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ドウカンヤシマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドウカンヤシマ
欧字表記 Dokan Yashima[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1980年3月24日[1]
死没 不明(1995年用途変更)
タケシバオー[1]
ドウカンミキ[1]
母の父 パーソロン[1]
生国 日本の旗 日本北海道新冠町[1]
生産者 細川農場[1]
馬主 新井操
新井興業(株)[1]
調教師 田中朋次郎[2]美浦北
鹿戸明[1]栗東
厩務員 下川原[3]
競走成績
生涯成績 43戦8勝[1]
獲得賞金 2億5365万800円[1]
勝ち鞍
GIII 金杯(西) 1987年
GIII 朝日チャレンジカップ 1986年
GIII 東京新聞杯 1985年
GIII 金杯(東) 1984年
重賞 函館記念 1983年
重賞 京成杯3歳ステークス 1982年
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ドウカンヤシマ(欧字名:Dokan Yashima、1980年3月24日 - 不明)は、日本競走馬種牡馬[1]

6年連続重賞勝利という日本中央競馬会最多記録を樹立し、「忘れたころにやってくる[4]」「年に一度のドウカンヤシマ[4]」と形容された。また1984年の金杯(東)、1987年の金杯(西)を優勝しており、史上初めて金杯東西制覇を果たした。その他、重賞4勝を挙げている。

経歴

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デビューまで

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ドウカンミキは、1969年に茨城県稲敷郡江戸崎町の栗山博牧場で生産された牝馬で、父はパーソロンであった。新井操が所有して競走馬としてデビューし、6戦1勝の成績を残した[5]。引退後は、仔分け方式で繁殖牝馬となった[6]。初仔は、北海道幕別町で生産しているが、それ以降は、北海道新冠町に移動している[7]

1979年の種付けにて、新井は小柄なドウカンミキを補うような体の大きな種牡馬を求め、相手にタケシバオーを選択[2]。1980年3月24日、新冠町の細川農場で鹿毛の牡の仔、ドウカンミキの6番仔(後のドウカンヤシマ)が誕生した[6]。仔は、小柄だったが、張りのある動きであった。尻の両側につむじを持つ馬で、素直な気性であった[2]。農場の細川功一は「(前略)当歳時から幅があり、ひょっとしたらという感じがありました。[2]」と農場時代を振り返っている。

新井は、太田道灌の末裔で、道灌から数えて16代目であった。太田道灌にちなみ「ドウカン」の冠名を使用しており、仔には、冠名に「ヤシマ」を組み合わせた「ドウカンヤシマ」という競走馬名が与えられた。美浦トレーニングセンター田中朋次郎厩舎に入厩する[2]

競走馬時代

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3-4歳(1982-83年)

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1982年9月4日、函館競馬場新馬戦(芝1000メートル)に1番人気の支持でデビュー。直線で抜け出し、後方に7馬身差をつけて初勝利となった[2]条件戦も制して連勝とし、府中3歳ステークスでは1番人気に推されながら4着と初めて敗戦した[2]

11月7日、京成杯3歳ステークスでは重賞優勝馬を抑えて1番人気に支持された。ハイペースの展開の中、好位に位置。直線で抜け出そうとするも、好位または後方から追い上げてきた3頭と横並びとなった。特に、内から伸びたデアリングパワーとは馬体を併せて決勝線を通過した。写真判定の結果、ドウカンヤシマの先着が認められ重賞初勝利となった[2]。騎乗した郷原洋行は「あの位置なら、直線もっと伸びなきゃいけない。勝ったけど納得しないよ[2]」と回顧している。それから朝日杯3歳ステークスに臨み、11着に敗れた。

1983年、2月13日の共同通信杯4歳ステークスで始動するも、13着敗退[3]。その後は、クラシック路線を歩む予定であったが、スプリングステークス発馬機で暴れて鼻出血を発症し、競走除外[3]出走停止処分を受け、皐月賞東京優駿(日本ダービー)への出走は叶わなかった[3]

