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宮島雅展

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮島 雅展
みやじま まさのぶ
生年月日 (1945-07-30) 1945年7月30日(79歳)
出生地 日本の旗 山梨県南巨摩郡増穂町(現富士川町
出身校 山梨県立甲府第一高等学校
山梨大学教育学部(中退)
所属政党自由民主党→)
無所属
称号 旭日中綬章

甲府市の旗 第36・37・38代 山梨県甲府市長
当選回数 3回
在任期間 2003年2月3日 - 2015年2月1日

選挙区 甲府市選挙区
当選回数 3回
在任期間 1991年4月 - 2003年1月

当選回数 3回
在任期間 1979年4月 - 1991年3月
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宮島 雅展(みやじま まさのぶ、1945年昭和20年)7月30日[1] ‐ )は、日本政治家山梨県甲府市長(3期)、山梨県議会議長(第109代)、山梨県議会議員(3期)、甲府市議会議員(3期)などを歴任した。

概要

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山梨県南巨摩郡増穂町(現富士川町)生まれ。山梨県立甲府第一高等学校卒業後、山梨大学教育学部に入学。大学在学中の1971年、甲府市議会議員選挙が行われ、被選挙権が得られる25歳であったため、立候補。当選していれば最年少かつ学生議員となったが、落選した。その後、山梨大学教育学部を中退。

1979年、甲府市議会議員選挙に立候補し、初当選を果たした。甲府市議を3期務めた後、1991年山梨県議会議員選挙に甲府市選挙区から出馬し、当選した。県議在職中、山梨県議会議長を務めた。

2003年山本栄彦甲府市長の山梨県知事選挙立候補に伴う甲府市長選に、山梨県議を辞職して立候補を表明。山本の支援者や民主公明社民各党の推薦や支持を受け、自由民主党が支持した対立候補を破り、当選。2007年2011年の甲府市長選でも再選された。甲府市長就任後は中道町上九一色村北部との合併や、停滞していた甲府市中心市街地活性化基本計画の策定、甲府市役所の建替事業に着手した。

2018年12月、県政問題研究有志会の代表に就任。自民党県連の相談役を務めながら、2019年山梨県知事選挙では、現職の後藤斎知事を支持するも[2]、後藤は新人の長崎幸太郎に敗れた[3]

2020年9月30日、同行した女性と一緒に甲府市内の山中でキノコ採りをしていたが遭難し、山梨県の消防防災ヘリ「あかふじ」で救助された[4]

2021年4月の春の叙勲旭日中綬章受章[5][6]

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、197頁。
  2. ^ “自民県連相談役の元甲府市長ら、山梨県知事選で後藤氏支援”. 産経新聞. (2018年12月12日). オリジナルの2018年12月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181221182727/https://www.sankei.com/politics/news/181212/plt1812120026-n1.html 2018年12月12日閲覧。 
  3. ^ “山梨知事選、長崎氏が初当選 与党、「選挙イヤー」初戦制す”. 産経新聞. (2019年1月27日). オリジナルの2019年1月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190203143909/https://www.sankei.com/politics/news/190127/plt1901270016-n1.html 2019年1月27日閲覧。 
  4. ^ “元甲府市長をヘリで救助 女性と山中で道に迷う”. 産経新聞. (2020年10月2日). オリジナルの2021年10月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211006131534/https://www.sankei.com/article/20201002-ZOM4F2ZI5FMKFHGA2COEMSHBRU/ 2020年10月2日閲覧。 
  5. ^ 令和3年春の叙勲受章者名簿(旭日中綬章受章者) - 内閣府
  6. ^ 『官報』号外第99号、令和3年4月30日

外部リンク

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