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大林素子

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大林 素子
Motoko Obayashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1967-06-15) 1967年6月15日(57歳)
出身地 日本の旗 東京都小平市
ラテン文字 Motoko Obayashi
血液型 O型
選手情報
愛称 モトコ
ポジション ライト
指高 231 cm
利き手
スパイク 312 cm
ブロック 293 cm
テンプレートを表示
おおばやし もとこ
大林 素子
身長 185 cm[1]
職業 女優タレントモデルスポーツキャスター
ジャンル 舞台テレビドラマ映画
活動期間 1997年 - (スポーツキャスター)
2006年 - (女優)
事務所 ホリプロ
公式サイト 公式プロフィール
主な作品
舞台
『MOTHERマザー〜特攻の母 鳥濱トメ物語〜』
テンプレートを表示

大林 素子(おおばやし もとこ、1967年6月15日 - )は日本の元バレーボール選手、スポーツキャスタータレント女優モデルである。東京都小平市出身[2]八王子実践高等学校卒業。ホリプロ所属。日本バレーボール協会広報委員(元バレーボール日本女子代表選手)、神戸親和女子大学発達教育学部ジュニアスポーツ教育学科客員教授会津大学非常勤講師

来歴

バレーボール選手として

東京・新宿区生まれで、物心が付く頃に小平市に転居[3]小平市立第二中学校でバレーを始め、卒業後の1983年、バレーの強豪校である八王子実践高等学校に進学。高校時代は、第15回1984年春の高校バレーでは3位、第16回1985年)は準優勝であった。1985年、高校在学中に全日本代表に初選出され、同年のワールドカップで国際大会デビューを果たす。

高校卒業後の1986年、当時実業団のトップチームであった日立ベルフィーユに入団(同時に日立製作所に入社)[3]1989年ワールドカップ直前に、膝の半月板損傷、右足首の靭帯断裂という大怪我をしたため、ベンチ入りはしたもののコートに立つ機会はなかった。オリンピックには、1988年ソウル大会1992年バルセロナ大会1996年アトランタ大会の3大会に出場し、日本のエースアタッカーとして活躍した。

1994年7月、日立の他の選手と共にプロ契約を求めて辞表を出し、話し合いを経て撤回した。10月、世界選手権に主将として出場。しかし翌11月、チームの内紛に端を発した騒動で吉原知子とともに日立を解雇される[4][5]Vリーグ発足の翌日のことであった)。

1995年1月、日本人初のプロバレーボール選手としてイタリアセリエAのアンコーナと契約し[6]、シーズン終了までの5か月間にわたってプレーした[3]

同年5月に帰国した後は、ダイエー・オレンジアタッカーズ入りが有力視されていたが、代理人問題で二転三転した末に東洋紡オーキスとプロ契約した。

1996年アトランタ五輪に出場したが9位という結果もあり[3]Vリーグで1シーズンプレーした後、1997年3月に現役引退した[7]

現役引退後

現役引退後はホリプロに所属し[8]スポーツキャスターとしてバレーボール中継解説や、VAS(バレーボールアドバイザリースタッフ)として後進の指導にあたる。また、日本バレーボール協会テクニカル委員、日本スポーツマスターズ委員会シンボルメンバー、日本スポーツ少年団委員などの要職に就いている。

1997年からフジテレビF1グランプリ中継のピットレポーターを務めた[9]。また、スカパー!フジテレビワンツーネクストでは、『モータースポーツパラダイス』(2001年 - 2005年)→『F1GPニュース』(2005年 - 2011年)の司会を務めた。これによりモータースポーツと深く関わり、2001年には「大林アタッカーズ」の名称で女性ばかりのレーシングチームを結成し、監督として耐久レース「鈴鹿1000km」にも参戦[10]2003年にはチーム名を「レディスD」と改め、再挑戦している)。

一方で、スポーツ以外のタレント業でもテレビ等で幅広く活躍。2001年には、つんく♂プロデュースによる身長175 cm以上のアイドルユニット『デカモニ。』として歌手デビュー[注 1]

2006年には初舞台となるAir studio公演『GENJI〜最後の源氏〜』(東京芸術劇場藤森一朗演出)では、役者として北条政子を演じた。以後舞台を中心に女優としても本格的に活動を開始。

