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外崎千代吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
外崎千代吉

外崎 千代吉(とのさき / とのざき[1] ちよきち、1897年7月20日[2] - 1974年5月14日[1])は、日本政治家衆議院議員(1期)。五所川原市

経歴

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青森県五所川原村出身[3]日本大学政治経済学部に入るが、中退する[3]北海道に渡り、函館の床屋で修業し、理髪店を開業する[3]。五所川原町議、青森県議脇元村村長を経て[1][2][3]1942年第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)で青森2区(当時)から無所属(翼協非推薦)で立候補したが、3,000票余りで落選した[4]。戦後の1946年第22回衆議院議員総選挙でも無所属で立候補したが落選[5]。翌1947年第23回衆議院議員総選挙において青森2区から社会革新党で立候補して当選した[6]。次の1949年第24回衆議院議員総選挙で落選[7]、その後の総選挙でも協同党社会党右派から続けて立候補したが落選が続いた[7]

1954年10月、五所川原市が発足、翌月初代市長に就任した[1][2][3]。就任早々広報紙を発行[2]。翌年3月には嘉瀬村の一部を編入[2]。7月には市章を制定した[2]1956年には8月に金木町の一部、9月には七和村の大部分、11月には鶴田町の一部を編入した[2]1957年には五所川原市で「平和産業大博覧会」が開かれ、42万人の来場者が訪れたが、赤字となった[3]。博覧会の跡地には市営住宅が建設された[2][3]。市長は1期務めた。1960年第29回衆議院議員総選挙において民主社会党(後の民社党)から立候補したが落選した[8]

この他、陸奥タイムス、青森日報、小泊造船の各社長を務め[1][3]、全国農民同盟青森県連合会長や市遺族会会長も務めた[3]1970年勲四等瑞宝章を受章した。1974年死去。

脚注

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  1. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』423頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本の歴代市長』第1巻 209頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『青森県人名事典』、461頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』123頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』134~135頁。
  6. ^ 『朝日選挙大観』449頁。
  7. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』20頁。
  8. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』21頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
公職
先代
新設
五所川原市旗青森県五所川原市長
1954年 - 1958年
次代
山内久三郎