矢野美紀 (バレーボール)
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1965年11月6日(59歳)[1] | |||
出身地 | 愛媛県松山市[1] | |||
ラテン文字 | Miki Yano | |||
身長 | 167cm[1] | |||
体重 | 59kg[1] | |||
血液型 | O型[1] | |||
選手情報 | ||||
所属 | CLUB EHIME | |||
愛称 | ミキ | |||
役職 | 監督 | |||
ポジション | S[1] | |||
指高 | 215cm[1] | |||
スパイク | 285cm[1] |
矢野 美紀(やの みき、1965年11月6日 - )は、日本の元女子バレーボール選手[1]、現指導者である[2][3]。
来歴
[編集]愛媛県松山市出身[1]。愛媛大学附属中学校からバレーボール強豪校であった京都市の成安女子高校にバレーボール留学し[2]、同校在学中にインターハイ3位、国体5位などの好成績を残した。青山学院大学法学部に進学後は、1984年に東日本インカレ優勝や1985年インカレ準優勝など輝かしい成績をあげて[2]、1988年に日本リーグの日本電気に入部した。
日本電気時代には長年チームの司令塔として活躍し、1992年度には主将を務めた[1]。1991年には第24回日本リーグでサーブ賞を、第3回Vリーグでは優勝に貢献してベスト6賞を獲得した。第4回Vリーグをもって現役を引退した。
現役引退後は郷里に戻りNEC松山支店に勤務する傍ら、2004年にクラブチームのCLUB EHIMEを立ち上げた[2]。2012年に単独開催では初となる愛媛国体の開催が内定すると[4]、愛媛県は各競技で強化を図り、バレーボール競技においては現役時代に実績のある矢野に白羽の矢を立てた。CLUB EHIMEは競技力強化指定チームとなり[5]、矢野がNEC在籍時の監督であった葛和伸元を招聘して強化を図った[6][7]。
こうした強化策が結実し、CLUB EHIMEは2014年に平成26年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会四国ブロックを勝ち抜き、ファイナルラウンドに初出場した[8]。矢野は「四国代表になる力はついたが1回戦を突破できない。愛媛国体へ向けて頑張りたい」と話す[2]。
球歴
[編集]- ユニバーシアード代表 - 1987年
所属チーム
[編集]- 愛媛大学附属中学校
- 成安女子高等学校(1981-1984年)
- 青山学院大学(1984-1988年)
- 日本電気/NEC/NECレッドロケッツ(1988-1998年)
受賞歴
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 月刊バレーボール1993年1月号臨時増刊 第26回日本リーグ&第24回実業団リーグ・完全ガイド 143ページ
- ^ a b c d e 青山学院校友会. “OG矢野美紀さん 本学女性初、全日本選手権ファイナルで指揮”. 2016年10月27日閲覧。
- ^ 平成27年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会オフィシャルプログラム 65ページ
- ^ 愛顔つなぐえひめ国体・えひめ大会実行委員会. “愛顔(えがお)つなぐえひめ国体とは”. 2016年11月2日閲覧。
- ^ 松山市. “かがやき松山大賞(バレーボール・CLUB EHIME)表彰式を開催します”. 2016年11月2日閲覧。
- ^ 愛媛県バレーボール協会. “平成25年度:えひめ国体強化事業(成人女子)葛和伸元氏による指導について(第4回)”. 2016年11月2日閲覧。
- ^ 47news.jp. “バレー成年女子愛媛国体へ強化 日本代表元監督が指導”. 2016年11月2日閲覧。
- ^ 日本バレーボール協会. “天皇杯・皇后杯 四国ブロック 女子大会”. 2014年8月31日閲覧。
変更有 えひめ国体 https://www.pref.ehime.jp/ehimekokutai2017/