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小坂立夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小坂 立夫(こさか たつお、1903年 - 1996年)は、日本造園家東京の公園緑化事業の他、国立公園制定事業にも関与した。

来歴

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旧制開成中学旧制新潟高校を経て、1926年(大正15年)に東京帝国大学農学部林学科を卒業した。東京帝大在学中は本多静六に師事する。同年、東京市公園課工手に採用される。この採用は、課長の井下清が視察で外遊中に、技師の大溝勇に紹介されて「運よく」採用されたと述べている[1]

その後志願兵として近衛輻重部隊に入営するが、1927年(昭和2年)に復職した。

1930年(昭和5年)から1938年(昭和13年)まで、内務省衛生局→厚生省体力局に勤務した。

1938年(昭和13年)、都市計画神奈川地方委員会技師兼地方技師(県土木部都市計画課)となり、神奈川県庁に移る。

1941年(昭和16年)、厚生技師(体力局施設課)に復帰し、1942年(昭和17年)に、東京農業大学造園学科の講師も兼ねた。

1944年(昭和19年)に、東京都技師に転じて計画局道路課に勤務した。1945年(昭和20年)、東京都建設局都市計画課技術係に異動する。1949年(昭和24年)に係長に昇進した。

1950年(昭和34年)12月に東京都南部公園緑地事務所長となるが、翌年には東京都西部公園緑地事務所長に移った。この間、1950年からは東京教育大学林学科講師も務めた。

1960年(昭和35年)11月に東京都を退職して首都高速道路公団参与となる。1961年(昭和36年)に千葉大学園芸学部造園学科講師に就任した。

その後日本緑化株式会社代表取締役会長や株式会社カーター・アート社造園部長、伊藤忠林業株式会社取締役(緑化担当)、東京都公園協会参与、都市計画協会評議員、武蔵野文化協会顧問を歴任した。

顕彰

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脚注 

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  1. ^ 造園雑誌 1987, p. 286.

参考文献

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  • 北村信正「名誉会員 小坂立夫先生を偲んで」『ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌』第60巻第1号、日本造園学会、1996年8月、70頁、ISSN 13408984NAID 110004308508 
  • 小坂立夫, 樋渡達也, 布施六郎「小坂立夫氏に聞く (〔第4回〕上原敬二賞受賞者に聞く〔含 略歴・肖像〕)」『造園雑誌』第50巻第4号、日本造園学会、1987年3月、285-289頁、ISSN 03877248NAID 110004662293