出走停止明け3連敗の後、8月21日の函館記念大塚栄三郎が騎乗し、負担重量51キログラムで出走。皐月賞優勝のハワイアンイメージ桜花賞優勝のブロケードリーゼングロスら相手に逃げ、一時2番手に6馬身差をつけるなど独走した。直線に入っても先頭を保ち、追い上げてくる後方勢に2馬身半差をつけて先頭で入線、重賞2勝目を挙げた[3]。13頭立て11番人気の支持を受けており、単勝式2060円、枠番連勝5770円の高配当を記録した[3]。秋は、セントライト記念京都新聞杯と連続3着を記録し、菊花賞ではクラシック出走を果たしたが、悪い癖が出ていつもの力を発揮できず、17着に敗れた。年末には、オープン競走に出走するも10着に敗退した[3]

5-7歳(1984-86年)

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1984年初めの金杯(東)で始動、菊花賞で見られた悪癖矯正を大塚と厩務員の下川原で取り組み、5番人気で出走した[3]。好位に位置し、直線で先行勢をかわすと、独走態勢となり、後方に3馬身差をつけて重賞3勝目となった。大塚は第3コーナーの時点で勝利を確信していた[3]。以後6戦したが、京王杯スプリングカップ2着が目立つほどで勝利を挙げることができなかった[3]

1985年も金杯(東)で始動、連覇を狙ったものの14着となり、4戦続けて二桁着順に敗退した。続いて東京新聞杯GIII)に、15頭中10番人気の支持で出走、負担重量はメンバー中最も大きかった。2番手に位置し、直線で内側から抜け出した。後方から迫ったダスゲニーを半馬身振り切り重賞4勝目となった[3]。大塚は「(前略)でも正直いってまさか勝てるとはねえ[3]」と述懐している。1969年にタケシバオーも制していることから、東京新聞杯父仔制覇を達成した[3]。単勝式は4050円、枠番連勝式は8350円の高配当となった[3]。その後、中山記念2着と好走するなど4戦したが、いずれも勝利することはできなかった。

1986年も同様に金杯(東)で始動したが8着敗退。以降春は4回出走するも安田記念4着が最高であった[3]。田中は苦戦する平地競走に見切りをつけようと、障害競走の練習を開始するほどであった[4]。夏は函館競馬場に身を置き、巴賞4着、函館記念3着となるなど、好走した[4]。その後は、勝利目指して比較的メンバーの揃わない関西に移籍し、栗東トレーニングセンター鹿戸明厩舎に転厩した[4]

転厩初戦、9月14日の朝日チャレンジカップGIII)に出走。逃げて後方から追い上げるライフタテヤマをクビ差退け、重賞5勝目を挙げた。美浦所属の大塚から、乗り替わった栗東所属の清水英次は、「(前略)なんとか粘り切ったが凄い馬だね[4]」と振り返っている。その後は関東の天皇賞(秋)や、福島競馬場福島記念に出走したが、いずれも勝利することはできなかった[4]

8歳(1987年)

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1987年は、金杯(西)GIII)で始動、負担重量はメンバー中最も大きい58.5キログラムであり、6番人気であった。スタートから逃げて平均ペースを刻み、直線で後方からの追い上げなく、1馬身4分の1差で逃げ切り重賞6勝目となった[4]。3歳時の京成杯3歳ステークスから6年連続重賞勝利となり、それまでスピードシンボリが保持していた5年連続重賞勝利を上回る史上最長記録となった[4]。さらに、東西の金杯を両方勝利したことも史上初であった[4]。清水は「展開に恵まれたね。距離もぴったりだし、いい感じで逃げた時は馬自身も気持ちよさそうだ。勝つべくして勝った感じです[4]」と述懐している。その後は、球節の状態が好ましくないことから放牧に出された[4]。復帰は秋となり、マイルチャンピオンシップ愛知杯と連戦したが、馬体重の減少していたこともあり、どちらも二桁着順に敗れた[4]

馬体重を戻して、7年連続重賞勝利記録に挑戦させる計画もあったが、種牡馬としての期待もあったことから競走馬を引退[4]。1988年1月11日に京都競馬場にて、金杯(西)優勝時のゼッケン「9」を着用し、清水が騎乗した上で引退式が行われた[8]

