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中井信夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中井 信夫(なかい のぶお、1908年明治41年)5月31日 - 2004年平成16年)12月13日)は、日本政治家。元大阪府議会議員(自由民主党)、元大阪府議会議長。薬剤師。大和屋薬局代表社員[1]

来歴

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大阪府出身。1929年昭和4年)大阪薬学専門学校(のち、大阪大学医学部薬学科、現・大阪大学大学院薬学研究科・薬学部)卒[1]。同年、堺市で薬局を開業する。堺薬剤師会長、堺市議[注 1]を経て[1]1947年(昭和22年)大阪府議会議員に当選する。以来連続6回当選。

1964年(昭和39年)大阪府議会議長に就任[2]。翌1965年(昭和40年)全国都道府県議会議長会会長に就任。同会長は1949年に会長職が置かれて以来、東京都議会議長が代々その座に就いていたが、同年に発生した都議会議長選挙に絡む汚職事件東京都議会黒い霧事件)により、現職都議会議長で会長の小山貞雄が逮捕されたため、小山は会長を辞任。後任の会長に大阪府議会議長の中井がその座に就くこととなり、東京都議会議長以外では初めて会長に就任した。会長は翌年まで務めた[3]

1971年(昭和46年)堺市長選挙に立候補のため、府議を辞職[4]。市長選挙には元社会党府議の和田貞夫、元民社党府議の土師半六も立候補し、激戦となったが、中井の得票数は3万票余りと最下位に終わり、土師に敗れた[5]。2004年に死去した。

脚注

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注釈

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  1. ^ 『現代物故者事典 2003~2005』419頁には「大阪市議」と記載。

出典

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  1. ^ a b c 人事興信所 編『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年、な之部 な21頁。NDLJP:3044858 
  2. ^ 大阪府議会史編さん委員会 編『大阪府議会史 第7編』大阪府議会、1995年、636頁。NDLJP:9673745 
  3. ^ 全国都道府県議会議長会歴代会長名簿(戦後編)|全国都道府県議会議長会2024年4月20日閲覧。
  4. ^ 大阪府議会史編さん委員会 編『大阪府議会史 第8編』大阪府議会、1998年、227頁。NDLJP:9673765 
  5. ^ 堺市・市長選(大阪府):政治データのブログ

参考文献

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