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多留姫の滝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
多留姫の滝(樽姫の滝)
多留姫の滝
所在地 長野県茅野市玉川[1]
位置 北緯35度59分36.5秒 東経138度12分56秒 / 北緯35.993472度 東経138.21556度 / 35.993472; 138.21556座標: 北緯35度59分36.5秒 東経138度12分56秒 / 北緯35.993472度 東経138.21556度 / 35.993472; 138.21556[2]
落差 12[1] m
滝幅 9[1] m
水系 天竜川水系柳川[3]
地図
プロジェクト 地形
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多留姫神社
多留姫神社本殿
本殿
所在地 長野県茅野市玉川[4]
位置 北緯35度59分35.5秒 東経138度12分53.5秒 / 北緯35.993194度 東経138.214861度 / 35.993194; 138.214861[5]
主祭神 多留姫神
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多留姫の滝(たるひめのたき)は、長野県茅野市にある樽姫の滝とも書く[6][7]。茅野市指定文化財

地理

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多留姫の滝は、茅野市中心市街地の東、大泉山のふもとを流れる柳川に懸かる。大泉山の頂上からは富士山を望むことができ、その左手に八ヶ岳がそびえ、眼下に見えるのが多留姫の滝である[8]。まず高さ・幅ともに9メートルで落水し、次いで向きを直角に変え、高さ3メートル・幅1メートルで落水する[1]。『長野縣町村誌』によると、その形は玉簾を掛けたようで、「潺々湲々」と水が流れ落ち、その音はまるで風中ののよう。の花にホトトギスは納涼、紅葉は飛と、四季を通して滝の景色が楽しめるとある[8]。滝のすぐ下流には柳影橋やながれ橋が架かり[9]、さらに長野県道・山梨県道17号茅野北杜韮崎線の多留姫大橋が谷をひとまたぎする[10]

滝のそばに多留姫神社があり[1]建御名方神諏訪大社祭神)の子・多留姫神(多留の御前)をまつっている[11]神社面積は446で、創建の時期は不明だが[8]、少なくとも750年前にはすでに存在していたことを示す文献がある[1]

茅野市は1988年昭和63年)7月29日付で多留姫の滝を名勝瀑布)として茅野市指定文化財に指定[12]。現在、滝周辺を多留姫文学自然の里として開放している。地元の中沢区・御作田区・田道区は共同で多留姫文学自然の里創造委員会をつくり、整備や催事の運営を行っている[13]。滝周辺には松尾芭蕉ほか多くの歌人俳人による作品を刻んだいくつもの石碑が建立されており、自作の俳句を投稿できる投句箱も用意されている[9]。多留姫文学自然の里のマスコットたるひめちゃんで、滝を背景にが滝壺に浮かんだ巻物に腰掛けるキャラクターの姿を描く[13]2014年(平成26年)度は里の10周年記念行事を催すこととしており、新たに地元の高校生がデザインした美少女キャラクターの紫音(しおん、フジ紫色と滝の音から命名)をマスコットに起用している[13][14]

伝承

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椀貸伝説
多留姫が村人に膳椀を必要な分だけ貸してくれる、というもの。『長野県史』に紹介されているものを要約して以下に記す。
むかし、働き者で仲むつまじい夫婦子供を授かった。出産のお祝い事をしようとしたが、貧しかった彼らは客を迎え入れるだけの数の膳椀を持っていなかった。ある日のこと、土手で休んでいるとの中に多留姫が現れ、に必要な膳椀の数を書いて滝壺に落とすよう告げた。夫婦二人とも同じ夢を見たので言うとおりにすると、翌朝には滝壺に膳椀が用意されていた。夫婦はお祝い事をすることができ、使った膳椀を洗って滝壺に返した。この話を聞いた怠け者が、同じような方法を試して膳椀を手に入れた。返すとき、一つくらいなら分からないだろうと思って全部を返さなかったため、以来多留姫は貸すことをやめてしまった[15]
このほか、貸した膳椀が壊されてしまったために貸さなくなった、という話もある[6]
葛井神社の池
多留姫十二勝・獅子吼瀑
(多留姫の滝上段)
抜け穴伝説
多留姫の滝に流した物が別の場所で発見される、というもの。滝壺に椀やを流したところ、それが茅野市ちの上原にある葛井神社に浮かんでいたという[6]。なお、この葛井神社の池にはさらなる抜け穴伝説が存在しており、諏訪大社大晦日神事のあと、お供え物を投げ込むと遠江国静岡県)にある池に浮かぶとされ、諏訪大社七不思議の一つに挙げられている[16]

多留姫十二勝

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多留姫十二勝は、多留姫神社周辺にある12か所の選りすぐりの景勝地のことである。1902年明治35年)の神社整備に合わせて選定されたのが始まりで、1906年(明治39年)に小平雪人坪井咬菜が改めて選定した。多留姫十二勝は以下の通り[17]

