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大神武俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大神 武俊
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県
生年月日 (1932-11-01) 1932年11月1日
没年月日 (2003-01-16) 2003年1月16日(70歳没)
身長
体重
173 cm
63 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1952年
初出場 1952年
最終出場 1956年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

大神 武俊(おおがみ たけとし、1932年11月1日 - 2003年1月16日[1])は、福岡県福岡市出身[1]プロ野球選手投手、右投右打)・解説者、野球指導者。

来歴・人物

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博多工業高から社会人野球東洋高圧大牟田を経て、1951年南海ホークスの2軍的なチームであった社会人野球の南海土建に入団。

1952年南海ホークスに昇格する。1年目の当初は、ぱっと見で身体が細くて、使い物になるか危ぶまれるような選手であったという[2]。しかし、キャンプで注目を集めると、シーズンでは8勝を挙げる。巨人との日本シリーズでは新人にもかかわらず、第1戦の先発に抜擢される(大神以後、日本シリーズ第1戦に先発登板した新人投手は、楽天則本昂大2013年に先発登板するまで61年間にわたって現れなかった[3]。)。試合では3回途中2失点で降板した(勝敗付かず)。

2年目の1953年には19勝8敗を記録し[4]、勝率.704で最高勝率のタイトルを獲得。防御率も2.23でリーグ5位に入った。この年の巨人との日本シリーズでも第一戦に先発し、6回途中まで1失点に抑える好投で、緒戦の勝利に貢献。さらに、1勝3敗で迎えた第5戦で先発して9安打5四球を与えるが要所を締めて完封勝利を飾っている。1954年も14勝7敗と好成績を挙げた。

1955年に肩を故障し3勝に留まると、1956年にはわずか1試合の登板に終わり、この年限りで現役引退。

その後は、KBC解説者1957年 - 1968年)を経て、福岡大学の監督(1969年 - 1974年, 1982年 - 1990年)を務めた。2003年1月16日胃癌で死去[1][5]。70歳没。

選手としての特徴

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投球フォームはアンダースローの変形で、球速がある一方で、低めに決まるカーブシュートも効果的だった[2]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1952 南海 32 18 3 1 1 8 5 -- -- .615 578 137.0 123 9 48 -- 5 70 0 0 61 48 3.15 1.25
1953 43 29 16 4 0 19 8 -- -- .704 1068 261.1 216 7 101 -- 7 109 2 0 77 65 2.23 1.21
1954 34 27 8 3 0 14 7 -- -- .667 734 185.1 139 10 68 -- 8 67 2 0 53 47 2.27 1.12
1955 20 6 0 0 0 3 1 -- -- .750 240 54.1 63 5 23 1 1 22 0 0 30 24 3.93 1.58
1956 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 5 1.0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 1.00
通算:5年 130 80 27 8 1 44 21 -- -- .677 2625 639.0 542 31 240 1 21 268 4 0 221 184 2.59 1.22
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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記録

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  • 1イニング与死球:4 (1953年8月11日、対近鉄パールス戦) ※当時のNPB記録

背番号

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  • 28 (1952年 - 1956年)

関連情報

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出演

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KBCラジオ
KBCテレビ

脚注

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  1. ^ a b c 西日本新聞、2003年1月18日朝刊社会面
  2. ^ a b 『鶴岡一人の栄光と血涙のプロ野球史』128頁
  3. ^ 則本が新人61年ぶり日本Sの初戦先発 デイリースポーツ 2013年10月26日閲覧
  4. ^ “ホークスの歩み(1953年)”. 福岡ソフトバンクホークス. https://www.softbankhawks.co.jp/ocms/pc/team/history/vol04.html 2020年3月31日閲覧。 
  5. ^ 大神武俊氏(元南海ホークス投手)が胃がんのため死去 日刊スポーツ 2003年1月16日付

参考文献

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  • 鶴岡一人『鶴岡一人の栄光と血涙のプロ野球史』恒文社、1977年

関連項目

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外部リンク

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