小田急多摩線
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多摩線 | |||
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多摩線を走行する5000形による急行 (2021年11月 黒川駅) | |||
基本情報 | |||
国 | 日本 | ||
所在地 | 神奈川県、東京都 | ||
起点 | 新百合ヶ丘駅 | ||
終点 | 唐木田駅 | ||
駅数 | 8駅 | ||
路線記号 | OT | ||
開業 | 1974年6月1日 | ||
所有者 | 小田急電鉄 | ||
運営者 | 小田急電鉄 | ||
使用車両 | 小田急電鉄#車両を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 10.6 km | ||
軌間 | 1,067 mm | ||
線路数 | 複線 | ||
電化方式 |
直流1,500 V 架空電車線方式 | ||
最大勾配 | 25 ‰[1][2] | ||
最小曲線半径 | 555 m[1][2] | ||
閉塞方式 | 自動閉塞式 | ||
保安装置 | D-ATS-P | ||
最高速度 | 110 km/h[3][4] | ||
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多摩線(たません)は、神奈川県川崎市麻生区の新百合ヶ丘駅から東京都多摩市の唐木田駅までを結ぶ、小田急電鉄の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はOT。
概要
[編集]停車場・施設・接続路線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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多摩線は1974年開通で、小田急で一番新しい路線であり、京王相模原線(以下「相模原線」)とともに多摩ニュータウンと東京都心方面を結んでいる。開通から30年近くは新百合ヶ丘駅で小田原線との乗り換えが不便などの理由で、多摩ニュータウンから東京都心へのアクセスには京王線に直通して新宿駅 - 多摩センター駅間を結ぶ競合路線で、永山駅 - 多摩センター駅間で当線と併走する相模原線を利用する乗客が多く、京王電鉄に大きな差をつけられていた。
2000年から2018年までは、小田原線を経て東京メトロ千代田線・JR常磐緩行線直通の多摩急行・急行が運行されていたが、現在の新宿行き急行よりも運行本数が少なかった。しかし、小田急主体の沿線開発の進展に伴い年々利用客が増加し、小田原線の複々線化完成(代々木上原駅 - 登戸駅間)による2018年のダイヤ改正では、小田急多摩センター駅 - 新宿駅間を最短33分[5] で結ぶ快速急行や、通勤時間帯の通勤急行、新宿方面への日中の急行、帰宅時間帯及び土休日の快速急行が新設され、新宿方面との直通が強化されている。朝ラッシュ時間帯に関しては、明大前駅付近で速度が落ちる京王線に対して当路線の方が速達性で勝る。全線が高架化されており、踏切は存在しない。
唐木田駅からは相模原駅、およびその先の上溝駅方面への延伸計画がある(後述)。
路線データ
[編集]- 路線距離:10.6 km
- 軌間:1067 mm
- 駅数:8駅(起終点駅含む)
- 複線区間:全線
- 電化区間:全線(直流1,500 V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 最高速度:110 km/h[3][4]
- 建設主体:日本鉄道建設公団(現 独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構)
※ 全線立体交差、踏切は存在せず。
路線概要
[編集]3面6線の新百合ヶ丘駅を発車すると、多摩線は高架を登り右カーブで北西を向き小田原線から分岐する。この曲線は半径555 mで、多摩線最小の曲線となる[1][2]。その先で麻生川と東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線(津久井道)を跨ぎ、切通しに入り五月台駅へ。その先は住宅街を築堤で抜け2面2線の栗平駅に到着。この先から徐々に本来の多摩丘陵の様相が見えてきて山が増えてくるようになり、次の黒川駅を発車すると東京都道・神奈川県道19号町田調布線(鶴川街道)を跨ぎ黒川トンネルを抜ける。黒川トンネルを抜けると新興住宅街はるひ野を左手に見て小田急で最も新しいはるひ野駅へ。この付近から北側に相模原線が見えてくるようになり、この先で諏訪トンネルを抜けて同線と合流して東京都(多摩市)に入る。しばらく多摩ニュータウンを両側に見ながら再び永山トンネルを抜けると2面2線の小田急永山駅に到着する[6]。
小田急永山駅を発車すると相模原線と並走し、東京都道18号府中町田線(鎌倉街道など)を跨ぎ、左カーブで西を向く。切通しであった線路は間もなく高架に変わり、多摩ニュータウンの中心街に入ると2面2線の小田急多摩センター駅に到着する。
小田急多摩センター駅を発車するとすぐに多摩都市モノレール線が跨ぎ、相模原線と別れる。その先は右側は多摩丘陵の山を、左側は多摩ニュータウンを見ながら東京都道158号小山乞田線と並走。右手に府中カントリークラブゴルフ場が見えると間もなく2面3線の唐木田駅へ。唐木田駅の先は喜多見電車区唐木田出張所が広がり、また将来の延伸に備えて町田市北西部方面に線路が延びている。
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唐木田駅 - 車両基地間
歴史
[編集]前史 〜城山線計画〜
