富山県立富山視覚総合支援学校
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富山県立富山視覚総合支援学校 | |
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北緯36度41分39秒 東経137度16分05秒 / 北緯36.694076度 東経137.26795度座標: 北緯36度41分39秒 東経137度16分05秒 / 北緯36.694076度 東経137.26795度 | |
過去の名称 | 富山県立盲学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 富山県 |
設立年月日 | 1907年4月25日 |
共学・別学 | 男女共学 |
設置学部 | 幼稚部、小学部、中学部、高等部 |
学校コード | E116220190013 |
所在地 | 〒930-0922 |
富山県富山市大江干144番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
富山県立富山視覚総合支援学校(とやまけんりつ とやましかくそうごうしえんがっこう)は、富山県富山市にある県立の特別支援学校である[1]。 寄宿舎を有する。
沿革
[編集]個別に出典が提示されているものを除いた出典→[2]
- 1907年(明治40年)
- 1908年(明治41年)10月16日 - 県立盲啞学校設置に関する請願書を富山県知事に提出[3]。
- 1911年(明治44年)4月25日 - 富山市千石町241番地に新築された校舎へ移転。
- 1926年(大正15年)12月13日 - 県立盲啞学校設置に関する請願書を提出[3]
- 1928年(昭和3年)7月13日 - 県指定学校となる。
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年)4月1日 - 富山県に移管し、『富山県立盲唖学校』に改称される。
- 1933年(昭和8年)7月14日 - 富山県上新川郡奥田村稲荷27番地、旧樹徳学園舎に移転。
- 1939年(昭和14年)6月6日 - 富山市赤江町12番地に校舎を新築移転。
- 1945年(昭和20年)
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 義務教育制度実施に伴い、『富山県立盲学校』と改称、聾唖部と分離。
- 1949年(昭和24年)5月9日 - 富山市赤江町12番地(戦災した校舎跡地)に校舎新築。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)6月1日 - 新校舎へ移転。
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)
- 1969年(昭和44年)
- 1971年(昭和46年)2月25日 - 視知覚訓練室、コミュニケーションルーム、理科室、調理室、被服室など新築。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 幼稚部を新設。
- 1977年(昭和52年)3月31日 - 特別教室(美術室、音楽室)工事完成。
- 1982年(昭和57年)8月5日 - 地籍調査による改定に伴い、富山市大江干144番地と地番表示を変更する。
- 1986年(昭和61年)1月23日 - 校舎増改築(技術室・養護訓練室・触知覚訓練室・生活訓練室) 。
- 1990年(平成2年)3月30日 - 校舎増改築(図書室、寄宿舎事務室、舎監室等)。
- 1998年(平成10年)11月26日 - 体育館が改築される。
- 2001年(平成13年)
- 2010年(平成22年)4月1日 -『富山県立富山視覚総合支援学校』に改称する。高等部普通科で新たに病弱生徒を教育の対象とした(当時は日本で唯一であった)[5]。視覚障害教育支援センター(アイハウス)開設。
- 2016年(平成28年)2月15日 - 2013年度から進めていた校舎の耐震補強工事が完成。
設置学部
[編集]- 幼稚部
- 小学部
- 中学部
- 高等部
周辺
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 富山県立高等学校等設置条例 第2条
- ^ 1 学校概観(富山県立富山視覚総合支援学校、2022年10月17日閲覧)
- ^ a b c 『新庄北のあゆみ 輝、絆』(2018年2月28日、新庄北自治振興会発行)95頁。
- ^ 『北日本新聞』1962年10月26日付朝刊8面『昨夜、富山で盲学校本館を全焼 工作室付近から出火 寄宿の生徒は全員無事』より。
- ^ 『新庄北のあゆみ 輝、絆』(2018年2月28日、新庄北自治振興会発行)96頁。