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外松孫太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
外松孫太郎

外松 孫太郎(とまつ まごたろう、1847年9月10日弘化4年8月1日) - 1926年7月13日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍主計総監(のちの主計中将)。貴族院議員、男爵

経歴

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紀州藩士・大堀太右衛門の二男として生れ、同藩士・外松孫左衛門の養子となり、明治5年(1872年)に家督を相続する[1]

明治維新後は和歌山県11等出仕を経て、1877年3月に陸軍省11等出仕となる。以後、会計軍吏副、会計軍吏、一等軍吏、監督補、三等監督、二等監督と昇進。1897年9月、経理局第1課長に就任。同局主計課長、経理局長兼会計監督長などを歴任し、1903年12月、主計監に昇進。日露戦争には大本営野戦経理長官として出征した。

1905年8月、主計総監となり、1909年8月1日には後備役編入となった[2]1914年(大正3年)4月1日に退役した[3]

1907年9月、日露戦の功により男爵位に叙され、1909年12月21日[4]から死去するまで貴族院議員に在任した。墓所は紀州藩菩提寺池上本門寺

栄典

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位階
勲章等

親族

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  • 実父・大堀太右衛門 - 紀州藩士[19]
  • 養父・外松孫左衛門 - 紀州藩士[19]
  • 妻・まさ - 紀州藩士・波切彦四郎の長女[20]
  • 長男 外松亀太郎(陸軍大尉)。前妻は大山たま子(混血の声楽家)、後妻の琴子は子爵三好重臣の孫(重臣の長男とアメリカ女性との子)。
  • 三男・省吾 - 母方の波切家を継ぐ[19]
  • 四男・道之助 - 紀州藩士・西村家を継ぐ[19]
  • 親戚に大堀孝

脚注

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  1. ^ 外松孫太郎『人事興信録. 2版(明41.6刊)』 (人事興信所, 1911)
  2. ^ 『官報』第7831号、明治42年8月2日。
  3. ^ 『官報』第507号、大正3年4月10日。
  4. ^ 『官報』第7950号、明治42年12月22日。
  5. ^ 『官報』第2607号「叙任及辞令」1892年3月12日。
  6. ^ 『官報』第3818号「叙任及辞令」1896年3月25日。
  7. ^ 『官報』第4603号「叙任及辞令」1898年11月1日。
  8. ^ 『官報』第5451号「叙任及辞令」1901年9月2日。
  9. ^ 『官報』第6665号「叙任及辞令」1905年9月15日。
  10. ^ 『官報』第7874号「叙任及辞令」1909年9月21日
  11. ^ 『官報』第4169号「叙任及辞令」1926年7月16日。
  12. ^ 『官報』第2376号「叙任及辞令」1891年6月3日。
  13. ^ 『官報』第3693号「叙任及辞令」1895年10月19日。
  14. ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
  15. ^ 『官報』第4027号「叙任及辞令」1896年11月30日。
  16. ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
  17. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。
  18. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  19. ^ a b c d 外山孫太郎『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月](外山は外松の誤字)
  20. ^ a b 男爵外松亀太郎『現代華族譜要』日本史籍協会, 1929

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
外松(孫太郎)家初代
1907年 - 1926年
次代
外松亀太郎