楫西貞雄
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楫西 貞雄(かじにし さだお、1912年〈明治45年〉7月14日[1] - 1996年頃[2])は、日本の造園系都市計画家。
来歴
[編集]本人の文章によると、東京帝国大学農学部において、菊竹倉二と同じ研究室に所属していたという[3]。
建設省計画局都市計画課や施設課長、大阪府土木部計画課技師、千葉市建設局等を歴任した[1]。1958年当時は「協和コンサルタンツ顧問」であった[3]。その後、社団法人日本緑化センター常務理事を務める[要出典]。
脚注
[編集]- ^ a b 「新日本紳士録 全国篇 第2版」国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 「公園緑地 = Parks and open space 57(4)」国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 楫西貞雄「菊竹倉二君を悼む (PDF) 」『都市計画』No.160、日本都市計画学会、1958年4月、pp.71 - 72
- ^ 北村賞受賞者一覧 (PDF) - 日本公園緑地協会(2019年12月)
参考文献
[編集]- 「復興公園計画について」『建築と社会』昭和24年1月号「大阪復興特集」
- 『日本林業年鑑』1978年
- 楫西貞雄, 「外国人の日本庭園に対する理解について」『造園雑誌』 13巻 1号 1949年 p.1-4, doi:10.5632/jila1934.13.1
- 楫西貞雄, 「海外万国博覧会に於ける日本庭園」『造園雑誌』12巻 1号 1948年 p.4-8, doi:10.5632/jila1934.12.4
- 楫西貞雄, 「メガロポリスの公園」『造園雑誌』 30巻 2号 1966年 p.25-26, doi:10.5632/jila1934.30.2_25
- 楫西貞雄, 「小学校校地及び校庭の面積に就て」『造園雑誌』 4巻 2号 1937年 p.89-97, doi:10.5632/jila1934.4.89
- 楫西貞雄, 「緑地帯の目的と造成」『造園雑誌』 23巻 3号 1959年 p.1-4, doi:10.5632/jila1934.23.3_1