たくましい 子どもの育成」
- 校章
- 校名「芦小」の文字を芦の葉の絵で囲んでいる。
- 校歌
- 作詞は松坂直美[1]、作曲は遠藤実による。歌詞は3番まである。歌詞に校名の芦辺は登場しないが、各番とも「楽し学舎(まなびや)われらが母校」で終わる。
- 校区
- 芦辺町芦辺浦、諸吉大石触、中野郷東触の一部。中学校区は壱岐市立芦辺中学校(旧壱岐市立田河中学校)。
沿革
[編集]
- 1876年(明治9年)- 天徳寺に「第五大学区第四中学区諸吉小学校芦辺分校」が開校。
- 1878年(明治11年)- 諸吉小学校より分離し、「中下等芦辺小学校」として独立。
- 1883年(明治16年)- 再び「諸吉小学校芦辺分校」となる。種徳院を校舎として使用。
- 1886年(明治19年)- 芦辺分校が一旦廃止される。
- 1892年(明治25年)- 「尋常諸吉小学校芦辺分教場」が開設。
- 1893年(明治26年)- 諸吉小学校より分離し、「芦辺尋常小学校」として独立。
- 1894年(明治27年)- 校舎を増築。
- 1908年(明治41年)- 小学校令の改正により、尋常科5・6年を設置。(尋常小学校の修業年限が4ヶ年から6ヶ年に延長される)
- 1910年(明治43年)- 現在地(芦辺浦546番地)に校舎を新築し、移転完了。
- 1913年(大正2年)頃 - 芦辺実業補習学校を併置。
- 1917年(大正6年)7月10日 - 真辺教諭が殉職[2]。
- 1927年(昭和2年)- 運動場を拡張。校舎を一棟増築。
- 1928年(昭和3年)4月 - 芦辺実業補習学校の中に修業年限2ヶ年の女子研究科を設置。
- 1929年(昭和4年)- 幼稚園を付設。
- 1931年(昭和6年)- 付設の幼稚園を廃止。
- 1935年(昭和10年)- 「田河尋常高等小学校芦辺分校」となる。青年学校令により、芦辺実業補習学校が芦辺青年学校に改称。
- 1939年(昭和14年)- 田河尋常高等小学校から独立し、再び「芦辺尋常小学校」となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「田河村立芦辺国民学校」となる。高等科を設置。
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)12月 - 旧・芦辺実業補習学校女子研究科を改編し、長崎県立壱岐高等学校田河分校が設置される。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 町村合併[3]により、「芦辺町立芦辺小学校」に改称。
- 1956年(昭和31年)
- 1963年(昭和38年)- ミルク給食を開始。
- 1964年(昭和39年)- 特殊学級(現・特別支援学級)を開設。
- 1968年(昭和43年)- 鉄筋3階建ての新校舎が完成。各教室にテレビを設置し、放送教育を開始。
- 1970年(昭和45年)- 牛乳給食を開始。
- 1974年(昭和49年)- 簡易プールが完成。
- 1976年(昭和51年)- 芦辺小学校少年消防クラブを結成。
- 1977年(昭和52年)- 創立100周年を迎える。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 町村合併により、「壱岐市立芦辺小学校」(現校名)に改称。
- 2017年(平成29年)4月 - 新校舎が完成。完成までの間プレハブ校舎で授業が行われていた。
- 2019年(平成31年)- 新体育館が完成。
アクセス
[編集]- 最寄りの港
- 最寄りのバス停
- 壱岐交通「芦辺郵便局前」バス停
- 最寄りの県道
周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ 旧壱岐市立那賀中学校、旧壱岐市立田河中学校の校歌の作詞も行っている。
- ^ この当時芦辺尋常小学校の訓導(教諭)であった真辺貞雄は清石浜(くよしばま)で水泳指導中に、溺れた児童2名を救助し、自身は亡くなった。その後、慰霊碑が建立された。真辺は香椎村(現・勝本町)の出身で、1907年(明治42年)に師範学校を卒業したのち、勝本尋常小学校、上長崎尋常小学校を経て、芦辺尋常小学校に勤務していた。
- ^ 田河町と那賀村の合併で芦辺町が発足。翌1956年(昭和31年)9月30日に箱崎村も編入。
- ^ 勝本分校と統合の上、長崎県立勝本高等学校(現・長崎県立壱岐商業高等学校)が新設されたことによる。
- ^ 田河分校は、閉校直後の1956年(昭和31年)4月に「芦辺町立芦辺高等文化学院」に生まれかわり、1973年(昭和48年)3月に閉校するまで中卒以上(年齢制限なし)の女子に対して、被服をはじめとする実学教育を行った。
参考文献
[編集]- 「芦辺町史」(1978年(昭和53年)3月1日発行、芦辺町史編集委員会)p.771~ 第7章 教育史
- 壱岐の歴史情報 1800年代 - 壱岐市立一支国博物館ウェブサイト