2008年4月より、神戸親和女子大学発達教育学部に新設されたジュニアスポーツ教育学科客員教授に就任した。

2009年からは“特攻の母”と呼ばれた食堂経営者・鳥濱トメの半生を描いた主演舞台『MOTHERマザー〜特攻の母 鳥濱トメ物語〜』の上演を続け、ライフワークとしている[13]

2010年には舞台『ファウストの悲劇』に起用されるなど、以後同作を含めた蜷川幸雄演出の3作品に出演[14]2015年には『母をたずねて三千里〜マルコ〜』でミュージカル作品に初出演[13]

2010年から、千葉県勝浦市バレーボール協会が主催する「大林素子杯」が開催されている[15]

2015年12月26日深夜(27日)のブログで、声帯結節の手術を受けることを明らかにした[16]。12月30日、手術を終え退院[17]

2020年10月から2021年3月までの間、会津大学体育実技の授業でバレーボールの指導を担当する非常勤講師に就任した。

2022年、みちのくレコードから両A面シングル「陽だまりダイアリー」「愛する人と歩きたい」を発売し、演歌歌手デビューを果たした(大林素子名義としては初のシングル[11][注 2]

2023年5月9日 V.LEAGUE DIVISION2 WOMEN(V2女子)に所属するブレス浜松のゼネラルマネージャーに就任した。

2024年4月30日ブレス浜松のゼネラルマネージャーを退任。

役職

2024年10月現在

過去

  • JOCオリンピックデーラン・アンバサダー(2009・2010)[23][24]
  • JOCオリンピック・ムーブメントアンバサダー(2014-2015年度)[25]
  • ブレス浜松ゼネラルマネージャー(2023-24年)[3][26]
  • (一社)日本バレーボールリーグ機構/(一社)ジャパンバレーボールリーグ/(一社)SVリーグ理事( - 2024年9月)[22]

プレースタイル

182 cmの身長とサウスポーを生かした攻撃で、センターセッターレフトの後ろをコートの右端から左端まで走り抜けて打つブロード攻撃はモトコスペシャルと呼ばれた。

エピソード

子供の頃は長身がコンプレックス

幼いころから歌手になるのが夢で、宝塚歌劇団などのミュージカルや音楽番組を見ながら家の中で歌や踊りを真似ていた[3]。しかし当時から他の子より背が高かったため、小学校入学後にかわれるなどのいじめに遭ったことから、長身がコンプレックスとなった[3]。その後も身長がぐんぐん伸びて小学6年生には170 cmとなり[3]、一時は引きこもったり自殺を考えるほど悩んだ[27]

遡って小学4年の時、テレビアニメ『アタックNo.1』の再放送を見たのをきっかけにコンプレックスだった長身が武器になると思い、中学ではバレーボール部に入部する[28][29][30][31]。上記のいじめ経験から、入部時は「いつかバレー選手としてオリンピックに出て、皆を見返そう」と考えていた[注 3]。また、他の記事で本人は「(いじめっ子への)“復讐”という意味もあった」とも言っている[32]

バレーに打ち込んだ10代

1年生の秋の新人戦でスタメンに抜擢されたものの当時は時々練習をサボっており、試合でミスを連発して負けてしまった[3]。落ち込んでいたところ、監督から「練習しないやつに落ち込む資格はない」と告げられて改心し、以後バレーに真剣に取り組むようになった[3]。たまたま家が日立[注 4]の練習場に近かったこともあり、当時の日立の監督であった山田重雄にファンレターを出した。すると山田から「良かったら練習を見に来てください。」と返事が来て、それがきっかけで中学の練習後にたびたび日立の練習場に見学に行くようになった[33]

高校では他のバレー部員たちとの寮生活を送り、日常の家事も自分たちで行った[3]。仲間とともに「私たちにとっては2位もビリも一緒。優勝するしかない」という気持ちでバレーを頑張った[3]。また、ここで学んだ礼儀や規律、勝つことへの強い気持ちが、以降の“人生の糧”となっているという[3]

日立時代、現役引退

日立所属後のオリンピックでは、1988年のソウル大会では4位[注 5]、猛練習を重ねて出た1992年のバルセロナ大会では5位となってしまった。危機感を持った大林は、山田監督たちが当時日本バレーのレベルを引き上げるため取り組んでいた「プロ化構想」に関わった[3]

