安田勲
安田 勲 やすだ いさお | |
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生年月日 |
1853年7月23日 (嘉永6年6月18日) |
出生地 |
日本 安房国長狭郡平塚村 (現千葉県鴨川市平塚) |
没年月日 | 1916年6月9日(62歳没) |
出身校 | 慶應義塾 |
前職 | 畜産業 |
所属政党 |
議員集会所 立憲改進党 憲政本党 |
安田 勲(やすだ いさお、1853年7月23日(嘉永6年6月18日[1])- 1916年(大正5年[注釈 1])6月9日[1][2])は、明治から大正初期の畜産家・政治家。衆議院議員、千葉県長狭郡大山村長。
経歴
[編集]安房国長狭郡平塚村[1](千葉県[3]長狭郡大山村平塚[1]、安房郡大山村[2]、長狭町を経て現鴨川市[1]平塚)で安田栄存の長男として生まれる[1]。3歳で母を失い祖母に養育された[1]。嶺田楓江から学び、その後上京し岡鹿門に師事して漢学を修めた[1]。洋学を志し、1871年(明治4年)慶應義塾に入り政治学、経済学などを学んだ[1][2][3][4]。
1876年(明治9年)帰郷し、第二大区区会議員に就任し、1877年(明治10年)第二大区の代議員(千葉県代議人[3][4])に当選し千葉県会に出席した[1]。1879年(明治12年)3月、府県会規則による初の千葉県会議員選挙で当選したが辞退した[1]。
その後、県立千葉中学校(現千葉県立千葉中学校・高等学校)教員、千葉県師範学校教員、千葉県御用掛、同属を歴任した[1][2][3][4]。
退官して1882年(明治15年)に帰郷し、同年6月の県会議員選挙で当選し、1890年(明治23年)7月まで在任し、この間、常置委員、県徴兵参事員などを務めた[1][2][3]。また池田栄亮らと『房総新聞』を発行[1]。条約改正については賛成に積極的立場で主張を行った[1]。1889年(明治22年)4月、町村制施行により大山村が発足し、同年10月、2代村長に就任し1890年3月まで在任した[1]。
また畜産の振興に尽力し[1]、畜産会社を設立して牛馬の改良に取り組み[1]、東京に愛生舎を設立して畜産品の販路を拡大した[1]。
1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(千葉県第8区)で初当選し[5]、以後、第10回総選挙まで5回再選され、衆議院議員に通算6期在任した[2][3][4]。
1909年(明治42年)日本製糖汚職事件で拘禁され、同年7月3日に、東京地方裁判所第二刑事部において重禁固4ヶ月の有罪の判決が言い渡され[6]、衆議院議員を辞職[7]。その後、判決を不服として控訴を行ったが、同年8月10日に、東京控訴院第一部で重禁固4か月、追徴金600円の判決が言い渡された[8]。
1916年6月9日、早稲田の大隈重信邸から退出した際に倒れ、同日午後に死亡した[1]。
国政選挙歴
[編集]- 第1回衆議院議員総選挙(千葉県第8区、1890年7月、議員集会所)当選[5]
- 第2回衆議院議員総選挙(千葉県第8区、1892年2月、立憲改進党)次点落選[5]
- 第3回衆議院議員総選挙(千葉県第8区、1894年3月、立憲改進党)当選[5]
- 第6回衆議院議員総選挙(千葉県第8区、1898年8月、憲政本党)次点落選[9]
- 第7回衆議院議員総選挙(千葉県全県、1902年8月、憲政本党)当選[10]
- 第8回衆議院議員総選挙(千葉県全県、1903年3月、憲政本党)当選[10]
- 第9回衆議院議員総選挙(千葉県全県、1904年3月、憲政本党)次点落選[10]
- 第9回衆議院議員総選挙補欠選挙(千葉県全県、1905年12月、憲政本党)当選。伊藤徳太郎の死去により実施[11][12]。
- 第10回衆議院議員総選挙(千葉県全県、1908年5月、憲政本党)当選[13]
- 第12回衆議院議員総選挙(千葉県全県、1915年3月、無所属)落選[13]
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』668頁、『千葉大百科事典』952頁では大正6年。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『千葉県議会史:議員名鑑』809頁。
- ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』467頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』668頁。
- ^ a b c d 『千葉大百科事典』952頁。
- ^ a b c d 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』20頁。
- ^ 「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」504-511頁。
- ^ 『官報』第7809号、明治42年7月7日。
- ^ 「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」512頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』81頁。
- ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』11頁。
- ^ 『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』241頁。
- ^ 『官報』第6755号、明治39年1月9日。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』51頁。
- ^ 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年、ヤ之部27頁。