  1. 機山堂(きざんどう) - 最澄の作といわれている仏像を安置している場所。
  2. 待月壇(たいげつだん) - 八ヶ岳から上るを眺める場所。
  3. 古藤径(ことうけい) - 神社から橋へ下る小道。
  4. 柳影橋(りゅうえいきょう) - 柳川に架かるで、その影が柳川の水面に映ることに由来。
  5. 甑岩(こしきいわ) - 乞食が寝泊まりしていた「乞食岩」を由来とする洞穴
  6. 獅子吼瀑(ししくたき、ししくばく) - 多留姫の滝そのもの。
  7. 喚魚潭(かんぎょたん) - 多留姫の滝の滝壺。
  8. 載酒亭(さいしゅてい) - 四阿。滝にを捧げる、もしくは酒を酌み交わす場所。
  9. 烏巾峰(うきんほう、えぼしいわ) - 山伏天狗が頭に被っている黒い頭巾(=烏巾)に似た巨岩。
  10. 蛍火台(けいかだい) - 柳川を舞うを眺める場所。現在は農薬のため蛍は生息していない。
  11. 望岳丘(ぼうがくきゅう) - 富士山や八ヶ岳などの山々が望める場所。
  12. 採芝林(さいしりん) - 村人が芝刈りに行く場所。

アクセス

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公共交通機関
多留姫神社から西へ歩くと機山堂があり、これを通過し長野県道188号上槻木矢ヶ崎線の中沢交差点に出ると、近くに中沢バス停がある[18]JR中央本線茅野駅から路線バスの中沢線に乗車、中沢バス停まで20分間弱である[19]

多留姫の滝に関連する作品

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『信州の滝紀行 名瀑100選』120ページ。
  2. ^ 座標は「ウォッちず」(2012年5月26日閲覧)にて得た(参考値)。
  3. ^ 『信州の滝紀行 名瀑100選』140ページ。
  4. ^ Mapion 電話帳 多留姫神社」より(2012年5月31日閲覧)。
  5. ^ 座標は「ウォッちず」(2012年5月31日閲覧)にて得た(参考値)。
  6. ^ a b c 『茅野市史 下巻 近現代 民俗』1069 - 1070ページ。
  7. ^ 『茅野市史 別巻 自然』33ページ。
  8. ^ a b c 『長野縣町村誌 中南信編』3351ページ。
  9. ^ a b 多留姫文学自然の里歌碑マップ”. 多留姫文学自然の里創造委員会. 2020年1月3日閲覧。
  10. ^ 国土地理院「ウォッちず」より(2012年5月26日閲覧)。
  11. ^ 『日本歴史地名大系 第20巻 長野県の地名』358ページ。
  12. ^ 市指定文化財”. 茅野市 (2018年12月3日). 2020年1月3日閲覧。
  13. ^ a b c 多留姫文学自然の里”. 茅野市 (2019年12月20日). 2020年1月3日閲覧。
  14. ^ “地域 : 多留姫”萌えキャラ”に 「茅野の創造委」滝周辺の魅力発信へ”. 長野日報 (長野日報社). (2014年4月18日). オリジナルの2014年5月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140517123128/http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=31134 2020年1月3日閲覧。 
  15. ^ 『長野県史 民俗編 第二巻(三) 南信地方 ことばと伝承』589 - 591ページ。
  16. ^ 『日本歴史地名大系 第20巻 長野県の地名』346 - 347ページ。
  17. ^ 「多留姫文学自然の里」(パンフレット)より。
  18. ^ Mapion 多留姫神社の地図」より(2012年5月31日閲覧)。
  19. ^ 茅野市「平成24年度版 茅野市 バス路線案内 平成24年4月28日改正版」より(2012年5月31日閲覧)。
  20. ^ 『赤彦全集 第二巻』577 - 580ページ。

参考文献

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  • 『長野縣町村誌 中南信編』郷土出版社1985年
  • 久保田俊彦 著『赤彦全集 第二巻』岩波書店1969年
  • 窪田文明 著『信州の滝紀行 名瀑100選』郷土出版社、1995年ISBN 4876632928
  • 下中邦彦 編『日本歴史地名大系 第20巻 長野県の地名』平凡社1979年
  • 茅野市 編『茅野市史 下巻 近現代 民俗』茅野市、1988年
  • 茅野市 編『茅野市史 別巻 自然』茅野市、1986年
  • 長野県 編 『長野県史 民俗編 第二巻(三) 南信地方 ことばと伝承』長野県史刊行会、1989年
  • 多留姫文学自然の里創造委員会「多留姫文学自然の里」(パンフレット)。

関連項目

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外部リンク

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