1994年にVリーグが作られたがプロ化は実現せず、日立製作所を解雇された[3]。当時、強豪国の選手が多くがプレーしていたイタリアのアンコーナに、「世界最高峰のリーグで己を鍛えたい」との思いから契約を決めた[3]。アンコーナでは、熱気あるファンたちからの評価は厳しかったが、普段の立ち居振る舞いまで含めてプロとして自分を見せることの大切さを学んだ[3]

モータースポーツ

バレー引退後の1997年のF1イタリアGPでの初リポートが転機となり、以降モータースポーツに関わり始める[注 6]。当初は現場取材に行っても中々話を聞き出せず[注 7]、しばらくはサーキットで番組スタッフ以外誰とも会話できない状態が続いた[9]。リポーターの仕事に自信を失くしかけた[9]が、「モータースポーツに無知なことが原因かも」と気づいた[3]

これによりF1雑誌や過去のレース映像などを見て勉強し、これに伴って本人もライセンスを取得することにした[注 8]。さらに、レーシングチームの運営を行うセルモのスタッフや、前ピットリポーターの林百合佳などから個人講義を受けて知識を深めていった[9]。その後はメカニックやエンジニアなどの取材では専門的な話までしてもらえるようになった[9]。この努力が番組スタッフにも認められた結果、以後15年間に渡ってフジテレビなどのモータースポーツ番組に起用された[9]

女優業

2001年に「デカモニ。」として歌手デビューしたことで、「歌や芝居をやりたい」という子供時代からの夢への思いが強くなった[3]。ほどなくして知り合いの劇団に「お芝居をやりたいんです」と申し出て、以後『GENJI〜最後の源氏〜』でなど色々な舞台に出演して役者経験を積んだ[3]

以前から蜷川幸雄演出の舞台の大ファンだったことから、ある日彼の楽屋に訪れて作品への出演を直訴した[3]。以後、蜷川の舞台稽古の見学[3]や、自ら手紙やDVDを送るなどアプローチを続けて出演が叶った。『ファウストの悲劇』で蜷川作品に初参加した際、蜷川からは、その背の高さを芝居の武器にせよという意味で「君は大きいから普通の女優は無理だよ。日本一グロテスクな女優を目指せばいい」と言われたという[34][注 9]。以降舞台全般では、年に5本程度のペースで出演している(2023年現在)[3]

人物

  • 趣味・特技は舞台鑑賞(特に宝塚歌劇団)、タップダンス、レース観戦(車・バイク)。
  • モータースポーツライセンスの「国内A級ライセンス」ならびにMFJ「ピットクルーライセンス」を持つ[3]。また、スポーツキャスターの仕事がきっかけで、小型船舶操縦士4級免許、華道池坊奥伝免許、けん玉8級の資格を持つ。
  • 大のお笑い好きで、劇場にも頻繁に通っている。吉本興業のさまざまな芸人と縁が深く、その関係でよく関西ローカルのバラエティー番組にゲスト出演している。またその趣味が高じ、R-1ぐらんぷりなどのお笑い賞レースで審査員を務めた経験もある。
  • 小さい頃から[3]新選組白虎隊などの日本史が好きな歴女である[35]。新選組では特に土方歳三が好きで、これまで年に数回福島県会津若松市など新選組のゆかりの地を訪れている[3]。本人曰く地元よりも来ているという。これに絡んで、2018年頃から東京と会津若松などでの多拠点生活を送っており[3]、福島のしゃくなげ大使も務めている[35]
  • ミュージカル『レント』でジョアン役を演じるのが夢で、小野寺哲美に師事しボイストレーニングなどレッスンを続けている[36][37]
  • 小学生時代、あまりの高身長のため交通機関を利用するとき母子手帳を携帯していた。
  • 中学でバレー部をやり始めるまで、運動自体は苦手だった[3]
  • 中学生の頃は、日立所属の江上由美選手のファンだった。中学時代に山田重雄監督にファンレターを出したのも、彼から江上にサインを頼んでもらおうと思ったことから[注 10]
  • 八王子実践の寮生活では通常は炭酸飲料や甘い物が禁止で、月に1度の買い出しの日のみ、ファンタグレープを飲むのが何よりの楽しみだった(なお週末に時々実家へ帰ることもできた)。以降も、五輪出場を決めた直後などのみ自分へのご褒美として飲んだ[38]
  • 松田聖子のファンで[39]、ソウル五輪出場当時は「聖子ちゃんカット」にしていた[40]
  • 一時期芸能人女子フットサルチーム「XANADU loves NHC(ザナドゥー ラブズ エヌエイチシー)」に所属していた[41]
  • お笑いに精通しており、芸人が出演している地方の番組にも興味を示し、次長課長が地元である岡山のローカル局で司会を務めていた番組のテープを見たさにキー局に懇願したというエピソードもある。大林のお笑い好きは『M-1グランプリ2006』に観戦者として出演したとき、今田耕司に「あなた、たむけんファミリーですよね?」と言われるほどである。[要出典]
    • 今田のこの発言は、2008年、全日本男子が16年ぶりの五輪出場を決めた夜に放送された『着信御礼!ケータイ大喜利』(NHK)で大林が回答読み上げゲストとして出演した際にも飛び出した。[要出典]
  • 関口宏の東京フレンドパークII』(TBSテレビ)のアトラクション「ウォールクラッシュ」で、女性で唯一のCLEAR到達達成者である[42]
  • 父は商社マン、母は陸上競技で走り高跳びの東京五輪候補だった選手[2]。中学をバレーを始める際、この母親の後押しもあったという。また、母はプロダンサーでMONAという名前を持つ腕前であった[43]
  • 妹がいるが[44]、妹の身長は163 cmほどである。[要出典]
  • 現役時代、ハイレグ仕様に改造したブルマーを、ノーパン直穿きで(あるいはTバックショーツの上に)着用していたことを後に自らテレビ番組で明かした。また彼女は、「ブルマーを見たいという気持ちから女子バレーを見るようになった」と述べていた。全日本チームのユニフォームがスパッツになったときには「私はブルマーに愛着がある」とのコメントも残している[45]2013年2月20日放送の『ヒルナンデス』「ファッションお悩み芸能人 大改造するンデス」に出演したとき、つるの剛士からスカート丈の短さが気になると尋ねられ、すると素子は「29年間ブルマをはいてきたので平気」と答えていた。
  • 2015年に関西テレビごきげんライフスタイル よ〜いドン!」の出演時に、身長が182 cmから184 cmになったと発言している[46]

