コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

伊藤剛臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤 剛臣
生年月日 (1971-04-11) 1971年4月11日(53歳)
出身地 日本の旗 東京都荒川区
身長 1.85 m (6 ft 1 in)
体重 92 kg (14 st 7 lb)
学校 法政二高校
大学 法政大学
愛称 タケ
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション ナンバーエイト、フランカー
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
1987-1990
1990-1994
法政二高校
法政大学
()
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
1994-2012
2012-2018
神戸製鋼
釜石シーウェイブスRFC
()
代表
チーム 出場 (得点)
 日本 62 ()
7人制代表
チーム 大会
 日本

伊藤剛臣(いとう たけおみ、1971年4月11日 - )は、日本の元ラグビー選手。現在ジャパンラグビーリーグワン釜石シーウェイブスRFCのアドバイザーを務めている。

プロフィール

[編集]

来歴

[編集]

小学校では野球、中学校ではバスケットボールに打ち込む。

法政二高校入学と同時に甲子園を目指して硬式野球部に仮入部後、体育科の教師だった当時の担任の勧めでラグビー部に入部。高校時代のポジションはロックだった[2]。3年時に高校日本代表に選出されている。

法政大学社会学部応用経済学科(現・社会政策科学科)に進学。3年時にナンバー8に定着し、大学選手権で優勝した。

大学卒業後、神戸製鋼に入社。1年目から試合に出場し、1994年度の全国社会人大会日本選手権7連覇に貢献した。

その後もチームの1999,2000年度全国社会人大会優勝、1999,2000年度日本選手権優勝、トップリーグ開幕初年度の2003年シーズン優勝に中心選手として貢献した。

2012年、シーズン終了後に戦力外通告を受け、18年に亘り在籍した神戸製鋼コベルコスティーラーズを退団。

現役続行を表明し、釜石シーウェイブスへの入団を希望しトライアウトを受験して入団した[3]

2016年ホリプロと契約した[4]

2018年、現役を引退した[5]

ラグビー日本代表では、1996年パシフィック・リム選手権の香港戦で初キャップを獲得し[2]、W杯には99年、03年と2大会連続出場した。キャップ62は歴代7位である。

テレビ

[編集]

受賞歴

[編集]
  • 2003-04 ベストフィフティーン

出典

[編集]
  1. ^ 46歳の鉄人・伊藤剛臣、完全燃焼へ。 . ラグビー共和国. 2018年2月14日閲覧。
  2. ^ a b 日本ラグビー激闘史21. ベースボール・マガジン社. (2011) 
  3. ^ 元日本代表FWの46歳伊藤剛臣、引退戦は1月に . 日刊スポーツ(2017年12月23日). 2018年2月14日閲覧。
  4. ^ 釜石シーウェイブス・伊藤、現役続行へ ホリプロと契約 . サンスポ(2016年3月9日). 2018年2月14日閲覧。
  5. ^ 伊藤剛臣が引退へ 元日本代表で釜石所属の46歳FW . 産経ニュース(2017年4月7日). 2018年2月14日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]