[編集]1958年、小田急は鶴川駅を起点とし、町田市図師、淵野辺駅、上溝駅、相模原市田名及び大島を経由し、城山町(現:相模原市緑区)へ至る「城山線」の免許申請を行った[注釈 1][7]。これを契機に、町田市、相模原市、城山町は同年5月に「小田急新路線建設促進協議会」を設置し、新線の建設促進に向けた取組を開始した。開業目標を1961年とした同線は資金面の問題や多摩ニュータウン開発構想の提起により着工に到らなかったが、小田急小田原線から国鉄(その後のJR東日本)横浜線・相模線・愛川町方面への鉄道延伸計画の端緒になったと、町田市や相模原市では評価している[注釈 2]。
多摩ニュータウン開発と多摩線の建設
[編集]1963年7月11日に新住宅市街地開発法が公布され、それに基づき東京都は多摩ニュータウンを開発する計画を立てた。そして、居住者の多くが都心へ通勤することを考慮し、小田急と京王帝都電鉄(現・京王電鉄)の2社にニュータウン鉄道として新線の建設を要請した(計画段階では西武鉄道多摩川線の延長案もあった)。これに先立つ1962年には運輸省都市交通審議会の答申第6号で「喜多見方面より原宿、永田町、日比谷、池ノ端および日暮里の各方面を経て松戸方面へ向かう路線」として「東京8号線」の整備が提案されており、1964年には同区間が「東京9号線」として確定した上で、1972年の同審議会答申第15号[注釈 3] では「橋本-喜多見」間が追加されて、多摩ニュータウンから都心部への整備が進められる事になった。
小田急は当初、都心部から多摩ニュータウンへ最短距離で結ぶべく、喜多見駅から分岐して中野島駅、よみうりランド付近および稲城市内[注釈 4]を経由して多摩中央(現在の「多摩センター駅」のことを指す)、そして「東京9号線」計画で起点駅と策定された橋本駅からさらに西進して城山町[注釈 5]に至る経路を検討し、1964年に喜多見 - 城山間30.5kmの路線免許を申請したが[8]、宅地化が急速に進み、地価が高騰していく中、市街地のど真ん中を貫く新線は歓迎されなかったことなどから、経由地となる狛江市内や稲城市内で地域ぐるみの反対運動が起き[8]、新たに多摩川に架橋する必要が生じる上、相模原線と似た経路となることから、その後百合ヶ丘駅付近から分岐することに計画を変更した[9]。しかし、百合ヶ丘付近にはS字カーブがあり、輸送のネックが生ずることが予想されたことから、路線の付け替えを行い、その途中に分岐駅となる新百合ヶ丘駅を設置することとし、上記の答申第15号で同駅での分岐が明記された。そして小田急は1967年に新百合ヶ丘 - 城山間の路線免許を取得した。
こうして1974年6月1日に新百合ヶ丘 - 小田急永山間、続いて1975年4月23日には小田急永山 - 小田急多摩センター間が開業した。しかし、小田原線の線路容量が逼迫していることもあって、多摩線のほとんどの列車は線内折り返しで運転せざるを得ず、朝ラッシュ時のわずかの各停を除き、新宿方面へは新百合ヶ丘駅で乗り換えが必要となった。一方の多摩ニュータウンに並行して乗り入れている相模原線が開業当初から都心方面(新宿駅・都営新宿線)への直通列車を運転していたことと、さらに2005年3月20日の小田急線運賃改定まで小田急多摩センター - 小田急永山間の運賃と京王多摩センター - 京王永山間の運賃に差異もある(大人初乗り運賃で京王が130円に対して小田急は140円であった)ことから、小田急多摩線は相模原線に相当数の乗客を奪われていた。そのため、日中はあたかも地方ローカル線のような線内列車(2両編成が主だった1980年代には15分間隔で4両編成が運転された)のみが行き来する閑散路線と化していた。小田急で最後に開業した路線にもかかわらず、車両は1980年代まで18m級の2400形などが主力で、それで十分の輸送量しかなかったのである。
小田急による多摩線沿線の開発
[編集]一方、小田急は多摩線の開発と関連してその沿線に住宅都市を建設する構想をたて、1970年ごろから具体化に動き出していた。ちょうどそのころ多摩ニュータウンではごく一部ながら入居が始まり、周辺には百合ヶ丘、鶴川、平尾などの開発が終わった大規模住宅地があったことから、多摩線の建設と相まって多摩丘陵の開発が促進されるのは必至であった。これをそのまま放置すればスプロール化により、将来近代的な市街地として発展するうえで大きな障害となることが予想された。これを未然に防ぐため、小田急は地元一体となり土地区画整理事業を行い、広範囲にわたりインフラ整備と宅地の利用増進をはかり、理想的な街づくりをしようと計画したのである[10]。
計画区域は新百合ヶ丘駅周辺から、多摩線に沿った黒川駅付近までの東西約6km・南北約1kmが設定された。このエリアを黒川第一、栗木第一、柿生第一、柿生第二、西百合ヶ丘、黒川第二、真光寺、栗木第二の8ブロックに分け、それぞれのブロックで地元地権者と協力して組合を設立し、土地区画整理事業を施工するという形で開発が行われた。この手法は、同じ鉄道会社のものとしては1960年代に始まった東京急行電鉄(現:東急および東急電鉄)の「多摩田園都市」でも用いられたものであるが、小田急としては初めてのことだった。ただし、このうち新百合ヶ丘駅周辺の西百合ヶ丘ブロックは川崎市が、多摩ニュータウンに隣接する黒川第二・真光寺ブロックは日本住宅公団(後のUR都市機構)がそれぞれ施行することになり、これらのブロックで小田急は一組合員としての参加になった[10]。
こうして1971年8月に柿生第二ブロックにおいて組合が設立され、着工したのを皮切りに、他のブロックにおいても次々と組合が設立・着工した。柿生第二ブロックでは、小田急が取得した保留地において「栗平邸宅街」の分譲が1977年に行われ、全139区画が即日完売するという好評さであった[10]。最後まで残った黒川第二・真光寺ブロックにおいてもUR都市機構により「黒川特定土地区画整理事業」が施行され、その街びらきに合わせた2004年12月11日にはるひ野駅が開業した。このような開発の進展とともに沿線人口は増加し、かつてのローカル線のイメージは払拭されつつある。