所属チーム

球歴

全日本代表(1985-1996年)

受賞歴

著書

出演

映画

テレビドラマ

紀行番組

バラエティ番組

舞台

  • GENJI〜最後の源氏〜(2006年10月12日 - 15日、東京芸術劇場小ホール1) - 北条政子
  • 夏の夜の夢(2007年5月10日 - 13日、東京芸術劇場小ホール1) - タイテーニア 役
  • SOHJIそうぢ!(2008年1月19日 - 27日、本多劇場) - お光津 役
  • Kiss Me You〜がんばったシンプー達へ〜(2008年5月8日 - 13日、全労済ホール スペース・ゼロ) - 大山ハナ 役
  • 鎌倉鶴岡八幡宮奉納ライブ2008 歌神実朝公(2008年10月18日、鶴岡八幡宮舞殿) - 朗読
  • 空間ゼリーの夏の夜の夢(2008年12月13日 - 21日、東京芸術劇場小ホール2) - タイテーニア 役
  • 苦情の手紙(2009年2月14日、博品館劇場) - アパートの下に住む女 役
  • IMAGINE 9.11(2009年9月10日 - 13日、両国シアターΧ) - キャシー 役
  • MOTHERマザー〜特攻の母 鳥濱トメ物語〜 - 主演・鳥濱トメ
    • 初演:2009年12月9日 - 13日、新国立劇場小劇場
    • 再演:2010年5月26日 - 30日、天王洲 銀河劇場
    • 3演:【東京公演】2011年7月27日 - 31日、新国立劇場小劇場、【栃木公演】7月23日、栃木県矢板市文化会館大ホール、【秋田公演】9月25日、湯沢市民会館大ホール、【埼玉公演】10月26日、東松山市民文化センター[注 12]
    • 4演:2012年9月20日 - 23日、新国立劇場小劇場
    • 5演:2013年12月11日 - 15日、新国立劇場小劇場
    • 6演:2014年8月9日、ルネこだいら大ホール、後援:小平市、小平市教育委員会
    • 7演:【東京公演】2014年9月19日 - 21日、新国立劇場小劇場、【鎌倉公演】11月11日、鎌倉文化会館大ホール[注 13]
    • 8演:【東京公演】2015年10月7日 - 12日、天王洲 銀河劇場、【山梨公演】10月20日、コラニー文化ホール、【名古屋公演】10月24日 - 25日、愛知県芸術劇場小ホール、【岐阜公演】10月27日、岐阜市文化センター小ホール、【大阪公演】10月31日 - 11月1日、梅田芸術劇場シアタードラマシティ
    • 9演:2016年2月24日 - 28日、新国立劇場小劇場
    • 10演:【東京公演】2017年10月5日 - 9日、新国立劇場小劇場、【静岡公演】10月18日、静岡市清水文化会館マリナート小ホール、【岐阜公演】10月21日、岐阜不二羽島文化センター小ホール
    • 11演:【東京公演】2018年9月13日 - 17日、東京グローブ座、【仙台公演】11月10日、11日、日立システムズホール仙台シアターホール、【福島公演】11月14日、福島テルサFTホール、【会津公演】11月17日、会津若松市文化センター文化ホール
    • 12演:【東京公演】2019年5月2日 - 6日、新国立劇場小劇場
  • 将門‐MASAKADO-(2010年3月8日 - 16日、イマジンスタジオ) - 案内・ナレーション
  • ファウストの悲劇(2010年7月4日 - 25日、Bunkamuraシアターコクーン蜷川幸雄演出) - ふしだら、アレクサンダー大王王妃 役 ほか
  • たいこどんどん(2011年5月2日 - 26日、Bunkamuraシアターコクーン、蜷川幸雄演出) - 里の浦、芸者 役 ほか
  • 劇団BOOGIE★WOOGIE 29th ACT 「ノンストップ ライアーズ」(2012年10月11日 - 14日、東京芸術劇場シアターウエスト) - 楊小麗 役
  • 東京サムライガンズプロデュース公演第4弾×シアターブラッツ提携公演 プレイフルネスデイズ2〜僕達のAnswer〜(2012年11月16日 - 19日のうち2日出演、新宿THEATER BRATS) - 友情出演 ※サプライズアクト
