大武健一郎
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大武 健一郎(おおたけ けんいちろう[1]、1946年(昭和21年)7月10日[2] - )は、日本の官僚。元国税庁長官。ビジネス・ブレークスルー大学大学院教授。東京都出身[3]。血液型はO型[4]。
略歴
[編集]- 1969年(昭和44年) 国家公務員採用上級甲種試験(経済)合格
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)10月 大阪国税局調査部
- 1973年(昭和48年)7月 銀行局特別金融課特別銀行係長心得[5]
- 1974年(昭和49年)7月 銀行局特別金融課特別銀行係長
- 1975年(昭和50年)7月 藤枝税務署長
- 1976年(昭和51年)7月 厚生省年金局年金課長補佐
- 1978年(昭和53年)7月 主計局調査課長補佐(計画)[6]
- 1979年(昭和54年)7月 主計局主計企画官補佐(財政計画係)
- 1981年(昭和56年)7月 主計局主計官補佐(外務、経済協力係主査)
- 1983年(昭和58年)6月 主計局主計官補佐(文部係主査)
- 1984年(昭和59年)7月 理財局資金第一課課長補佐
- 1985年(昭和60年)6月 大臣官房企画官兼理財局総務課
- 1986年(昭和61年)6月 石川県商工労働部長
- 1987年(昭和62年)4月 石川県総務部長
- 1988年(昭和63年)6月 大臣官房企画官兼主税局税制第一課
- 1989年(平成元年)6月 主税局税制第三課長
- 1991年(平成3年)6月 主税局調査課長
- 1992年(平成4年)7月 主税局税制第二課長
- 1993年(平成5年)7月 主税局税制第一課長
- 1994年(平成6年)7月 主税局総務課長
- 1995年(平成7年)5月 大臣官房審議官(主税局担当)
- 1996年(平成8年)7月 大阪国税局長
- 1997年(平成9年)7月 大臣官房審議官(主税局担当)
- 1998年(平成10年)7月 国税庁次長
- 2001年(平成13年)
- 2004年(平成16年)7月2日 国税庁長官
- 2005年(平成17年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2012年(平成24年)脱税スキャンダル(いわゆる週刊朝日事件、週刊朝日 2012年7月13日号、2012年7月20日号、8月3日号、10月26日号)で失脚の後、現職
- ビジネス・ブレークスルー大学大学院 客員教授
- 関西大学 客員教授、経営審議会委員
- 大和大学 特任教授
- 人事院 公務員研修所 客員教授
- 北京 中央財経大学 名誉教授
- 超高齢化社会システムデザイン研究会 座長
- 株式会社シイエム・シイ 取締役(社外)
- 株式会社キリン堂ホールディングス 取締役(社外)
- タビオ株式会社 取締役(社外)
- 公益財団法人社会貢献支援財団 選考委員
- 公益財団法人原田積善会 監事
- 株式会社ウェッジ 編集委員
- 荒川区 顧問
人物
[編集]消費税を3%から5%にアップする税制改革法案の成立時に主税局総務課長として、自民党税調と渡り合い、税のエースとされていた[8]。
著書
[編集]- 『図説日本の税制 平成4年度版』(編著、財経詳報社、1992年)
- 『法人税関係法規集 平成5年版』(監修、税務研究会出版局、1993年)
- 『データで示す日本の大転換――「当たり前」への回帰』(かんき出版、2005年)
- 『税財政の本道――国のかたちを見すえて』(東洋経済新報社、2006年)
- 『平成の税・財政の歩みと21世紀の国家戦略』(納税協会連合会、2006年)
- 『大変!』(かんき出版、2009年)
脚注
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