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夜明けの旗 松本治一郎伝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
夜明けの旗 松本治一郎伝
監督 山下耕作
脚本 棚田吾郎
野波静雄
出演者 伊吹吾郎
浜村純
毛利菊枝
滝田裕介
田中邦衛
長門勇
檀ふみ  
音楽 木下忠司
撮影 増田敏雄
編集 堀池幸三
製作会社 東映京都撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1976年10月16日
上映時間 110分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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夜明けの旗 松本治一郎伝』(よあけのはた まつもとじいちろうでん)は1976年10月16日に公開された日本映画部落解放同盟東映の提携作[1]カラーワイド。 

概要

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「部落解放の父」と呼ばれた松本治一郎十回忌を記念して企画された[2][3][4]実録路線の一種であるが[5]部落解放同盟の団体動員が見込めると岡田茂東映社長が製作させた[5][6][7]

キャスト

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スタッフ

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製作

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企画

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1976年の東映は岡田茂東映社長が悪名高い"健全喜劇・スポーツ映画路線"を敷いたが[8][9][10][11][12]、大コケ続きで[9][13][14][15][16]、軌道修正が打ち出され[3][11][15]、1976年7月19日に行われた定例番組発表会で、岡田が業界記者団に「今はドラマ性の強い作品は世界的に当たらない。ヒット作の傾向は全部"見せもの"映画ばかりだ。これからは洋画のヒット作の趨勢と呼応する"話題性"を軸にした"見世物映画"を香具師の精神で作品を売っていく。下半期は、実録ものをさらにドギツク、リアルにした"ドキュメンタリー・ドラマ路線"を新設する」等と一時間捲し立てた[11][13][14][17][18][19][20]。この会見で東映下半期のラインナップとして、『徳川女刑罰絵巻・股裂きの刑』(『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』)、『戦後やくざ私刑残酷史』(『やくざ残酷秘録 片腕切断』)、『処女の刺青』(多岐川裕美主演で企画されたが素人を使ったドキュメンタリーに変更された[21])、『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』、『暴力ファミリー日本の首領』(『日本の首領』)など、どぎついタイトルを並べたが[13]、本作もこの時、『夜明けの旗・松本治一郎伝』というタイトルで発表された[17][13]。それまでタイトルは『人間解放』と告知されていた[14]

監督選定

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監督は最初に中島貞夫にオファーされ[22]、中島が部落解放同盟本部の上杉佐一郎同中央執行委員長を訪ね、「ヤクザものでやらしてくれ」と頼んだ[22]。しかし上杉は、被差別部落出身者がヤクザと隣接する存在足らざるを得ないことを知りながら、その現実を描かれたくなく、「それやんなきゃ本当は駄目だよ。だけど駄目だ」と釘を刺し、中島の提案を却下した[22]

製作会見

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1976年8月24日に東映本社で製作発表会見があり[1][23]、岡田社長ほか、製作スタッフ、出演者、部落解放運動を推進する関係者が出席[1][23]。岡田は「今回、解同(部落解放同盟)との完全提携により『夜明けの旗』を製作するが、若き日の松本先生を山下(耕作)君で充分に描いて立派な作品としたい。解同は100万枚の前売券と20万枚の子供用の前売券をさばいてくれることになっている」等と話した[6][23]上杉佐一郎部落解放同盟書記長は「松本先生が亡くなって今年で10年。10月22日には全国的な行事を行うほか東京をはじめ主要都市で『松本治一郎展』を開き、松本先生をもう一度見直そうという時、東映から映画製作の話があった。解同としては100万人上映運動を展開するが一ヵ月足らずで六割は達成、この映画が始まる時には90%はいけるだろう。記者の方は、なくするために努力している言葉について気を遣われるかも知れないが、ここでは自由に質問して頂いて結構、それに対しては何も言いません」と等と話し[1][6][23]部落解放同盟が全面的な協力を約束した[1][3]。山下監督は「松本先生は写真以外に知らなかったが、伝記を読んで素晴らしい人間であることに感銘した。知らない人に勉強して欲しい」等と述べた[23]

撮影

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1976年8月21日クランクイン[1][23]

公開形態

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殆んど組織動員による興行になるため、窓口ではキップが一枚も売れなくても大丈夫な仕組み[3]。『超高層のあけぼの』と全く同じなどと言われたが[3]、東映ファンは見に来ないだろうと予想され[3]、東映らしからぬ特殊な作品であるため[6][7][15]、岡田は「組織動員映画であり、裏番組も準備するなど興行者には迷惑をかけない手を打つ」と話し[7]、東映の主力館には、本作と『狭山裁判』に、岡田と鈴木常承営業部長が『やくざ残酷秘録 片腕切断』(安藤昇・椎塚彰構成、安藤プロ)との三本立てを組み[15]、6000万円の黒字を出した[15]。部落解放同盟の協力で前売り100万枚を消化するものの西日本の比重が70%で[24]、114館封切の東日本では興行力が弱いため[24]丸の内東映新宿東映、池袋東映の三館が本作と『狭山裁判』[25][26]浅草東映上野東映は本作は公開されず、『やくざ残酷秘録 片腕切断』八並映子主演・向井寛監督の『蛇と女奴隷』(向井プロ)に『バカ政ホラ政トッパ政』の三本立て[25]。その他の東日本の劇場は、本作はあまり公開されず[26]、『やくざ残酷秘録 片腕切断』『蛇と女奴隷』が基本[26]大阪梅田東映福岡東映は『やくざ残酷秘録 片腕切断』『蛇と女奴隷』に『残酷淫乱史』(グァルティエロ・ヤコペッティ監督のイタリアモンド映画『猟奇・残虐の大陸』?)を加えた三本立て上映がなされた[24]。その他の劇場の番組詳細は不明。