  • 新・贋作水滸伝-Heroes-(2013年5月15日 - 19日、あうるすぽっと) - 廬三娘/美帆(童美の母) 役
  • 盲導犬-澁澤龍彦「犬狼都市」より-(【東京公演】2013年7月6日 - 28日、Bunkamuraシアターコクーン、【大阪公演】8月3日 - 11日、シアターBRAVA!、蜷川幸雄演出) - サカリノ 役
  • FRANK AGE company 第4回公演『青い屋根の館』(2014年2月26日 - 3月2日、赤坂RED/THEATER)
  • キタムラ印プロデュース公演#5『ハナレウシ』(2014年6月25日 - 29日、全労済ホール スペース・ゼロ) - お雅 役
  • THE REDFACE PRODUCE VOL.52 呑象 DONSYOU7 横濱開港特別篇 英吉利公使夫人(2015年3月12日、横浜市開港記念会館) - ファニー・パークス 役
  • イマジンミュージカル 母をたずねて三千里〜マルコ〜(2015年7月17日・保谷こもれびホール、7月21日・滋賀公演、7月22日・和歌山公演、7月23日・岡山公演、7月24日・北九州(小倉)公演、7月25日・鹿児島公演、7月26日・広島公演、7月27日・愛媛公演、7月28日・香川公演、7月29日・大阪公演、7月30日・東京公演、7月31日・山形公演、8月3日・群馬公演、8月4日・秋田公演、8月5日・茨城公演、8月6日・埼玉公演、8月7日・新潟(長岡)公演) - お母さん 役
  • ソウサイノチチル(2016年4月14日 - 17日、愛知県芸術劇場、作・演出:えのもとぐりむ)
  • 東京ボーイズコレクション〜愛の唄〜(2016年11月5日 - 13日、新宿村LIVE)
  • 東京のぺいん(2016年12月7日 - 11日、新宿村LIVE、作・演出:えのもとぐりむ) - 早苗 役
  • ソウサイノチチル【再演】2017年4月26日 - 5月3日、新宿村LIVE、作・演出:えのもとぐりむ)
  • 午前5時47分の時計台(2017年5月16日、神戸ポートピアホール、作・演出:山本タク) - ゲスト出演
  • 私のホストちゃんREBORN〜絶叫!大阪ミナミ編〜(【東京公演】2018年1月19日 - 28日、サンシャイン劇場)【愛知公演】(2月1日、東海市芸術劇場)【大阪公演】(2月1日、サンケイホールブリーゼ) - LiLiCoとWキャスト
  • ReBirth(2018年8月10日 - 14日、下北沢「劇」小劇場、作曲・演奏:立石一海、作・演出:秦建日子
  • BURRRN!!!(2018年8月15日 - 18日、月島社会教育会館)
  • 流れる雲よ(2019年8月14日 - 18日、六行会ホール 脚本:草部文子、演出:田中寅雄)
  • 安達健太郎と役者がコントするLIVE(2019年8月27日、ルミネtheよしもと)
  • 【朗読】でかける時はいつも(2019年8月31日 - 9月3日、新宿眼科画廊スペース地下、作:えのもとぐりむ)
  • ミュージカル小公女セーラ(2019年11月20日 - 11月24日、滝野川会館大ホール劇場) - マリア・ミンチン役
  • 2.5次元ダンスライブ S.Q.S 第5幕「篁志季消失事件」(2020年2月20日 - 3月1日)ヒューリックホール東京 作:ふじわら(ムービック) - 伊月花 役
  • 【朗読】ぐりむの法則 えのもとぐりむ朗読劇 三部作『記憶観覧車』(2020年6月23日 - 7月5日、赤坂RED THEATER、作:えのもとぐりむ、演出:中島康介) - 小山知佳 役
  • 【朗読】夏の終わりのリーディング文学〜江戸川乱歩編〜「屋根裏の散歩者」「D坂の殺人事件」「心理試験」(2020年9月3日 - 7日、R'sアートコート)
  • 丘のバッキャロー!!(2020年10月28日 - 11月3日、シアターグリーン BIG TREE THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