唐木田への延伸
[編集]新百合ヶ丘 - 小田急多摩センター間の開通後の多摩ニュータウンでは、関係自治体からの要求やオイルショックが相まって、人口密度を大幅に減らす決定がなされていた。かつての住宅不足の解決を目的とした団地のような画一的な中高層住宅の大量建設ではなく、定住性を重視したゆったりとした住宅の建設が志向されるようになり、実際に1980年代に入ると戸建てのような低層集合住宅「タウンハウス」が次々に建てられていった。こうしたことから当初の計画における輸送量は見込めず、なおかつ京王と競合する多摩センター - 橋本間の延伸には小田急は着手しなかった。そして1987年に城山まで所持していた路線免許の失効をもって、この区間への延伸は正式に断念された。
一方で多摩ニュータウン開発が進展するなか、京王と競合しない唐木田地区へと多摩線は延伸されることになった。唐木田地区の既存住民が、清掃工場の建設を受け入れることとの引き換えに、唐木田への多摩線の延伸を要求したからともいわれる。この工事は1987年12月に着手され、小田急多摩センター - 唐木田間の延伸工事とともに、車両基地の工事が行われた。車両基地の建設に当たっては、建設地がもともと丘陵地であり全体として標高が高いことから、深さ25メートルの掘り下げが行われた。ここで発生した土の量は約76万立方メートルで、10tダンプ約14万台分にも及ぶ。最初に約15メートルを掘り下げ、擁壁として機能させる円柱の杭を車庫となる場所の周囲に329本設置したのち、その内側を更に10メートル掘り下げるという手法で行われた[11]。
こうして、多摩ニュータウン唐木田地区の街びらきに合わせた1990年3月27日に唐木田駅が開業した。開業当初の利用客は、同線開業に先立つ1988年に同駅付近に開学した大妻女子大学多摩キャンパスの学生が多かったが、唐木田地区の入居が進むにつれ徐々に乗降客数は増えた。同時に車両基地の稼働も開始され、小田急線の車両運用上でも重要な役割を果たすようになった。また、車両基地内の配線はさらに南西の町田市西部・相模原市方面への延長が可能なように設定された[11]。
都心方面への直通運転の開始
[編集]2000年12月2日、営団地下鉄(現:東京地下鉄)千代田線への相互乗り入れを行う急行が新設され、当初の「東京9号線」構想が実現した。その後も小田原線での複々線化などの改良が進むなか、2002年3月23日には千代田線直通の多摩急行が新設、2004年12月11日にははるひ野駅開業と同時に新宿方面とを結ぶ区間準急が設定された。先述した運賃についても加算運賃の廃止や旅客運賃の値下げから大人初乗り運賃が京王より安い120円となった[注釈 6]。このように相模原線に対する多摩線の競争力が増すことで、多摩線の劣勢が鮮明だった多摩センター駅においても、多摩線の乗降客数が相模原線のそれの半数程度まで追い上げる結果となっている。
東日本大震災の影響
[編集]2011年3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原子力発電所などの停止にともない実施された輪番停電(計画停電)では、小田急電鉄のほか多くの鉄道路線でも運休などの対応が取られたが、多摩線では小田原線と比べ利用者が少ないことなどから、初日の3月14日は終日運休(小田原線の新宿-経堂以外も終日運休)。2日目の3月15日は11:30 - 22:30の間運休(他路線は19:30には運転開始)となった[注釈 7]。他の運休路線と異なり都心通勤通学圏内である多摩線の利用客を軽視したと取られる対応に対して多くの質問(クレーム)がよせられたようで、3日目の3月16日からは多摩線を終日運行(他路線は3月18日まで運休あり)とし、同日に小田急電鉄のホームページに、他の運休区間などもあわせ理解を求める文章を掲載した[12]。
千代田線直通から新宿方面直通への転換
[編集]2016年3月26日には新宿方面とを結ぶ区間準急を廃止するとともに千代田線直通の急行が増発され、多摩線と千代田線との結びつきはより強いものとなっていたが、小田原線の複々線化完成に伴う2018年3月のダイヤ改正で一変する。この改正で、朝の通勤時間帯において小田急多摩センター - 新宿間を最短33分、ラッシュピーク時でも40分で結ぶ通勤急行の新設や、帰宅時間帯における新宿発の快速急行の新設、新百合ヶ丘駅における小田原線優等列車との接続強化[13] など、多摩線の大幅な利便性向上を打ち出したものとされたが、その一方で千代田線直通については急行および多摩急行は廃止され(日中の急行は新宿方面に変更)、他の千代田線直通列車も平日朝の下り各駅停車1本のみを残して全廃となり、多摩線の優等列車は千代田線直通から新宿方面直通に転換されることとなった。ただし、2020年3月のダイヤ改正から2022年3月まで、平日朝の直通列車に代わって、常磐緩行線発の唐木田行き急行が土休日朝1本のみ設定されていた。2022年3月のダイヤ変更により、千代田線直通列車は完全に消滅したことから新百合ヶ丘発着列車を除き、全ての列車が新宿方面直通列車となった。
年表
[編集]- 1967年(昭和42年)12月:新百合ヶ丘 - 小田急多摩センター間の地方鉄道敷設免許を取得[2]。
- 1970年(昭和45年)6月:自社工事として、多摩線の建設工事に着手[2]。
- 1972年(昭和47年):日本鉄道建設公団の民鉄線方式の建設路線となる[2]。
- 1974年(昭和49年)6月1日:小田急電鉄多摩線として新百合ヶ丘 - 小田急永山間開業[14]。各駅停車のみの運行。当時小田原線・江ノ島線では対キロ制運賃が採用されていたが、多摩線においては独自の対キロ区間制運賃が採用された[15]。
