大沢梅次郎
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大沢 梅次郎 おおさわ うめじろう | |
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生年月日 | 1889年3月8日 |
出生地 | 日本 東京府(現東京都) |
没年月日 | 1959年9月20日(70歳没) |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
従五位 勲四等瑞宝章 藍綬褒章 |
第2代 東京都議会議長 | |
在任期間 | 1944年10月21日 - 1945年10月22日 |
東京都議会議員 | |
選挙区 |
(向島区選挙区→) 墨田区選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1943年9月13日 - 1959年4月29日 |
東京市会議員 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1932年11月5日 - 1937年3月15日 1942年6月15日 - 1943年6月30日 |
第27代 東京府会議長 | |
在任期間 | 1942年 - 1943年 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1928年6月10日 - 1936年6月9日 1940年6月10日 - 1943年6月30日 |
大沢 梅次郎(おおさわ うめじろう、1889年〈明治22年〉3月8日 - 1959年〈昭和34年〉9月20日)は、日本の政治家。
第2代都議会議長、東京都議会議員(4期)、東京市会議員(3期)、第27代東京府会議長、東京府会議員(3期)を歴任した。
経歴
[編集]1889年3月8日、東京府(現東京都)に生まれる[1]。1928年6月10日に東京府会議員に就任した[1]。1932年11月5日には東京市会議員にも就任した[1]。1936年6月9日に府議を、1937年3月15日に市議を退任した[1]。1940年6月10日に府議に、1942年6月15日に市議に再び就任した[1]。また、1942年には第27代東京府会議長に就任した[1]。この時、全国道府県会議長会(現全国都道府県議会議長会)会長も務めた[1][2]。1943年に府会議長を退任した[1]。同年6月30日に府議、市議共に退任した[1]。(府議、市議共に3期ずつ務めた[1])同年9月13日の第1回東京都議会議員選挙で、当時の向島区選挙区から立候補して、初当選した[1][3][4]。1944年10月21日に第2代東京都議会議長に就任した[1][5][6]。また、全国都道府県議会議長会会長も再び務めた[1]。1945年10月22日に都議会議長を退任した[1][5][6]。その後は、都民クラブ幹事長(1946年から1947年)、東京都監査委員(1947年から1948年)、都議会民主クラブ幹事長(1948年から1950年)を歴任した[1]。1959年の任期満了をもって都議を退任した[1][3]。同年9月20日に死去した[1]。
栄典
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 東京都議会議会局管理部総務課『東京都議会歴代議員略歴集録 昭和18年〜平成13年』東京都議会議会局管理部総務課、2002年、44頁。
- ^ “歴史|全国都道府県議会議長会”. www.gichokai.gr.jp. 2021年6月12日閲覧。
- ^ a b “歴代議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月12日閲覧。
- ^ 東京都議会議会局法制部/編『東京都議会史』東京都議会議会局、1951年、第1章 9頁。
- ^ a b “歴代議長・副議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月12日閲覧。
- ^ a b 東京都議会議会局法制部/編『東京都議会史』 第1巻、東京都議会議会局、1951年、付録 2頁。