  • 【朗読】秋の終わりのリーディング文学〜芥川龍之介編〜「羅生門」「藪の中」(2020年12月8日 - 13日、シアターグリーンBIG TREE THEATER)
  • 演劇企画ユニット 劇団山本屋 CUWT project vol.1 『風を切れ2020』(2021年5月26日 - 6月1日、ラゾーナ川崎プラザソル)
  • 【朗読】朝の朗読会「帰れないふたり」Aチーム(2021年6月22日 - 7月3日、πTOKYO、作・演出:中島庸介)
  • 神木優ソロエンターテイメント「MOMOTARO」定期公演 VOL.21 〜スポーツと桃太郎〜 第2部 (2021年9月25日、大塚レ・サマースタジオ) - ゲスト出演
  • 土のバッキャロー!!(2021年10月6日 - 12日、シアターグリーン BIG TREE THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
  • ATTENDANTX(2021年10月22日、博品館会館) - ゲスト出演
  • 空とおもちゃんの物語〜見上げた空に君がいた〜(2021年12月1日 - 5日、日暮里dー倉庫、脚本・演出:鄭光誠)
  • トワイライトの涙(2022年1月19日 - 23日、サンモールスタジオ、脚本・演出:ウチクリ内倉)
  • 世界は僕のCUBEで造られる(2022年3月31日 - 4月10日、あうるすぽっと、脚本・演出:松多壱岱) - ミスブレイン 役
  • 雫のバッキャロー!!(2022年5月11日 - 17日、シアターグリーン BIG TREE THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
  • 舞台「殺人の告白」(2022年6月17日 - 26日、サンシャイン劇場) - チャン・ミジャ 役[48]
  • 流れる雲よ(2022年8月17日 - 21日、六行会ホール、脚本:草部文子、演出:田中寅雄)
  • 草のバッキャロー!!(2022年10月5日 - 11日、シアターグリーン BIG TREE THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
  • 遠き日の落球〜あの時から続いているから今なんだ〜(2023年2月15日 - 19日、シアターアルファ東京、演出:武田宏司)
  • ソウサイノチチル【再々演】2023年3月16日 - 26日、πTOKYO、作・演出:えのもとぐりむ)
  • 陽(ひなた)のバッキャロー!!(2023年4月12日 - 18日、シアターグリーン BIG TREE THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
  • 波のバッキャロー!!(2023年10月25日 - 31日、シアターグリーンBOX in BOX THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
  • 渚のバッキャロー!!(2024年4月10日 - 16日、シアターグリーンBOX in BOX THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
  • Change the World おめでとう。君が、世界を変えるんだ(2024年6月8日 - 16日、サンシャイン劇場、原作・脚本:秦建日子、演出:橋本昭博)
  • 風を切れ2024 演劇企画ユニット劇団山本屋CUWT project vol.2.0(2024年7月25日 - 28日、東京芸術劇場 シアターウエスト、作・演出:山本タク)
  • 里のバッキャロー!!(2024年10月30日 - 11月5日〈予定〉、シアターグリーンBOX in BOX THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)[49]

