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大井道夫 (環境官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大井 道夫(おおい みちお、1922年8月21日 - 2007年5月2日[1][2])は、昭和後期の日本の環境官僚[1]農学博士東京大学、1978年)。官僚時代は尾瀬国立公園の指定や東海自然歩道の制定に発案、関与したことで知られる。

「『身近な自然』論」を唱えた[3]

来歴

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新潟県出身[1]。入学した東京帝国大学農学部林学科では森林利用学を、卒業後に進学した同大学大学院で造園学・風致工学を、それぞれ専攻した[4]

1948年に厚生省国立公園部に入省し、1965年より計画課長となる[4][5]。1971年の環境庁発足後は自然保護局の勤務となる[4]。環境庁では長官官房参事官や公害研修所長(1974年より)を務めた[1][5][6]

在職中に、以下の施策の発案、策定に関与した。

このうち、東海自然歩道については、1968年4月5日の「自然公園制度の基本的方策に関する答申」を契機に、アメリカ合衆国アパラチアン・トレイルからヒントを得て、厚生省国立公園部計画課長時代に発表したものである[10][11][12]

官庁外では、1971年から1978年まで、東京大学農学部と東京農工大学農学部で非常勤講師を務める[4]

1984年からは、国立公園協会の理事長・会長・顧問といった役職に就いた[4][13]。この時期には、屋久島世界遺産登録に関与した[14]環境省自然環境局長を務めた小野寺浩によると、登録構想は、1991年4月の第1回屋久島環境文化懇談会で、国立公園協会理事長として委員を務めていた大井が初めて言及したとされる[注 1][14][15]

1993年に、勲三等旭日中綬章を受章した[2]。2007年5月2日、肺気腫のため死去[2]

賞歴

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  • 1969年 日本造園学会賞。
  • 1977年 自然保護功労賞(アメリカ合衆国)
  • 平成9年度日本造園学会上原敬二賞[16]

著書および関与した書籍

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著書
  • 『風景への挽歌 ―私の自然保護論』アンヴィエル、1978年
  • 『「美しき日本の自然」展 梅原龍三郎, 林武, 向井潤吉ら79名の巨匠が描く国立公園』(並川汎との共著、杉本祥子・並川汎編)安田火災美術財団、1997年
関与した書籍
  • (装幀)田村剛『国立公園講話』明治書院、1948年[4]
  • (編集)『自然保護年鑑』日正社 1987年
  • (解説文寄稿) 大佛次郎串田孫一(文)緑川洋一(写真)『日本の美と自然―国立公園』淡交社、1969年

脚注

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注釈

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  1. ^ 小野寺は当時鹿児島県環境政策課長として出向していた。

出典

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  1. ^ a b c d 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “大井道夫(おおい みちお)”. コトバンク. 2020年5月29日閲覧。
  2. ^ a b c 『現代物故者事典2006~2008』(日外アソシエーツ、2009年)p.112
  3. ^ 森清和「水辺再生の論理 「都市自然」としての都市の川 (PDF) 」『調査季報』No.76、横浜市役所、1982年12月、pp.3-9(p.7を参照)
  4. ^ a b c d e f 油井正昭・杉尾伸太郎・東海林克彦 1999.
  5. ^ a b 大井道夫 1989.
  6. ^ 大井道夫「公と私の問題 (PDF) 」『全国環境研会誌』第1巻2号、全国環境研究協議会、1976年
  7. ^ 「計量計画の概要と実例」『国立公園』第181巻15号、厚生省国立公園局、1964年、
  8. ^ 『ハイカー』1967年6月、山と渓谷社[要ページ番号]
  9. ^ 大井道夫「尾瀬を守る計画」について『自然保護』第54巻2号、1966年、
  10. ^ 大井道夫「東海自然歩道」『北海道自然保護協会誌』第6号、1969年、pp.30-33(北海道自然史研究会自然史研究DB・北海道自然保護協会誌 より該当記事のPDFファイルをダウンロード可能)
  11. ^ 藤波源信・小山邦武・節田重節・神長幹雄(座談会)「信仰の道と現代のロングトレイルを語る 」『安藤スポーツ・食文化振興財団2016年事業報告書 (PDF) 』pp.19-33(p.22-23の節田の発言に、大井による東海自然歩道構想に触れた内容がある)
  12. ^ 節田重節「道を歩く愉しみ、道を探す悦び」『安藤スポーツ・食文化振興財団2017年事業報告書 (PDF) 』pp.12-21(p.15-16「「東海自然歩道」の誕生-我がロングトレイル事始め」の節を参照)
  13. ^ 尾瀬の自然 第48号 (PDF) 』尾瀬の自然を守る会、1989年2月(pp.2 - 3に「国立公園について」と題した大井の寄稿文が「国立公園協会理事長」の肩書きで掲載されている)
  14. ^ a b “縄文杉の50年【第1部 森を守る】1993 世界遺産登録”. 朝日新聞. (2016年5月16日). http://www.asahi.com/area/kagoshima/articles/MTW20160518470470009.html 2020年5月30日閲覧。 
  15. ^ 小野寺浩「自然保護と地方創生の両立のために ―世界遺産屋久島の試み― (PDF) 」『地域構想』No.1、大正大学地域構想研究所、2019年、pp.39-49(p.42に「構想づくり作業の中で大きなインパクトを与えたのは、平成3年4月29日の第1回屋久島環境文化懇談会において、委員の大井道夫国立公園協会理事長から「屋久島を世界遺産に」という発言がなされたことであった。」とある)
  16. ^ 上原敬二賞受賞者 - 日本造園学会

参考文献

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  • 油井正昭・杉尾伸太郎・東海林克彦「大井道夫先生 (人物インタビュー 第16回上原敬二賞受賞者)」『ランドスケープ研究』第62巻第4号、日本造園学会、1999年、381 - 383頁、ISSN 13408984NAID 110004305333 
  • 大井道夫リゾートとは」『水質汚濁研究』第12巻第8号、日本水質汚濁研究会、1989年、469頁、doi:10.2965/jswe1978.12.469