宝来麻紀子
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基本情報 | |||||
国籍 | 日本 | ||||
生年月日 | 1979年1月6日(45歳) | ||||
出身地 | 山口県宇部市 | ||||
ラテン文字 | Makiko Horai | ||||
身長 | 187cm | ||||
体重 | 68kg | ||||
血液型 | B型 | ||||
高校 | 三田尻女子高等学校 | ||||
選手情報 | |||||
愛称 | マホ | ||||
ポジション | MB / WS | ||||
利き手 | 右 | ||||
スパイク | 312cm | ||||
ブロック | 300cm | ||||
所属歴 | |||||
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宝来 麻紀子(ほうらい まきこ、1979年1月6日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者。
来歴
山口県宇部市出身。母親がママさんバレーをやっていたことと背が高かったことから、小学校4年生からバレーボールを始める。中学時代、さわやか杯に出場したのをきっかけに、バレーボールに本格的に打ち込む。三田尻女子高校(現・誠英高等学校)時代には、国体準優勝を経験[1]。
1997年、日立ベルフィーユに入団。2001年に廃部となり、JTマーヴェラスに移籍。2002年、チームはV1リーグ(現・チャレンジリーグ)に降格するが、この年復帰した竹下佳江と共に、翌年のVリーグ再昇格に貢献。
全日本代表として世界選手権(2002年)、ワールドカップ(2003年)、ワールドグランプリ(2001-2003年、2005年)などの国際大会には度々出場したが、2004年アテネオリンピック世界最終予選直前に代表メンバーから外れ、アテネオリンピック出場は果たせなかった。
2005年のワールドグランプリではライトのポジションではなく、センターで起用された。また同年、登録名を本名の麻紀子から眞紀子に改名[2]。姓名判断において「消極的なところがある、波が激しい、崩れやすい」と言われたためである。ただし、この登録名は2005年の一年間のみで翌年からは本名に戻している[2]。
2006年、世界選手権に出場。
2009年5月31日、JTを退社し、現役を引退。ビーチバレーへの転向を発表。
2010年1月、ビーチバレー転向を断念。ミズノなどの支援を受け、3年でプロゴルファーを目指すこととなる。ソフトボールから転向した岡本綾子を目標にしたいという[3][4]。
2011年6月16日、プロゴルファー転向を断念することを発表[5]。
2015年秋に元全日本男子バレーボール選手の前田悟と結婚[6]。
2018年3月、高尾和行が監督を務める福岡春日シーキャッツのコーチに就任[7]。2021年4月の、チームの大幅な体制変更が起こった頃には退団した(チーム名も「KANOA福岡」に変更となった)。
人物・エピソード
- ニックネームはマホ(マキコ ホウライから)。
- 幼少時は保母になることを夢見ていた[8]。
- 非常に目が細く、自分もこのことを気に入っている。JTマーヴェラスの公式ホームページ内では自分のチャームポイントとして、「細い目」とあげている。
- 2006年ドーハアジア大会で、オフの自主練習中に板が降ってきて右足の親指・人差し指・中指を痛め、人差し指にヒビが入り、他の選手から「看板娘」とあだ名をつけられた。
球歴
所属チーム
- 三田尻女子高校(現・誠英高等学校)
- 日立ベルフィーユ(1997-2001年)
- JTマーヴェラス(2001-2009年)
脚注
- ^ 準決勝で対戦した古川商業高等学校(現・古川学園高等学校)には、元チームメイトの菅山かおるがいた。
- ^ a b 漢字 - 宝来麻紀子オフィシャルブログ(2010年6月22日)
- ^ 日刊スポーツ、2010年1月20日p25
- ^ asahi.com(朝日新聞社):バレー元代表の宝来プロゴルファー転身へ
- ^ ご報告 - 宝来麻紀子オフィシャルブログ(2011年6月16日)
- ^ “宝来麻紀子、今秋結婚!元バレー日本代表同士 ビッグベイビー期待”. スポニチ (2015年8月23日). 2015年8月24日閲覧。
- ^ “元バレー全日本の宝来麻紀子さん、新クラブのコーチに”. 朝日新聞 (2018年3月18日). 2018年3月19日閲覧。
- ^ “JT女子バレー部 選手プロフィール Profile 宝来 眞紀子”. 2008年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月8日閲覧。
外部リンク
- 宝来麻紀子 - Ameba Blog
- アスリートインタビュー 047:全日本女子バレーボールチーム 宝来眞紀子 - フジテレビ公式サイト内