大塚栄三郎
大塚栄三郎 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1953年11月12日(71歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 |
中山→美浦・吉野勇(1977 - 1987) 美浦・フリー(1987 - 2006) |
初免許年 | 1977年3月5日 |
免許区分 | 平地(初期には障害競走の免許も保持) |
騎手引退日 |
2006年2月28日 2004年3月27日(最終騎乗) |
重賞勝利 | 17勝(うち地方交流2勝) |
通算勝利 | 5747戦612勝 |
大塚 栄三郎(おおつか えいざぶろう、1953年11月12日 - )は、東京都出身の元騎手・元調教助手。身長155cm、体重52kg、血液型A型。
来歴
[編集]中学卒業後は3年間板前として修行し、18歳の頃からは中山・吉野勇厩舎で修行を積み、1977年に騎手免許を取得。同期には根本康広、猿橋重利らがいる。3月5日の中山第4競走4歳未勝利・スタービートで初騎乗初勝利を挙げ、最優秀新人賞を受賞。3年目の1979年には北海道3歳ステークスをカツルーキーオーで制し、重賞初勝利を挙げる。1984年には地方で初騎乗、初勝利を挙げる。1987年からはフリーとなり、1990年、1992年、1997年にはフェアプレー賞を受賞。1993年10月17日には京都で京都新聞杯のマイネルリマークなど騎乗する予定であったが、前日深夜まで飲食をしたために同場の調整ルーム入りが3時間遅れ、なおかつ連絡を怠り、その日の全レースが騎乗停止となる。1996年10月26日には藤原英幸のゴール前の鞭の使い方に不満を持ち、着順確定前の検量室で同騎手を殴打し、開催日4日間の騎乗停止となる。現役時は「逃げの大塚」と呼ばれて人気を博したが、2003年以降は騎乗数が激減。その頃から藤沢和雄厩舎で手伝いをしながら、同厩舎で調教助手に転身するつもりだったが、年齢と賃金を理由に断られていた。2006年2月28日付けで現役を引退。同年の引退時には、平地の現役最高齢騎手であった。
引退後は調教助手転身を希望するが、当時各厩舎に調教助手の空きがなく、さらに当時52歳ということで当初は進路未定となっていたが、後に高松邦男厩舎所属の調教助手となる。その後は高市圭二厩舎で調教厩務員を務めたのち、武藤善則厩舎で再度調教助手となっている。2011年には競馬情報サイト『ロンシャン』に在籍。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 612 | 675 | 694 | 5745 | 7726 | .079 | .167 |
障害 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | .000 | .000 |
計 | 612 | 675 | 694 | 5747 | 7728 | .079 | .167 |
主な騎乗馬
[編集]※斜体は地方競馬主催の交流競走。
- カツルーキーオー(1979年北海道3歳ステークス)
- ドウカンヤシマ(1983年函館記念、1984年日刊スポーツ賞金杯、1985年東京新聞杯)
- ハツノアモイ(1986年フェブラリーハンデキャップ)
- サニーライト(1986年スプリングステークス)
- ミスターブランディ(1989年関屋記念)
- ジムクイン(1990年中山牝馬ステークス)
- ハシノケンシロウ(1990年福島記念、1991年カブトヤマ記念、1993年新潟大賞典)
- マイネルリマーク(1993年共同通信杯4歳ステークス)
- ヒダカハヤト(1994年日刊スポーツ賞金杯、カブトヤマ記念)
- マイスーパーマン(1994年関屋記念)
- アブクマレディー(1999年クラスターカップ)
- キングデール(1999年サラブレッドチャレンジカップ)
- その他