- 1975年(昭和50年)4月23日:小田急永山 - 小田急多摩センター間開業[16]。
- 1979年(昭和54年)
- 1986年(昭和61年)8月:小田急多摩センター - 唐木田間の地方鉄道敷設免許を申請[2]。
- 1987年(昭和62年)3月:前述区間の敷設免許を取得、同年12月から建設工事に着手[2]。
- 1990年(平成2年)3月27日:小田急多摩センター - 唐木田間開業[17]。唐木田駅の南西側で「経堂検車区唐木田出張所」が運用開始。
- 1991年(平成3年)10月11日:台風の影響により黒川 - 小田急永山間にて土砂崩れが発生。10月13日まで不通となる。この事故で2600形初代2671x6のクハ2871、サハ2771が廃車となった。
- 1994年(平成6年)3月27日:唐木田の車両基地が「喜多見検車区唐木田出張所」に改称。
- 1998年(平成10年)9月16日:台風の影響により黒川 - 小田急永山間にて土砂崩れが発生。
- 2000年(平成12年)12月2日:夕方のラッシュ時限定で新宿駅発の特急ロマンスカー「ホームウェイ」の運行開始(多摩線で特急ロマンスカーが毎日運行となる)。また同時に小田原線を経由して営団地下鉄(現:東京地下鉄)千代田線に乗り入れる急行の運行開始。停車駅は特急・急行共に新百合ヶ丘駅・小田急永山駅・小田急多摩センター駅・唐木田駅。
- 2002年(平成14年)3月23日:小田原線を経由して営団地下鉄(現:東京地下鉄)千代田線に乗り入れる多摩急行の運行開始。停車駅は新百合ヶ丘駅・栗平駅・小田急永山駅・小田急多摩センター駅・唐木田駅。
- 2003年(平成15年)3月29日:栗平駅が急行停車駅に加えられる。これにより、多摩線内の急行と多摩急行の停車駅が同じとなる。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)3月20日:運賃改定に伴い多摩線加算運賃を同日利用分から廃止(定期運賃の加算運賃は4月1日以降利用分から廃止)。
- 2006年(平成18年)1月31日:五月台・栗平・黒川・小田急永山・小田急多摩センターの各駅のホームの屋根に太陽光発電装置が設置され、「省電力」化が開始される。
- 2008年(平成20年)3月15日:平日夕方のラッシュ時限定で千代田線北千住発の特急ロマンスカー「メトロホームウェイ」の運行開始。
- 2011年(平成23年)
- 2014年(平成26年)
- 2016年(平成28年)3月26日:ダイヤ改正。日中の千代田線・常磐線直通列車が多摩急行から急行に変更されるとともに、毎時2本→3本に増強された[22]。同時に、東日本旅客鉄道(JR東日本)のE233系2000番台が当線に乗り入れ、逆に小田急の4000形が常磐線に乗り入れる。また、土休日早朝に1本だけ多摩線では、史上初となる新宿行きの急行が新設された一方、新宿発着の区間準急、唐木田行きの特急ロマンスカー「ホームウェイ」・「メトロホームウェイ」は廃止となった。なお、平日の「ホームウェイ」・「メトロホームウェイ」は新百合ヶ丘駅3番線で着発し、多摩線の列車と同一ホーム上で乗り換えができるよう配慮はされている。
- 2018年(平成30年)3月17日:ダイヤ改正[23][24]。快速急行・通勤急行が新設、多摩急行・準急が廃止され、優等列車がすべて千代田線直通から新宿方面直通へと変更。通勤急行は唐木田始発のほか、小田急多摩センター始発が設定される。
- 2020年(令和2年)3月14日:ダイヤ改正[25]。新百合ヶ丘駅で種別変更し、新百合ヶ丘駅 - 唐木田駅間を各駅停車として運転する急行が設定された。
- 2022年(令和4年)3月12日:ダイヤ変更により、新百合ヶ丘発着列車を除き、全て千代田線直通列車から新宿方面直通列車へと変更。
列車種別
[編集]2018年3月17日のダイヤ改正時点で、快速急行・通勤急行・急行・各駅停車の4種類の列車種別が存在する。途中駅に待避・折り返しの設備がないため、線内で先行列車を追い越す列車、途中駅で折り返す列車は設定されていない。2018年3月17日より快速急行・通勤急行及び小田急多摩センター始発列車が設定されている[23][24]。それぞれの種別色(カラーコード)は、「小田急小田原線」を参照(特急ロマンスカーと一部の列車種別を除く)。
快速急行
[編集]2022年3月12日現在、平日朝下り3本、平日夜下り1本、休日朝上り2本のみ設定されている。新宿駅 - 唐木田駅間の途中停車駅は、代々木上原駅・下北沢駅・登戸駅・新百合ヶ丘駅・栗平駅・小田急永山駅・小田急多摩センター駅。列車番号は3700番台である[26]。
2018年3月17日のダイヤ改正で新宿駅発着として平日朝夕下り、土休日朝下り・上りと夜下りに設定された[23][24][27]が、2022年3月12日のダイヤ変更で前述の6本を除いて急行に置き換えられた。
通勤急行
[編集]2018年3月17日のダイヤ改正から新設された(運転開始は3月19日)[23][24]。朝方上り方面のみの運行。唐木田駅 - 新宿駅間の途中停車駅は、小田急多摩センター駅・小田急永山駅・栗平駅・新百合ヶ丘駅・向ヶ丘遊園駅・成城学園前駅・下北沢駅・代々木上原駅。快速急行の停車駅のうち登戸駅を通過し、快速急行通過駅である向ヶ丘遊園駅と成城学園前駅に停まる千鳥停車を採用している。6本が小田急多摩センター始発、3本が唐木田始発である。列車番号は唐木田発および小田原線内の全列車が3800番台、小田急多摩センター発の多摩線内は3900番台である[26]。
急行
[編集]2000年12月2日のダイヤ改正から多摩線での定期運行が始まった。新宿駅 - 唐木田駅間の運転が中心となっている。
日中は上下ともに新百合ヶ丘駅で各駅停車に種別変更を行い新百合ヶ丘駅 - 唐木田駅間を各駅停車で運転する。2022年3月11日までは、平日朝上り・夜間下りと土休日日中上りのみこのような列車が設定されていた。
