宗谷岬灯台
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宗谷岬灯台 | |
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航路標識番号 [国際標識番号] | 0432 [M6896] |
位置 | 北緯45度31分17秒 東経141度56分11秒 / 北緯45.52139度 東経141.93639度座標: 北緯45度31分17秒 東経141度56分11秒 / 北緯45.52139度 東経141.93639度 |
所在地 | 北海道稚内市宗谷岬 |
塗色・構造 |
白地に赤横帯2本塗 塔形(四角形) コンクリート造 |
レンズ | 第3等小型フレネル式 |
灯質 | 群閃白光 毎30秒に4閃光 |
実効光度 | 800,000 cd |
光達距離 | 17.5海里(約 32 km) |
明弧 | 77度から285度まで |
塔高 | 17 m (地上 - 塔頂) |
灯火標高 | 40 m (平均海面 - 灯火) |
初点灯 | 1885年(明治18年)9月25日 |
管轄 |
海上保安庁 第一管区海上保安本部 |
宗谷岬灯台(そうやみさきとうだい)は、北海道稚内市宗谷岬に建つ灯台。
日本国政府が管理する灯台としては日本国最北に位置する。「日本の灯台50選」認定灯台。稚内灯台と同様に樺太の対岸にある国境の灯台であり、国際海峡である宗谷海峡の航路を守る重要な役割を果たしている。宗谷海峡を挟んだ対岸の灯台は、西能登呂岬(ロシア名:クリリオン岬)の西能登呂岬灯台である。
歴史
[編集]- 1885年(明治18年)9月25日 - 八角形鉄造の初代宗谷岬灯台が点灯[1]。
- 1911年(明治44年)5月17日 - 野火のため、初代宗谷岬灯台が焼失する[2]。
- 1912年(大正元年)
- 1935年(昭和10年)7月15日 - 無線方位信号所業務開始(無線標識・無線羅針)[5]。
- 1954年(昭和29年) - 大規模な改築工事で現在の姿になる。
- 2006年(平成18年)9月5日 - 無線方位信号所(中波帯)廃止[6]。
- 2009年(平成21年)
付属施設
[編集]- ディファレンシャルGPS局
アクセス
[編集]周辺
[編集]出典
[編集]- ^ 明治18年工部省告示第25号(『官報』第646号、明治18年8月25日、pp.317-318)
- ^ 明治44年逓信省告示第571号(『官報』第8371号、明治44年5月20日、p.489)
- ^ 大正元年逓信省告示第157号(『官報』第45号、大正元年9月24日、p.394)
- ^ “逓信省告示第338号. 官報. 1912年10月28日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月17日閲覧。
- ^ “逓信省告示第1854/1855号. 官報. 1935年7月12日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
- ^ “一管区水路通報第32号:平成18年8月18日”. 国立国会図書館. 2021年11月22日閲覧。
- ^ “一管区水路通報第9号:平成21年3月6日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月22日閲覧。
- ^ “無線方位信号所(レーマークビーコン)廃止計画 (PDF) ”(海上保安庁)2021年11月20日閲覧。
関連項目
[編集]- 稚内灯台 - 野寒布岬(ノシャップ岬)にある灯台
- 白神岬灯台 - 北海道最南端の灯台
- 襟裳岬灯台
- 納沙布岬灯台 - 北海道最東端の灯台
- 松前大島灯台 - 北海道最西端の灯台
- 西能登呂岬灯台 - 樺太最南端西能登呂岬にある灯台
- 中知床岬灯台 - 樺太南部中知床岬にある灯台
外部リンク
[編集]- <岬と灯台写真館> 宗谷岬と灯台(北海道) - ウェイバックマシン(2005年3月12日アーカイブ分)
- 宗谷岬灯台
- 稚内海上保安部