エピソード

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岡田が部落解放同盟の会長[要検証]を呼んで「お前んとこ、もっと切符買え!」と言っていた、と山城新伍は話している[27]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 「東映、部落解放同盟と『夜明けの旗』 松本治一郎の大役に伊吹吾郎抜擢/東映、9月以降の年内基本番組を編成 不良性感度基調の"やくざ路線"7プロ」『映画時報』1976年8月号、映画時報社、19頁。 
  2. ^ キネマ旬報』1976年10月上旬号、207-208頁。 
  3. ^ a b c d e f 「映画界東西南北談議 各社早くも正月戦線の態勢作り 夏場大攻勢の成功でもりあがる邦画陣」『映画時報』1976年8月号、映画時報社、37頁。 
  4. ^ 2015.02.27 Friday 【毎週金曜日更新】連載差別表現 第164回 連載差別表現映画 『夜明けの旗 松本治一郎伝』(1976年、山下耕作監督)
  5. ^ a b 日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、135頁。ISBN 978-4103332312 
  6. ^ a b c d 「ビジネス・ガイド東映 『夜明けの旗』 解同が百万人を動員」『月刊ビデオ&ミュージック』1976年9月号、東京映音、45頁。 
  7. ^ a b c 「談話室 東映社長 岡田茂」『月刊ビデオ&ミュージック』1976年10月号、東京映音、49頁。 
  8. ^ 「〔ショウタウン 映画・芝居・音楽げいのう街〕」『週刊朝日』1976年1月23日号、朝日新聞社、36頁。 
  9. ^ a b 川崎宏『狂おしい夢 不良性感度の日本映画 東映三角マークになぜ惚れた!? 青心社、2003年、50-51頁。ISBN 978-4-87892-266-4 
  10. ^ 「東映アクションの新シリーズ 『ラグビー野郎』」『キネマ旬報』1976年5月下旬号、キネマ旬報社、46頁。 
  11. ^ a b c 今村三四夫他「映画業界動向/製作・配給界 邦画配給界 展望 東映」『映画年鑑 1977年版(映画産業団体連合会協賛)』1976年12月1日発行、時事映画通信社、54、109–110頁。 
  12. ^ 佐藤忠男山根貞男『シネアルバム(52) 日本映画1977 1976年公開映画全集』芳賀書店、1977年、22-23頁。 
  13. ^ a b c d 「日本映画紹介」『キネマ旬報』1976年8月下旬号、キネマ旬報社、184頁。 「映画・トピック・ジャーナル 映画界の動き 東映、見世物映画へ大転換」『キネマ旬報』1976年9月上旬号、キネマ旬報社、179頁。 
  14. ^ a b c “八月配収十六億円目標 東映下半期の協力番組編成”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 9. (1976年7月17日) 
  15. ^ a b c d e 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年6月、83 - 86頁。ISBN 978-4-636-88519-4 
  16. ^ 「〔ニューズオブニューズ〕 とんだ"テキヤのお粗末"でした 不入りでシリーズ断念『テキヤの石松』」『週刊読売』1976年5月8日号、読売新聞社、33頁。 
  17. ^ a b 「岡田社長"見せもの"重点の方向転換語る 東映、大香具師の精神で大攻勢展開/前途多難・楽観許さぬ日本映画界 百億配収を狙う各社には大型企画と作品の多様化を要望/映画界東西南北談 各社、夏から秋への大攻勢を展開 上半期の伸び悩みを一気に挽回」『映画時報』1976年7月号、映画時報社、19、13-15、34-35頁。 
  18. ^ 「邦画指定席 沖縄やくざ戦争」『近代映画1976年昭和51年)10月号、近代映画社、171頁。 
  19. ^ 「邦画界トピックス」『ロードショー』1976年10月号、集英社、175頁。 
  20. ^ 「匿名座談会 下半期の日本映画を展望する」『月刊ビデオ&ミュージック』1976年8月号、東京映音、23-25頁。 
  21. ^ 「映画界東西南北談 邦画の捲返作戦成るか 邦洋入り乱れて激戦を展開する正月興行」『映画時報』1976年9月号、映画時報社、7頁。 
  22. ^ a b c 伊藤彰彦「=第十章 ヤクザとマイノリティ―…」『仁義なきヤクザ映画史』文藝春秋、2023年、166–168頁。ISBN 978-4163917351 
  23. ^ a b c d e f “内容が両極端のような二つの記者会見の後味”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 91. (1976年8月28日) 
  24. ^ a b c “東映正月迄番組完全に固まる劇場事情で細かい編成考慮”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1976年9月25日) 
  25. ^ a b “邦画景況”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 2. (1976年10月30日) 
  26. ^ a b c 「『犬神家の一族』『オーメン』興行街席巻全体的にはまずまずに終止した十月の興行」『映画時報』1976年12月号、映画時報社、39頁。 
  27. ^ 吉田豪『男気万字固め』エンターブレイン、2001年、21頁。ISBN 4-7577-0488-7 

外部リンク

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