大田原富清
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時代 | 江戸時代後期(幕末) |
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生誕 | 天保7年7月7日(1836年8月18日) |
死没 | 文久2年9月2日(1862年10月24日) |
改名 | 牲三郎(幼名)、富清 |
諡号 | 静斎 |
戒名 | 護邦院殿徳雲清潤大居士 |
墓所 |
栃木県大田原市の光真寺 東京都港区の泉岳寺 |
官位 | 従五位下、飛騨守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野大田原藩主 |
氏族 | 九鬼氏→大田原氏 |
父母 |
父:九鬼隆都、母:板倉勝俊の娘 養父:大田原広清、養母:黒田長韶の娘 |
兄弟 |
九鬼隆備、富清、九鬼隆義、一柳末徳、 九鬼寧隆 |
妻 | 正室:大田原清徳(大田原庸清四男)の長女 |
子 | 一清、松平忠良 |
大田原 富清(おおたわら とみきよ)は、下野大田原藩の第13代藩主。
天保7年(1836年)7月7日、丹波綾部藩の第9代藩主・九鬼隆都の次男として生まれる。嘉永4年(1851年)に大田原藩の第12代藩主・大田原広清が死去したため、その養子となって家督を継いだ。12月28日に従五位下・飛騨守に叙位・任官する。
嘉永6年(1853年)9月から嘉永7年(1854年)9月まで駿府城加番を務めた。安政5年(1858年)8月から安政6年(1859年)まで大坂城加番を務めた。文久2年(1862年)閏8月からも大坂加番に任じられて任地に赴くが、間もなく病に倒れて9月2日に大坂で死去した。享年27。跡を長男・一清が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 鋭 ー 大田原清徳の長女
子女