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今川町 (刈谷市)

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富士塚公園 (刈谷市)から転送)
日本 > 愛知県 > 刈谷市 > 今川町
今川町
東海道間の宿である今川宿
今川町の位置(愛知県内)
今川町
今川町
今川町の位置
北緯35度1分47.36秒 東経137度1分2.83秒 / 北緯35.0298222度 東経137.0174528度 / 35.0298222; 137.0174528
日本の旗 日本
都道府県 愛知県
市町村 刈谷市
地区 北部地区
町名制定[1] 1970年(昭和45年)4月1日
面積
 • 合計 2.005882896 km2
人口
2019年令和元年)6月1日現在)[3]
 • 合計 4,842人
 • 密度 2,400人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
448-0005[4]
市外局番 0566(刈谷MA[5]
ナンバープレート 三河

今川町(いまがわちょう)は、愛知県刈谷市町名。現行行政地名は今川町1丁目から今川町4丁目と25つの小字

地理

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花池

刈谷市の北部の町、旧・富士松村の中心地に位置する。東は今岡町、西は泉田町、南は一ツ木町築地町、北は西境町豊明市阿野町に接する。かつてはお富士の松が植わっていた。

地形

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河川
湖沼
  • 花池

面積約15,000m2の農業用ため池である花池は、の花で知られる。蓮の花は毎年通常7月末ごろから咲き始め、9月上旬まで咲いている。2007年(平成19年)から急に蓮の花が咲かなくなり、葉も見せなくなり、連作障害・病気・ミドリガメによる被害などが指摘されたが、2009年(平成21年)には再び開花するようになった[6]

世帯数と人口

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2019年(令和元年)6月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[3]

町丁丁目 世帯数 人口
今川町 1,731世帯 3,837人
今川町1丁目 127世帯 296人
今川町2丁目 125世帯 285人
今川町3丁目 121世帯 288人
今川町4丁目 47世帯 136人
2,151世帯 4,842人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移

1995年(平成7年) 4,293人 [7]
2000年(平成12年) 4,246人 [8]
2005年(平成17年) 4,322人 [9]
2010年(平成22年) 4,516人 [10]
2015年(平成27年) 4,708人 [11]


歴史

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いも川(芋川)が転訛して今川という地名になったとされている[1]江戸時代は、東海道間の宿として賑わい、碧海郡今川村として存在していた。それ以前は現在隣接する泉田町(泉田村)の一角に位置していたが、東海道開通に伴い同町が賑わい独立し、現在の姿となっている。1878年(明治11年)に逢見村の一部となった[1]

1971年度(昭和46年度)から1993年度(平成5年度)まで、衣浦東部都市計画事業刈谷富士松土地区画整理事業が実施された[12]。施行面積は18.6ha、権利者数は276人(事業認可当初)、総事業費は27億2500万円。

沿革

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  • 1930年(昭和5年) - 大中肇の設計で鉄筋コンクリート造富士松村役場(後の刈谷市役所富士松支所)が竣工[13]
  • 1953年(昭和28年) - 刈谷市立富士松南保育園が開園[14]
  • 1964年(昭和39年)10月2日 - 国道1号1964年東京オリンピックの聖火リレーが通過。
  • 1970年(昭和45年) - 刈谷市立富士松南幼稚園が開園[15]
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - (大字)逢見の一部より、今川町が成立[1]
  • 1980年(昭和55年) - 国道1号に今川町地下道が開通[16]
  • 1984年(昭和59年) - 刈谷市役所富士松支所を建て替え、富士松支所と刈谷市富士松市民センターの複合施設が開館[17]
  • 1988年(昭和63年) - 今岡町と境界を変更[1]
  • 1993年(平成5年)5月22日 - 1〜4丁目を新設[12]

行政区の変遷

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今川村
廃止日 1878年
廃止理由 合併
今川村 → 逢見村
現在の自治体 刈谷市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
碧海郡
今川村役場
所在地 愛知県
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
明治1年-明治21年 明治22年 明治23年-明治45年 大正1年-大正15年 昭和1年-昭和64年 平成1年-現在
碧海郡 泉田村 明治11年合併
逢見村
逢見村 逢見村 明治39年合併
富士松村
富士松村 昭和30年合併
刈谷市
刈谷市
今岡村
今川村
一ツ木村 一ツ木村 一ツ木村 一ツ木村
築地村 築地村
井ヶ谷村 井ヶ谷村 境村 境村
西境村 西境村
東境村 東境村 明治24年分村
東境村

芋川うどん

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江戸時代東海道の芋川に立場(休憩所)があり、平打ちのうどんが名物であった。その芋川うどんが西に伝わってきしめんと、東に伝わってひもかわと呼ばれるようになったとされる[18]。この「芋川」の位置は現在の今川町にあたる説が有力であるが、同町のほか、隣の今岡町や一里山町ではないか、とする研究者もいる[19]

現在の形のきしめん

教育

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刈谷市立富士松南小学校

学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[20]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[21]

町丁・丁目 番・番地等 小学校 中学校 高等学校
今川町 全域 刈谷市立富士松南小学校 刈谷市立富士松中学校 尾張学区
今川町1丁目 全域
今川町2丁目 全域
今川町3丁目 全域
今川町4丁目 全域

交通

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富士松駅
鉄道
バス
道路

施設

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名所・旧跡

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乗蓮寺
  • 乗蓮寺 - 真宗大谷派の寺院。「乗蓮寺のスダジイ」は刈谷市指定天然記念物。
  • 今川八幡宮 - 創建は元禄元年(1688年)から元文元年(1736年)頃。社地はかつて田地池(現在の今川八幡公園の場所)にあったが、1972年(昭和47年)に愛知県道282号今川刈谷停車場線が拡幅される決定がなされたことから、1973年(昭和48年)に現在地に移転した。この際には旧本殿が刈谷市小垣江町の龍江寺に移築され、新たに社殿が建設された。

脚注

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  1. ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 190.
  2. ^ 愛知県刈谷市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年6月10日閲覧。
  3. ^ a b 町丁別人口”. 刈谷市 (2019年6月3日). 2019年6月10日閲覧。
  4. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
  5. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月10日閲覧。
  6. ^ 『刈谷ホームニュース』2009年7月25日号
  7. ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  8. ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  9. ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  10. ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  11. ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
  12. ^ a b 6 衣浦東部都市計画事業刈谷富士松土地区画整理事業|刈谷市”. 2018年8月22日閲覧。
  13. ^ 市制施行前 刈谷市
  14. ^ 1950年(昭和25年)~1959年(昭和34年) 刈谷市
  15. ^ 1970年(昭和45年)~1979年(昭和54年) 刈谷市
  16. ^ 地下横断歩道年次計画 愛知県
  17. ^ 1980年(昭和55年)~1989年(平成元年) 刈谷市
  18. ^ 三河発祥の平うちうどん。きしめん”. 愛知県製麺組合. 2018年8月22日閲覧。
  19. ^ きしめん”. うどんミュージアム. 2018年8月22日閲覧。
  20. ^ 通学区域一覧表”. 春日井市 (2018年5月14日). 2019年6月6日閲覧。
  21. ^ 平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
  22. ^ 郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5 

外部リンク

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