種牡馬時代

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1988年1月、北海道新冠町高江の新冠町畜産センターで種牡馬となった[4]。102頭の産駒を残し、キンコーバトラが荒尾競馬場サラブレッド大賞典など地方重賞4勝を挙げている。1995年に用途変更された[9]

競走成績

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以下の内容は、netkeiba.com[10]およびJBISサーチ[11]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム 着差 騎手 斤量

[kg]

1着馬(2着馬)
1982.09.04 函館 3歳新馬 芝1000m(良) 8 5 5 004.40(1人) 01着 -059.7 0郷原洋行 53 (ダイナアグリー)
0000.09.25 函館 コスモス賞 400万下 芝1200m(良) 9 2 2 004.30(1人) 01着 1:10.9 0郷原洋行 53 (サンヤングシチー)
0000.10.23 東京 府中3歳S 芝1400m(良) 8 7 7 001.60(1人) 04着 1:25.5 0郷原洋行 54 デアリングパワー
0000.11.07 東京 京成杯3歳S 芝1400m(重) 9 4 4 005.50(1人) 01着 1:26.3 0郷原洋行 54 (デアリングパワー)
0000.12.12 中山 朝日杯3歳S 芝1600m(良) 15 4 7 010.50(3人) 11着 1:37.1 0郷原洋行 54 ニシノスキー
1983.02.13 東京 共同通信杯4歳S 芝1800m(良) 14 7 12 027.30(9人) 13着 1:52.1 0郷原洋行 56 ミスターシービー
0000.03.06 中山 弥生賞 芝1800m(良) 14 7 12 086.7(11人) 04着 1:50.6 0大塚栄三郎 55 ミスターシービー
0000.03.27 中山 スプリングS 芝1800m(不) 15 2 2 競走除外 0大塚栄三郎 56 タケノヒエン
0000.05.28 東京 NZT4歳S 芝1600m(良) 15 8 15 016.30(7人) 05着 1:38.1 0大塚栄三郎 56 アップセッター
0000.07.03 札幌 札幌記念 ダ2000m(良) 16 5 10 049.7(10人) 12着 2:09.0 0大塚栄三郎 51 オーバーレインボー
0000.07.24 札幌 短距離S ダ1200m(良) 12 6 7 022.10(6人) 11着 1:14.0 0大塚栄三郎 53 ハワイアンイメージ
0000.08.21 函館 函館記念 芝2000m(不) 13 2 2 027.8(11人) 01着 2:04.5 0大塚栄三郎 51 ブロケード
0000.10.02 中山 セントライト記念 芝2200m(良) 12 2 2 008.90(5人) 03着 2:14.8 0大塚栄三郎 56 メジロハイネ
0000.10.23 京都 京都新聞杯 芝2000m(良) 16 7 13 025.20(5人) 03着 2:03.2 0大塚栄三郎 57 カツラギエース
0000.11.13 京都 菊花賞 芝3000m(良) 21 5 12 026.80(8人) 17着 3:11.6 0大塚栄三郎 57 ミスターシービー
0000.12.24 中山 4歳上オープン 芝1600m(良) 14 8 13 014.70(7人) 10着 1:35.1 0大塚栄三郎 56 ロバリアアモン
1984.01.05 中山 金杯(東) GIII 芝2000m(良) 16 8 16 013.30(5人) 01着 2:01.8 0大塚栄三郎 53 (スピーデイタイガー)
0000.02.19 東京 目黒記念 GII 芝2500m(稍) 10 1 1 009.30(4人) 07着 2:38.7 0大塚栄三郎 55 ダイセキテイ
0000.03.11 中山 中山記念 GII 芝1800m(良) 11 4 4 019.90(6人) 08着 1:50.4 0大塚栄三郎 56 テュデナムキング
0000.04.22 東京 京王杯スプリングC GII 芝1400m(良) 22 3 6 022.90(6人) 02着 1:23.9 0大塚栄三郎 56 ハッピープログレス
0000.05.13 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 22 6 16 013.30(6人) 10着 1:39.1 0大塚栄三郎 57 ハッピープログレス