CM

ラジオ

  • いもねーずのみちのくはいも畑(2024年2月2日 - 2024年7月、エフエムたいはく) - コーナーレギュラー

音楽作品

シングル

  • 大きな私の小さな恋(2001年8月7日、アップフロントワークス) - デカモニ。名義。5000枚限定販売
  • 陽だまりダイアリー(2022年8月30日、みちのくレコード)
  • 会津の風(2024年2月9日、みちのくレコード)

参加作品

  • THE EARTH BEATS「地球あなたへ」(2008年9月24日、Z-9 RECORDS) - コーラスとして参加

参考文献

  • サンケイスポーツ運動部 編著『私の失敗 激情篇』(2016年、ベースボール・マガジン社)ISBN 978-4583110295 - 2015年8月のサンケイスポーツ連載の再編集版

脚注

注釈

  1. ^ デカモニ。は、身長150 cm以下(当時)のユニット「ミニモニ。」の派生グループとして作られた[11]がメンバーは大林のみで、実質的には大林のソロプロジェクトだった。デビューシングルのCDジャケットには、「複数人のユニット風」に4人の女性が登場しているが、全員大林素子によるもの[12]
  2. ^ 「愛する人と歩きたい」は、元々山形県南陽市のテーマソングである。南陽市でロケ撮影が行われた、2016年の映画『いのちあるかぎり 木田俊之物語』に「みちのくレコード会長夫人役」で出演したことが縁で、その後大林の演歌歌手デビューが決まった[11]
  3. ^ 本人によると「小学校時代にいじめを受けていた私にとって、バレーは夢のようなキラキラしたものではなく、生きるための手段でした」と語っている[3]
  4. ^ 当時江上由美をはじめとする、全日本代表メンバーが多数所属するトップチームだった。
  5. ^ 大林が出場する前の大会・ロス五輪で銅メダルになった際、日本女子代表がそれまで金銀しか獲っていなかった(詳しくは日本女子代表の成績を参照)ため“最悪の結果”と言われていた。そこで大林たちには、至上命令としてソウルでの金メダル獲得するよう下されていたが、ロス五輪を下回る結果となった。
  6. ^ 本人によると、「その時サーキットで感じた音や匂い、過酷なレースに命懸けで臨むドライバーの姿に魅せられてしまったんです。その後もスポーツキャスターとして様々なスポーツに出会いましたが、私にとってはモータースポーツとの出会いが特に大きかったです」と回想している[3]
  7. ^ メカニックやエンジニアなどに取材を試みるが、“素人に専門的なことを話しても分からないだろう”として話をかわされた。同時期に視聴者からは、「バレー選手がなんでモータースポーツのリポートやってるんだ?」とネットなどで散々叩かれたという
  8. ^ 本人は、「他にも週末には自腹で静岡の富士スピードウェイや整備工場に通い、エンジニアたちに色々と話を伺いました。また、自分のバレー選手時代の経験から、F1ではコーナリング一つにしても知識や経験がないと深い話が聞けないと思い、ライセンスも取ることにしたんです」と述懐している[3]
  9. ^ 本人は後に「この言葉は、女優をする上での私の一番の宝物であり、心の支えとなっています」と語っている[3]
  10. ^ 大林によると、「江上さんは人気選手だったので、彼女宛に手紙を出してもファンレターが多すぎて読んでもらえないかもと思ったんです。失礼な話ですが、監督経由なら江上さんのサインをもらえるかもと手紙を出すことにしました(笑)」と回想している[3]
  11. ^ バレーボール監修も兼任。
  12. ^ 埼玉公演は埼玉県立坂戸高等学校演劇鑑賞事業のため、チケットの一般販売なし。
  13. ^ 鎌倉公演は、チケットの一般販売なし。
  14. ^ 横一列に並んでサーブを打つという設定で、大林素子をはじめ5人の選手が白基調の長袖ユニフォームシャツに赤基調のバレーブルマー。白の膝サポーター、白のハイソックスに白の運動靴の格好で出演。

出典

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  2. ^ a b 大林素子「我が道」『スポーツニッポン』2017年8月1日 22面より
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外部リンク