大田原政清
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長17年(1612年) |
死没 | 万治4年3月5日(1661年4月4日) |
改名 | 左兵衛(幼名)、政清 |
戒名 | 智覚院殿令保堅表大居士 |
墓所 | 栃木県大田原市の光真寺 |
官位 | 従五位下、備前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
藩 | 下野国大田原藩主 |
氏族 | 大田原氏 |
父母 | 父:大田原晴清、母:那須資貞の娘 |
妻 | 正室:織田長政の娘 |
子 | 高清、為清(次男)、織田吉清(三男)、資世(四男)、政康(五男)、晴川(六男)、娘(堀田一幸室)、娘(宮城和充室)、娘(大田原政増室)、娘 |
大田原 政清(おおたわら まさきよ)は、下野大田原藩の第2代藩主。
略歴
[編集]慶長17年(1612年)、初代藩主・晴清の長男として生まれる。寛永8年(1631年)、父の死去により家督を継ぐ。駿府加番に任じられ、慶安元年(1648年)12月に叙任する。後に大坂城番に任じられた。万治4年(1661年)3月5日、江戸で死去した。享年50。跡を長男・高清が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 織田長政の娘
子女