列車番号は新宿発着の列車が2700番台、それ以外の列車が2900番台である[26]。新宿駅 - 唐木田駅間の途中停車駅は、代々木上原駅・下北沢駅・経堂駅・成城学園前駅・登戸駅・向ヶ丘遊園駅・新百合ヶ丘駅・栗平駅・小田急永山駅・小田急多摩センター駅。基本的に10両編成で運行されるが、線内完結列車では6両編成での運行もある。
2000年12月2日の運行開始時は、朝に千代田線直通の綾瀬駅行き1本が設定されるのみだったが、その後千代田線直通列車が多摩線発着を主体としたことで順次増発された。2016年3月26日のダイヤ改正で日中時間帯の多摩急行を置き換える形で大幅に増発されたほか、土休日に新宿行きの列車も設定された。
2018年3月17日のダイヤ改正で運行形態が変更され、千代田線・常磐線直通列車が廃止されたが[23][24]、2020年3月14日のダイヤ改正で、土休日に下り1本のみながら常磐線・千代田線から直通する列車が再設定されたが[注釈 9]、2022年3月12日のダイヤ変更で廃止された。
2020年3月14日のダイヤ改正で、平日夜間及び土休日日中に、多摩線内は各駅停車に種別変更する列車が設定された[25]。
2022年3月12日のダイヤ変更で、日中の全列車が多摩線内は各駅停車に種別変更されるようになった。
各駅停車
[編集]線内折り返しの列車が基本だが、2022年3月12日現在、新宿駅 - 唐木田駅間通して各駅停車で運転される列車が下りは深夜帯平日5本・土休日に4本、上りは毎日早朝に3本と土休日の11時台に1本それぞれ設定されている。また新百合ヶ丘駅で急行から種別変更し各駅停車となる列車も多い(急行の項目を参照)。6 - 10両編成で運転される。
2018年3月17日のダイヤ改正でラッシュ時間帯および日中の各駅停車の本数が減少した。
2020年3月14日のダイヤ改正で、平日夜間及び土休日日中の一部列車が、小田原線内は急行となる新宿駅発着の列車に置き換えられたため、当該時間帯の本数が減少した。
2022年3月12日のダイヤ変更で、平日日中の一部列車が、小田原線内は急行となる新宿駅発着の列車に置き換えられたため、当該時間帯の本数が減少した。
列車番号は多摩線完結列車が7600番台、小田原線直通列車が7900番台となる[28]。
運行本数
[編集]日中の1時間ごとの運行本数をまとめると、以下のとおりになる(2022年3月12日ダイヤ変更時点)。
種別\駅名 | 新宿 | … | 新百合ヶ丘 | … | 唐木田 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
運行本数 | 急行 | 3本 | 3本 | 新百合ヶ丘駅 - 唐木田駅間は各駅停車として運転 | ||||
各駅停車 | 3本 |
過去の列車種別
[編集]特急ロマンスカー
[編集]2000年12月2日のダイヤ改正より、多摩線内で新宿発の下り「ホームウェイ」の運行を開始した。当初は1日1本のみであったが、2002年3月23日のダイヤ改正で1日2本となり、2003年3月29日のダイヤ改正から平日3本と土休日2本が設定された。さらに2008年3月15日からは平日のみ東京メトロ千代田線北千住駅始発の「メトロホームウェイ」が1本運転され、新宿発を置き換えた(3本→2本)。
その後、2012年3月17日のダイヤ改正で、多摩線方面のホームウェイ・メトロホームウェイは平日のみの運行となり、さらに2016年3月26日のダイヤ改正で、多摩線内を運行する列車はすべて廃止された[注釈 10]。
なお、唐木田発の上り列車が定期運行されたことは無い。また、線内では登場時点での急行と同じ停車駅であったが、2003年に急行が栗平駅に停車するようになっても登場当時のまま停車駅が変わらなかったため、定期列車で栗平駅を通過した最後の種別である。
区間準急
[編集]2004年12月11日のダイヤ改正より従来の各駅停車の一部を置き換えて登場した種別で、多摩線内はすべての駅に停車し新宿駅まで運行された。平日は上り14本・下り13本、土曜・休日は上り17本・下り18本が運転されていた。8両編成での運転が基本だが、下り3本、上り1本は6両編成で運転された。2016年3月26日のダイヤ改正をもって廃止された。
準急
[編集]2014年3月15日ダイヤ改正より、平日朝下り1本の新宿発の準急が設定され、多摩線内はすべての駅に停車した[19][20]。2018年3月17日ダイヤ改正で多摩線での運転は廃止された[23][24]。
多摩急行
[編集]2002年3月23日のダイヤ改正より運行を開始した種別である。唐木田駅から小田原線を経由して、東京メトロ千代田線に直通し、千代田線綾瀬駅発着とJR東日本常磐線松戸駅・柏駅・我孫子駅発着及び取手発の列車があった。多摩線内の停車駅は急行と同一であったが、小田原線内の通過駅は異なり、向ヶ丘遊園駅を通過し、経堂駅に停車していた。
2016年3月26日のダイヤ改正で、向ヶ丘遊園駅停車のため急行の運転に変更された影響で日中時間帯の設定が無くなり、これ以外の時間帯に限られた。このため大幅に本数が減り、平日は下り17本・上り12本、土休日は下り12本・上り10本となった。
2016年3月26日のダイヤ改正までは日中は唯一の速達列車であり、平日は上り26本・下り32本、土曜・休日は上り24本・下り26本が運転されていた。平日の朝ラッシュ時の上りは運転せず、急行を運転していた。
2018年3月17日のダイヤ改正で廃止された[23][24]。
臨時列車
[編集]特急ロマンスカー
[編集]江の島・鎌倉エクスプレス
湘南マリンエクスプレス
湘南マリン
多摩大山もみじ号
千代田線直通臨時列車
[編集]初詣&初日の出号
- 毎年12月31日、唐木田駅→千代田線綾瀬駅間で運行される。停車駅は、多摩急行と同じ。
ドラゴン号
車両
[編集]自社車両
[編集]通勤型
[編集]-
1000形
-
2000形
