近藤信好
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近藤信好 こんどう のぶよし | |
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生年月日 | 1930年8月25日 |
出生地 |
日本 群馬県多野郡万場町 (現群馬県多野郡神流町) |
没年月日 | 2005年5月29日(74歳没) |
出身校 | 日本大学歯学部卒業 |
前職 | 歯科医師 |
現職 | 東京都選挙管理委員会委員長 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
勲三等旭日中綬章 藍綬褒章 |
子女 | 長女・近藤弥生 |
第31代 東京都議会議長 | |
在任期間 | 1987年9月 - 1989年7月 |
選挙区 | 足立区選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1973年7月23日 - 1996年10月7日 |
第30代 足立区議会副議長 | |
在任期間 | 1971年5月25日 - 1972年7月6日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1967年 - 1973年 |
近藤 信好(こんどう のぶよし、1930年8月25日 - 2005年5月29日)は日本の政治家。足立区議(2期)、第30代足立区議会副議長、東京都議(6期)、第31代都議会議長を歴任した。長女は足立区長の近藤弥生[1]。
経歴
[編集]1930年8月25日、群馬県多野郡万場町(現神流町)に生まれる[2][3]。1955年に日本大学歯学部を卒業[2]。1958年に近藤歯科医院を開業[2]。1967年から足立区議会議員を2期6年務める[2][3]。この間、第30代足立区議会副議長(1971年5月25日から1972年7月6日)を務める[3][4]。1973年、東京都議会議員選挙に足立区選挙区から立候補して、初当選する[2][3][5]。都議会では、警務消防委員会委員長(1979年から1980年)、都議会自民党政調会長(1981年から1982年)、都議会自民党幹事長(1983年から1984年)、議会運営委員会委員長(1983年から1984年)を歴任した[3]。1987年9月に第31代東京都議会議長に就任した[2][3][6]。1988年からは全国都道府県議会議長会会長も務めた[2][3]。1989年7月に議長を退任した[3][6]。その後は、賀詞起草特別委員会委員長(1991年)を務めた[3]。1996年10月7日、衆議院選挙に立候補するため都議会議員を辞職した[2][3][5]。第41回衆議院議員総選挙では東京13区から立候補したが、新進党の鴨下一郎に敗れた[7]。その後は、東京都選挙管理委員会委員長(1999年から[注釈 1])を務めた[3]。2005年5月29日に死去した[2]。
栄典
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「東京都議会歴代議員略歴集録 昭和18年〜平成13年」の発行日時点では現職であったため、退任時期は不明
出典
[編集]- ^ 328hochiの投稿(2370234033245392) - Facebook
- ^ a b c d e f g h i j k 日外アソシエーツ「WhoPlus」
- ^ a b c d e f g h i j k l m 東京都議会議会局管理部総務課『東京都議会歴代議員略歴集録 昭和18年〜平成13年』東京都議会議会局管理部総務課、2002年、83頁。
- ^ “足立区議会 歴代議長・副議長”. www.gikai-adachi.jp. 2021年6月5日閲覧。
- ^ a b “歴代議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月5日閲覧。
- ^ a b “歴代議長・副議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月5日閲覧。
- ^ “東京13区 - 第41回衆議院議員選挙(衆議院議員総選挙)1996年10月20日投票 | 選挙ドットコム”. 選挙ドットコム. 2021年6月5日閲覧。