宮本央
宮本 央[1](みやもと なかば[2]、1851年4月13日(嘉永4年3月12日)[3][注 1] - 没年不明)は、日本の商人(書籍商)[5]、金融業[6]、東京府多額納税者[7][8][9][10]、地主[1][9][11]・家主[12][13][14]、資産家[12][15][16]、政治家。族籍は東京府士族[9][12][15][16]。
宮本佳代子(元内閣総理大臣・小泉純一郎の元妻)は曽孫、俳優・タレントの小泉孝太郎、衆議院議員の小泉進次郎は玄孫にあたる。
経歴
[編集]東京府士族・宮本茂兵衛の二男[11][15][16]。兄・多喜蔵の後を承けて家督を相続する[11][15]。私塾に入り、漢学を修める[4]。維新の当時、徳川慶喜に従い駿府に移り、農業に従事した[13]。明治初年、内務省地理局御用掛に就任する[4][14]。
神田区に居を定め書籍商を創めるが[13]、業務が振るわなかった[4]。土地投資に奮闘努力する[13]。青山方面に広汎な地所を買収すると、数年にして地価は暴騰したため、巨利を占める[4][5]。また金融業[6]、貸金業[11]を営む。
麹町区会議員、学務委員、所得税調査委員等の公職に就く[1][4]。晩年には画伯畑仙齢に就いて絵を学び、彩管に親しんで余生を楽しみ晩耕と号す[4]。
人物
[編集]宮本央について、1915年に刊行された『日本信用録 第6版』には「取調年月・大正4年2月、職業・貸金、貸地家、信用程度・C」とある[17]。また東京市麹町区(現・東京都千代田区)の大地主である[1]。
家憲は質素である[4]。宗教は禅宗[8][9]。趣味は書画、骨董、絵画[4]。住所は東京市麹町区元園町1丁目[13]、上二番町[5][12][15](現・東京都千代田区一番町)。
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[3]。
家族・親族
[編集]- 宮本家
家系について、『帝都紳士淑女列伝 奉祝今上陛下御即位記念』には「宮本央は徳川旗本の錚々たる忠勇の士だった」[18]、『国民自治総覧』には「生家は代々幕府の士族である」とある[1]。
宮本家の親戚の泰道照山の著書『未完の足跡 わが七十七年新日本史 別篇』には「宮本家は岡崎の松平藩につながる旧藩士の家柄で、代々書庫番の役目を果たしてきた。学者系統で、江戸屋敷における漢籍の保管などにあたってきた。廃藩置県のとき、退職金代わりに書籍一切を譲りうけて学者として一家を構えた。貴重な古書、文献の類が多く、宮本家の名は好事家の間で脚光を浴びた。」とある[2]。
- 妻・うた(1856年 - ?、三重、合資会社今井商店支配人・川口豊吉の姉)[19]
- 長男・英治[18](1882年 - ?、宮本事務所主宰[13]、東京府多額納税者、地家主[14])
- 長女・ミツ(1886年 - ?、草野俊助の妻)[15]
- 三男・俊介[9](1890年 - ?、薬剤師[8][18])
- 四男・安蔵[9](1892年 - 1923年、判事) - 1914年、第七高等学校造士館卒業[20]。1917年、東京帝国大学法科大学法律学科卒業[21]。関東大震災で圧死した[22]。
- 五男・幸吾(1896年 - ?、地家主)[14]
- 孫[13]
- 曽孫・佳代子(1956年 - 、経営コンサルタント、輝久と志計子の娘、小泉純一郎の元妻)
- 親戚
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 『国民自治総覧』516頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月14日閲覧。
- ^ a b c 『未完の足跡 わが七十七年新日本史 別篇』246 - 247頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ a b 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』東京1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『新日本史 別篇』729頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ a b c 『麹町之状勢』404頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第9版』ミ99頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月15日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第32版』附録 全国多額納税者 東京府5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月30日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 第3版 タ-ワ之部 補遺』み75 - 76頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ a b c d e f 『現代人事調査録』ミ46 - 47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』東京府3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ a b c d 『大正人名辞典 3版』930頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月15日閲覧。
- ^ a b c d 『大日本長者名鑑』関東119頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『全日本業界人物大成 坤巻』35 - 36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第10版 下』ミ102 - 103頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第4版』み59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第6版』み69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月25日閲覧。
- ^ 『日本信用録 第6版』ミ350頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月15日閲覧。
- ^ a b c 『帝都紳士淑女列伝 奉祝今上陛下御即位記念』31 - 32頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月20日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第2版』か443 - 444頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
- ^ 『第七高等学校造士館一覧 大正4年度』199頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月21日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正6年 至大正7年』109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月21日閲覧。
- ^ 『関東大震災史 教授資料』184頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月21日閲覧。
- ^ 『現代財界家系譜 第5巻』256 - 257頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 『人事興信録 第2版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 第七高等学校造士館編『第七高等学校造士館一覧 大正4年度』第七高等学校造士館、1912 - 1926年。
- 『日本信用録 第6版』東京商業興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典 3版』東洋新報社、1917年。
- 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正6年 至大正7年』東京帝国大学、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』、人事興信所、1921年。
- 大日本教育通信社編『関東大震災史 教授資料』大日本教育通信社、1923年。
- 猪野三郎編『現代人事調査録』帝国秘密探偵社ほか、1925年。
- 高島末吉編『麹町之状勢』麹町之状勢刊行所、1926年。
- 『大日本長者名鑑』貞文舍、1927年。
- 東京毎夕新聞社編『国民自治総覧』東京毎夕新聞社、1927年。
- 万朝報社編『新日本史 別篇』万朝報社、1928年。
- 交詢社編『日本紳士録 第32版』交詢社、1928年。
- 畠中惣治郎『帝都紳士淑女列伝 奉祝今上陛下御即位記念』帝都彰行社、1929年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版 タ-ワ之部 補遺』帝国秘密探偵社ほか、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』、人事興信所、1931年。
- 『全日本業界人物大成 坤巻』全日本業界人物大成刊行会、1932年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』、人事興信所、1934年。
- 『現代財界家系譜 第5巻』現代名士家系譜刊行会、1971年。
- 泰道照山『未完の足跡 わが七十七年新日本史 別篇』伊勢新聞社、1983年。