-
3000形
-
4000形
-
5000形
-
8000形
過去の自社車両
[編集]特急型
[編集]定期的な乗り入れはない。
-
30000形「EXE」
-
30000形「EXEα」
-
50000形「VSE」
-
60000形「MSE」
-
70000形「GSE」
過去の乗り入れ車両
[編集]全て通勤型である。2018年3月16日をもって多摩線への乗り入れは終了した。
東京地下鉄
[編集]-
東京メトロ16000系
-
東京メトロ06系
-
東京メトロ6000系
東日本旅客鉄道
[編集]- E233系2000番台 - 2016年 - 2018年
-
E233系2000番台
女性専用車
[編集]女性専用車は、平日朝7:30 - 9:30に新宿駅に到着する上り通勤急行・急行の進行方向最後尾1号車に設定されている。
駅一覧
[編集]- 凡例
-
- 停車駅 - ●:停車、|:通過、↑:上り方向通過(通勤急行のみ)
- 待避設備 - ◇:あり、空欄:なし
駅番号 | 駅名 | 改札鋏 [30] |
駅間 キロ |
累計キロ | 急行 | 通勤急行 | 快速急行 | 接続路線 | 待避設備 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
新百合ヶ丘 から |
新宿 から | ||||||||||
OH23 | 新百合ヶ丘駅 | - | 0.0 | 21.5 | ● | ● | ● | 小田急電鉄: 小田原線(新宿駅まで直通運転) | ◇ | 神奈川県 川崎市 麻生区 | |
OT01 | 五月台駅 | 1.5 | 1.5 | 23.0 | | | ↑ | | | ||||
OT02 | 栗平駅 | 1.3 | 2.8 | 24.3 | ● | ● | ● | ||||
OT03 | 黒川駅 | 1.3 | 4.1 | 25.6 | | | ↑ | | | ||||
OT04 | はるひ野駅 | 0.8 | 4.9 | 26.4 | | | ↑ | | | ||||
OT05 | 小田急永山駅 | 1.9 | 6.8 | 28.3 | ● | ● | ● | 京王電鉄: 相模原線(京王永山駅:KO40) | 東京都 多摩市 | ||
OT06 | 小田急多摩センター駅 | 2.3 | 9.1 | 30.6 | ● | ● | ● | 京王電鉄: 相模原線(京王多摩センター駅:KO41) 多摩都市モノレール: 多摩都市モノレール線(多摩センター駅:TT01) |
|||
OT07 | 唐木田駅 | 1.5 | 10.6 | 32.1 | ● | ● | ● |
多摩線沿線の土地区画整理事業一覧
[編集]川崎市土地区画整理事業完了地区概要[31] による。多摩ニュータウンにおける土地区画整理事業は「多摩ニュータウン#施行事業一覧」を参照のこと。
- 柿生第二土地区画整理事業
- 施行者:柿生第二土地区画整理組合
- 施行面積:約32.8ha
- 事業期間:1971年 - 1976年度
- 総事業費:2,890,000千円
- 合算減歩率:40.2%
- 公共減歩率:18.5%
- 栗木第一土地区画整理事業
- 施行者:栗木第一土地区画整理組合
- 施行面積:約63.8ha
- 事業期間:1972年 - 1982年度
- 総事業費:8,790,605千円
- 合算減歩率:46.5%
- 公共減歩率:19.4%
- 黒川第一土地区画整理事業
- 施行者:黒川第一土地区画整理組合
- 施行面積:約9.4ha
- 事業期間:1974年 - 1979年度
- 総事業費:1,584,500千円
- 合算減歩率:50.1%
- 公共減歩率:26.5%
- 川崎都市計画新百合丘駅周辺特定土地区画整理事業
- 施行者:新百合丘駅周辺特定土地区画整理組合
- 施行面積:約46.4ha
- 事業期間:1977年 - 1984年度
- 総事業費:13,610,065千円
- 合算減歩率:38.2%
- 公共減歩率:24.1%
- 柿生第一土地区画整理事業
- 施行者:柿生第一土地区画整理組合
- 施行面積:約45.7ha
- 事業期間:1977年 - 1982年度
- 総事業費:8,616,163千円
- 合算減歩率:49.1%
- 公共減歩率:25.0%
- 栗木第二土地区画整理事業
- 施行者:栗木第二土地区画整理組合
- 施行面積:約44.2ha
- 事業期間:1986年 - 2001年度
- 総事業費:22,690,000千円
- 合算減歩率:41.0%
- 公共減歩率:15.1%
- 黒川特定土地区画整理事業
- 施行者:UR都市機構
- 施行面積:約80.5ha
- 事業期間:1991年 - 2010年度(換地処分公告は2006年3月12日)
- 総事業費:42,162,503千円
- 合算減歩率:52.9%
- 公共減歩率:31.5%
その他
[編集]相模原延伸計画
[編集]唐木田から横浜線・相模線方面への延伸が、2000年の運輸政策審議会答申第18号(現・交通政策審議会)で今後整備を検討すべき路線として位置づけられている[32]。2006年5月に神奈川県相模原市にある在日米軍相模総合補給廠の一部返還が決まったことにより、相模原市と町田市は延伸の実現に向けた具体的な検討を行うため、同年11月に「小田急多摩線延伸検討会」を設置した[33]。そして2014年5月26日、両市は多摩線延伸推進に関する覚書を取り交わし、中央新幹線開業が予定される2027年までの実現を目指すとした[21]。
2014年5月に「小田急多摩線延伸計画に関する研究会」から発表された経路は次の通りである[33]。唐木田駅から東京都道158号小山乞田線(尾根幹線道路)と交差し、町田市に入る。そして小山田・常盤地区を抜け、東京都道47号八王子町田線(町田街道)と交差、相模総合補給廠(経路上は返還される予定)を縦断し、相模原駅で横浜線と交差、その先は相模原市の中心部を抜け、相模線上溝駅へ向かう。そのうち、相模原駅と上溝駅に駅を増設、さらに町田市内に新駅が一つ設置されることになっており、費用などの観点から小山田地区への設置が想定されている。この計画では事業費用を1,080億円と試算しており、開業後40年以内で黒字化できるとしている。
