大田原広清
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文政13年8月9日(1830年9月25日) |
死没 | 嘉永4年4月12日(1851年5月12日) |
改名 | 範次郎、英次郎(幼名)、広清 |
戒名 | 広源院殿清雄良湛大居士 |
墓所 | 東京都港区高輪の泉岳寺 |
官位 | 従五位下、出雲守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野国大田原藩主 |
氏族 | 大田原氏 |
父母 | 父:大田原愛清、養母:松平忠彊の娘 |
妻 | 正室:黒田長韶の娘 |
子 | 養子:大田原富清 |
大田原 広清(おおたわら ひろきよ)は、下野大田原藩の第12代藩主。
文政13年(1830年)8月9日、第11代藩主・大田原愛清の次男として生まれる。弘化2年(1845年)5月27日に世子に指名され、弘化3年(1846年)12月16日に従五位下・出雲守に叙位・任官する。弘化4年(1847年)3月10日の父の隠居により家督を継ぐ。
嘉永4年(1851年)4月12日に江戸藩邸で死去した。享年22。跡を養子の富清が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 黒田長韶の娘
養子