0000.06.03 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良) 15 1 1 034.80(8人) 14着 2:14.7 0大塚栄三郎 56 カツラギエース
0000.12.02 中山 ダービー卿CT GIII 芝1600m(良) 17 8 17 060.6(13人) 17着 1:35.9 0大塚栄三郎 58 トウショウペガサス
1985.01.06 中山 金杯(東) GIII 芝2000m(良) 16 8 16 062.6(12人) 14着 2:03.5 0大塚栄三郎 55 スズパレード
0000.02.03 東京 東京新聞杯 GIII 芝1600m(良) 16 6 12 054.8(10人) 01着 1:35.4 0大塚栄三郎 58 ダスゲニー
0000.03.10 中山 中山記念 GII 芝1800m(稍) 11 1 1 013.60(5人) 02着 1:47.6 0大塚栄三郎 57 トウショウペガサス
0000.04.21 東京 京王杯スプリングC GII 芝1400m(稍) 13 4 6 009.60(2人) 09着 1:24.7 0大塚栄三郎 57 ニホンピロウイナー
0000.05.12 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 17 3 6 038.00(6人) 15着 1:37.2 0大塚栄三郎 57 ニホンピロウイナー
0000.12.21 中山 クリスマスS OP 芝1600m(良) 15 2 3 067.5(12人) 09着 1:35.8 0柴崎勇 61 アカネダイモン
1986.01.05 中山 金杯(東) GIII 芝2000m(良) 13 7 10 014.80(7人) 08着 2:02.9 -1.3 0柴崎勇 56 クシロキング
0000.01.26 東京 アレキサンドライトS OP ダ1400m(良) 7 3 3 021.00(7人) 06着 1:26.2 -0.8 0柴崎勇 61 ロバリアアモン
0000.03.30 中山 日経賞 GII 芝2500m(重) 12 6 7 041.4(10人) 08着 2:36.7 -1.5 0大塚栄三郎 57 チェスナットバレー
0000.04.20 東京 京王杯スプリングC GII 芝1400m(不) 12 4 4 017.80(9人) 08着 1:25.7 -2.0 0大塚栄三郎 57 トーアファルコン
0000.05.11 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 11 5 5 048.00(9人) 04着 1:36.7 -1.2 0大塚栄三郎 57 ギャロップダイナ
0000.08.03 函館 巴賞 OP 芝1800m(良) 5 3 3 008.10(3人) 04着 1:47.1 -0.7 0大塚栄三郎 59 ウインザーノット
0000.08.17 函館 函館記念 GIII 芝2000m(良) 11 7 8 012.60(6人) 03着 1:59.2 -0.6 0大塚栄三郎 56 ニッポーテイオー
0000.09.14 阪神 朝日チャレンジC GIII 芝2000m(良) 7 3 3 005.60(3人) 01着 1:59.7 -0.0 0清水英次 58 ライフタテヤマ
0000.10.05 京都 京都大賞典 GII 芝2400m(良) 7 3 3 005.70(3人) 05着 2:27.5 -0.6 0清水英次 57 スズカコバン
0000.10.26 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 16 6 12 049.6(13人) 08着 1:59.7 -1.4 0清水英次 58 サクラユタカオー
0000.11.16 福島 福島記念 GIII 芝2000m(稍) 14 3 4 004.60(3人) 05着 2:03.3 -0.4 0坂井千明 59 ランニングフリー
0000.12.20 阪神 セントウルS OP 芝2200m(重) 11 5 6 007.70(5人) 07着 2:16.6 -1.0 0清水英次 60 スピードヒーロー
1987.01.05 京都 金杯(西) GIII 芝2000m(稍) 15 5 9 012.90(6人) 01着 2:03.2 -0.2 0清水英次 58.5 (トウショウレオ)
0000.11.22 京都 マイルCS GI 芝1600m(良) 13 5 8 088.2(11人) 12着 1:37.8 -2.9 0清水英次 57 ニッポーテイオー
0000.12.13 中京 愛知杯 GIII 芝2000m(良) 15 5 9 022.6(10人) 14着 2:03.3 -3.0 0清水英次 59 ピーターホーラー
  • レース名太字は、八大競走を表す。1984年よりグレード制導入。