しかし、2019年5月に開催された「小田急多摩線延伸に関する関係者会議」では、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が国と地方自治体から整備費の3分の2の補助を受けて路線を整備し、小田急は使用料を払って路線を借りて列車を運行する都市鉄道利便増進事業制度の採用を前提に、概算建設費が1,300億円、黒字化の達成は42年と試算されたことが公表された[34]。これでは都市鉄道利便増進事業制度を適用できる目安である30年を越えてしまうため、第1期整備区間として相模原駅まで部分開業して、概算建設費を870億円に抑え黒字化の達成を26年に短縮してから、第2期整備区間として上溝駅まで開業するよう変更された[35][36]。
相模原市・厚木市・愛川町・清川村からは、さらに愛川町・厚木市を経由して本厚木駅に至る路線の建設も要望されている[37]。神奈川県鉄道輸送力増強促進会議でも2016年度小田急電鉄向け要望書にて上溝駅方面への延伸の早期実現化とともに、本厚木駅に至る路線の建設を要望している[38] が、小田急は現在唐木田駅以遠への延伸は建設費や採算面などで難色を示している[38]。
年表
[編集]- 2000年(平成12年)1月 - 運輸政策審議会答申第18号において、「唐木田駅から横浜線・相模線方面への延伸について、今後整備について検討すべき路線」に位置づけ
- 2005年(平成17年)8月 - 都市鉄道等利便増進法の施行
- 2006年(平成18年)5月 - 在日米軍再編協議において相模総合補給廠の一部返還が基本合意
- 2006年(平成18年)11月 - 「小田急多摩線延伸検討会」発足
- 2008年(平成20年)6月 - 日米合同委員会において相模総合補給廠の一部返還が正式合意
- 2012年(平成24年)7月 - 「小田急多摩線延伸計画に関する研究会」発足
- 2014年(平成26年)5月 - 「小田急多摩線延伸計画に関する研究会」報告書の公表、小田急多摩線延伸の推進に関する覚書の締結(町田市、相模原市)
- 2014年(平成26年)9月 - 相模総合補給廠の一部が国へ返還
- 2016年(平成28年)4月 - 交通政策審議会答申第198号において、「地域の成長に応じた鉄道ネットワークの充実に資するプロジェクト」の一つに位置づけ
- 2016年(平成28年)8月 - 「小田急多摩線延伸に関する関係者会議」発足
- 2019年(令和元年)5月 - 「小田急多摩線延伸に関する関係者会議」報告書の公表
川崎縦貫高速鉄道との直通運転計画
[編集]運輸政策審議会答申第18号にて「目標年次(2015年)までに開業することが適当である路線」(A1) に位置付けられた[32]川崎縦貫高速鉄道(川崎市営地下鉄、2018年計画廃止)が、新百合ヶ丘から乗り入れし、相互直通運転するという計画が川崎市から提示されたことがある。実現後は、川崎市の広域拠点都市と位置付けられている武蔵小杉駅や、宮前区にもダイレクトにアクセスすることが可能となるため、かわさきマイコンシティなどを有する沿線市域の一体化および発展に重要な役割を果たす構想であった。一方、直通運転にあたって川崎市側は車庫を保有せず、喜多見検車区唐木田出張所の利用を前提としていたが、これらを含めた計画に対しての小田急側との合意は行われていなかった[39]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 同ルートは概ね鶴川側から神奈川県道・東京都道57号相模原大蔵町線(芝溝街道)、神奈川県道54号相模原愛川線、神奈川県道48号鍛冶谷相模原線の各県・都道に沿い、現在の小田急多摩線およびその延伸計画区間と小田急小田原線の中間を走る。 予定線の全域で神奈川中央交通が定期バスを運行しており、鶴川駅 - 淵野辺駅(北口)間は町田営業所管轄の「淵23」系統と「鶴37」系統および橋本営業所管轄の「淵24」系統に相当する。淵野辺駅(南口) - 田名バスターミナル間は橋本営業所の「淵53」、田名バスターミナル - 橋本駅(南口)間は同「橋06」系統に相当する。
- ^ 町田市・相模原市 (2019年5月28日). “小田急多摩線延伸に関する関係者会議 調査のまとめ”. 相模原市. p. 4. 2024年4月28日閲覧。 “この路線は実現には至らなかったが、この路線計画の存在が後々まで、小田急電鉄による横浜線沿線から上溝、田名を通り愛川方面へ向かう鉄道計画の端緒となった。”
- ^ 同答申では「東京10号線」の西側の起点が橋本まで延長され、現在の相模原線から都営新宿線にかけての整備も同時に求められた。
- ^ 稲城市は1971年4月1日に市制施行、それまでは稲城町。
- ^ 城山町は2007年3月11日に相模原市へ合併。2010年4月1日、相模原市の政令指定都市化に伴い同市の緑区区域となる。
- ^ 相模原線は建設費の償還を目的とした加算運賃が設定されているため、隣接する相模原線の駅から乗車する場合の大人初乗り運賃は130円だが、それ以外の路線では120円である
- ^ 実際は同日22:31ごろに静岡県富士宮市を震源とした地震の影響により運転開始はさらに1時間程度遅れた。
- ^ 2014年3月15日のダイヤ改正で設定された多摩線の準急は平日朝の下り1本のみである。
- ^ 当初は松戸駅始発。2021年ダイヤ改正から我孫子駅始発。
- ^ なお京王相模原線では2018年2月22日より土曜と休日に、2019年2月22日よりは平日にも「京王ライナー」の運行が開始され、新宿 - 多摩センター間の特別料金制着席保証列車サービスは小田急から京王へ移行した。
