植田英一
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植田 英一 うえた えいいち | |
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生年月日 | 1925年11月8日 |
没年月日 | 2019年2月11日(93歳没) |
所属政党 | 自由民主党 |
福島県議会議員 | |
選挙区 | 郡山市選挙区 |
当選回数 | 4 |
在任期間 | 1987年 - 2003年 |
在任期間 | 2001年 (平成13年) 3月 - 2003年 (平成15年) 4月 |
植田 英一(うえた えいいち、1925年<大正14年>11月8日[1] - 2019年<平成31年>2月11日) は、日本の政治家。自由民主党所属。福島県議会議員 (4期)、福島県議会議長 (64代)、全国都道府県議会議長会長、郡山市議会議員を歴任。
来歴
[編集]岩瀬農学校 (現・福島県立岩瀬農業高等学校) 卒業[1]。1963年に田村町 (現・郡山市) 議会議員選挙に初当選し[1]、田村町は1965年に郡山市と合併し、以降郡山市議含め5期務めた。その後、福島県議会議員に転身し4期務める[2]。2001年3月から2003年5月まで櫛田一男副議長とともに64代福島県議会議長[3]。2002年7月から2003年4月まで全国都道府県議会議長会長[4]。他、自民党福島県連幹事長を務めた[5]。
2019年2月11日、93歳没[2]。
主張
[編集]- かつては原子力発電推進主義者だったが、東海村の臨界事故で怒りとともに反対するようになった。東京電力福島第一原子力発電所事故の損害賠償制度などを求める「放射能被害のないふるさとをつくる会」代表世話人となった[6]
- 沖縄県名護市辺野古への「沖縄・福島連帯する郡山の会」相談役として新基地建設に反対[5]
脚注
[編集]- ^ a b c 『現代福島人名録』48頁。
- ^ a b “植田英一さんは時代の波に翻弄されながらも皆様とともに人生を歩んできました幾多の苦難を乗り越えて生き抜いてきた93年”. Sogi.jp. 2024年10月18日閲覧。
- ^ “歴代議長・副議長名簿”. 福島県議会. 2024年10月18日閲覧。
- ^ “全国都道府県議会議長会歴代会長名簿(戦後編)”. 全国都道府県議会議長会. 2024年10月18日閲覧。
- ^ a b “立場超え基地反対”. しんぶん赤旗 (2015年5月11日). 2024年10月18日閲覧。
- ^ “国と東電の責任逃れは許さない!”. 農民運動全国連合会. 2024年10月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 財界21事業本部編『現代福島人名録』財界21、2002年。