特徴・評価

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生涯成績8勝のうち3歳時の条件戦2戦を除いた6勝は、現役期間の3歳から8歳まで、各年1勝ずつ異なる重賞で記録されたものであった。4歳以降の現役期間は、出走回数の多少に関わらず例外なく年1勝のみにとどまっていたことから「年に一度のドウカンヤシマ[4]」・「忘れたころにやってくる[4]」と形容された。なおこの重賞6勝のうち同じ競馬場での重賞は、2競走1組(京成杯3歳ステークス東京新聞杯)のみであり、5つの競馬場(函館・中山・東京・京都・阪神)で重賞制覇を達成している。

新井は「なんといってもドウカンヤシマが一番思い出に残る馬ですよ[4]」ととしている。人気薄での重賞制覇が多かったことから、市丸博司は「重馬場専用というわけでもなく、軽ハンデでしか来ないわけでもなく、全く馬券の買いようがない[12]」。細川は「買ってもなかなか当たらないし、かといって買わなきゃ絶対当たらない。まるで宝クジみたいな馬でしたね〔ママ[6]」としている。

血統表

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ドウカンヤシマ血統ハイペリオン系 / プリメロ・Avena4×5=9.38% (血統表の出典)

タケシバオー 1965
鹿毛 日本
父の父
*チャイナロック
China Rock 1953
栃栗毛 イギリス
Rockefella Hyperion
Rockfel
May Wong Rustom Pasha
Wezzan
父の母
タカツナミ 1958
黒鹿毛 日本
ヤシママンナ *プリメロ
第参マンナ
*クニビキ Nice Day
Starlet

ドウカンミキ 1969
黒鹿毛 日本
*パーソロン
Partholon 1960
鹿毛 アイルランド
Milesian My Babu
Oatflake
Paleo Pharis
Calonice
母の母
ナイガイスター 1965
黒鹿毛 日本
*ガーサント
Guersant
Bubbles
Montagnana
トミユキ セントライト
青東 F-No.5-l

半姉ドウカンスピンの仔に1986年のスプリンターズステークス(GIII)優勝馬ドウカンテスコ。

ほか祖母ナイガイスターの半妹キラクハートの子孫に、エプソムカップ優勝馬サマンサトウショウ、GI競走3勝のスイープトウショウなどがいる。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o ドウカンヤシマ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年7月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 『優駿』1992年3月号 62頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『優駿』1992年3月号 63頁
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『優駿』1992年3月号 64頁
  5. ^ ドウカンミキ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年8月1日閲覧。
  6. ^ a b c 『優駿』1992年3月号 61頁
  7. ^ 繁殖牝馬情報:牝系情報|ドウカンミキ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年8月1日閲覧。
  8. ^ 『優駿』1988年2月号 89頁
  9. ^ ドウカンヤシマ(JPN) - 血統書サービス、2022/3/5閲覧。
  10. ^ ドウカンヤシマの競走成績”. netkeiba.com. 2021年8月1日閲覧。
  11. ^ 競走成績:ドウカンヤシマ”. www.jbis.or.jp. 2021年7月31日閲覧。
  12. ^ 『サラブレッド怪物伝説』186-187頁

参考文献

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  • 市丸博司『サラブレッド怪物伝説』 廣済堂文庫 p.186-187「ファンを裏切り続けて6年連続重賞勝利-ドウカンヤシマ」
  • よしだみほ『私設現代名馬館』 ぶんか社 p.221-226「勤続6年、毎年重賞勝利を続けた馬-ドウカンヤシマ」
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1988年2月号
      • 「【今月のトピックス】6年連続重賞制覇、"大珍記録"を残し、ドウカンヤシマ引退」
    • 1992年3月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 70】一年一度。六年連続重賞制覇 ドウカンヤシマ」

外部リンク

[編集]