出典
[編集]- ^ a b c 交通協力会『交通技術』1969年7月号ニュータウンと鉄道建設計画「小田急・多摩線の概要」pp.38 - 41。
- ^ a b c d e f g h 日本地下鉄協会『SUBWAY』1990年5月号レポート2「小田急多摩線(小田急多摩センター - 唐木田間)の延伸開業について 」pp.31 - 36。
- ^ a b 寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング
- ^ a b ただし、営業最高速度が100km/hを超える車両の定期運用はない。
- ^ ODAKYU VOICE station 3月17日(土)、小田急は「新ダイヤ」へ。|小田急電鉄
- ^ 交通協力会『交通技術』1974年8月号「小田急多摩線開業」pp.28 - 30。
- ^ 小佐野景寿 (2024年1月19日). “本当にできる?小田急多摩線「相模原延伸」の現状”. 東洋経済ONLINE. 東洋経済新報社. 2024年4月28日閲覧。
- ^ a b 森口誠之 (2023年1月19日). “京王相模原線「幻の延伸計画」 京王以外も目指していた“終点”はいま”. 乗りものニュース. 2024年4月28日閲覧。
- ^ 高松良晴『東京の鉄道ネットワークはこうつくられた』、交通新聞社、2015年
- ^ a b c 『小田急五十年史』小田急電鉄株式会社、昭和55年、535ページ。
- ^ a b 中込芳雄・横山陽「小田急多摩線物語」『多摩ニュータウン研究 No.15』多摩ニュータウン学会、2013年、70-79ページ。
- ^ 計画停電に伴い実施された運転見合わせを行った日時と区間(小田急HP) (PDF) [リンク切れ]
- ^ 帰宅時間帯での多摩線プラットホーム停車による乗換えの簡便化など
- ^ 「小田急多摩線きょう開業 新百合ヶ丘-永山間」『交通新聞』交通協力会、1974年6月1日、2面。
- ^ a b 『小田急電鉄五十年史』年表
- ^ 「関東の私鉄に二つの新線」『交通新聞』交通協力会、1975年4月23日、2面。
- ^ “小田急多摩線 多摩センター~唐木田間 きょう開業”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1990年3月27日)
- ^ 小田急多摩線の5駅でリニューアル工事を実施します。五月台、栗平、黒川、小田急永山、小田急多摩センターの各駅が明るくスマートに(小田急電鉄ニュースリリース・インターネットアーカイブ・2004年時点の版)。
- ^ a b “小田急停車駅案内”. 小田急電鉄. 2014年3月15日閲覧。
- ^ a b “平日朝・土休日深夜を中心に輸送サービスを向上します 2014年3月15日(土)小田急線ダイヤ改正実施”. 小田急電鉄. 2014年3月15日閲覧。
- ^ a b 町田・相模原両市長、小田急多摩線延伸で覚書締結 - レスポンス、2014年5月27日
- ^ 日比谷線、 東西線、 千代田線、 有楽町線、半蔵門線、 副都心線のダイヤを改正します (PDF) - 東京地下鉄、2015年12月18日
- ^ a b c d e f g 『2018年3月、新ダイヤでの運行開始』(PDF)(プレスリリース)小田急電鉄、2017年11月1日 。2017年11月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『新ダイヤでの運行開始日を決定!』(PDF)(プレスリリース)小田急電鉄、2017年12月15日 。2017年12月16日閲覧。
- ^ a b 『2020年3月14日(土)小田急線ダイヤ改正を実施します』(PDF)(プレスリリース)小田急電鉄、2019年12月13日 。2020年3月15日閲覧。
- ^ a b c 小田急時刻表2018, 交通新聞社, (2018-3-13)
- ^ 小田急多摩線時刻表, えきから時刻表, (2018-3-19)
- ^ 小田急線・箱根登山線・箱根ロープウェイ・箱根海賊船にて2014年1月から駅ナンバリングを順次導入します! (PDF) - 小田急電鉄、2013年12月24日
- ^ * 生方良雄『小田急の駅 今昔・昭和の面影』JTBパブリッシング、2009年。ISBN 9784533075629。に掲載の改札鋏と照合。
- ^ “川崎市土地区画整理事業完了地区概要”. 川崎市. 2017年2月1日閲覧。
- ^ a b 平成12年運輸政策審議会答申第18号 答申路線 (PDF)
- ^ a b 小田急多摩線延伸計画に関する研究会 報告書 (PDF)
- ^ “小田急多摩線の延伸構想が加速、まず相模原へ リニア新幹線開業も影響する?”. 乗りものニュース (2019年6月25日). 2021年9月9日閲覧。
- ^ 小田急多摩線延伸に関する関係者会議 調査のまとめ (PDF)
- ^ “小田急多摩線延伸、相模原駅まで先行整備 相模原市長方針”. カナロコ (2019年5月29日). 2019年6月2日閲覧。
- ^ 小田急多摩線の愛川・厚木方面への延伸に向けて取り組んでいます (「小田急多摩線の延伸促進に関する連絡会」の取組状況報告) (PDF)
- ^ a b 神奈川県鉄道輸送力増強促進会議 平成28年度 要望・回答 小田急電鉄 (PDF)
- ^ 第3回新技術による川崎縦貫鉄道整備推進検討委員会議事録 (PDF)
参考文献
[編集]- 交通協力会『交通技術』1969年7月号ニュータウンと鉄道建設計画「小田急・多摩線の概要」(山田 敬司・小田急電鉄株式会社・建設課長)
- 日本地下鉄協会『SUBWAY』1989年7月号現場から2「小田急多摩線延伸工事(小田急多摩センター - 唐木田間) 」(小田急電鉄株式会社 多摩線工事事務所 所長 橋間 千晴)