小池知己
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | としき、ペルー[1] | |||||
カタカナ | コイケ トシキ | |||||
ラテン文字 | KOIKE Toshiki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1974年11月10日(50歳) | |||||
出身地 | 神奈川県 | |||||
身長 | 168cm[2] | |||||
体重 | 65kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF[3]、DF[4] | |||||
利き足 | 右足[3] | |||||
ユース | ||||||
1990-1992 | 七里ガ浜高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-2001 | 東京ガス/FC東京 | 96 | (3) | |||
2001 | 水戸ホーリーホック | 16 | (1) | |||
2002 | 湘南ベルマーレ | 6 | (0) | |||
2003 | 水戸ホーリーホック | 4 | (0) | |||
通算 | 122 | (4) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
小池 知己(こいけ としき、1974年11月10日 - )は神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在はFC東京の下部組織でコーチを務めている。
来歴
[編集]幼少期を父親の勤務地であった南米・ペルーで過ごした[1][5] 後、神奈川県鎌倉市で育つ。
1993年に七里ガ浜高校を卒業し、東京ガスに入社。同社サッカー部(現FC東京)に加入し、ディフェンダー(右サイドバック)を務めていたが、1996年になって新條宏喜にこのポジションを奪われたことを機に、ミッドフィールダー(ボランチ)へと転向[6]。出場機会が得られない中でも前向きに練習に取り組み[6]、J2を戦う1999年には要所で出番を与えられ、J1昇格に貢献。J1での戦いに向けて、新條を始め多くの選手が退団を余儀なくされる中でも戦力として残留した[6]。
2000年、大熊清監督はJ1ではこれまでよりも守勢を強いられるとの考えから、守備力や持久力に秀でた[1] 小池をリーグ戦開幕直前になって[1][6] ボランチの先発に抜擢。開幕戦の横浜FM戦では小池に中村俊輔を徹底マークさせ[6][7]、無失点勝利を果たした。中村は「あんな部活サッカーに負けたくなかった」[8][9] とコメント。小池はその後もエースキラーとして[7] 堅守でチームを支え、時には強烈なミドルシュートでゴールを奪う[1] など、確固たるレギュラーを掴んだ。
2001年は同ポジションの三浦文丈、下平隆宏、宮沢正史らが加入した事により出場機会が減り、シーズン途中にJ2の水戸ホーリーホックへレンタル移籍[10]。翌2002年には湘南ベルマーレへ完全移籍した[11]。2003年には再び水戸でプレーし、現役を引退[2]。
引退後は古巣のFC東京に戻り、サッカースクールで子供たちにサッカーの楽しさを伝えながら指導者の道を歩んでいる。2011年よりJFA公認A級コーチジェネラル養成講習会を受講し[12] 翌2012年に取得[13]。
所属クラブ
[編集]- 富士塚FC (鎌倉市立富士塚小学校)[7]
- 鎌倉市立深沢中学校[4]
- 神奈川県立七里ガ浜高等学校
- 1993年 - 2001年 東京ガスサッカー部 / 東京ガスフットボールクラブ / FC東京
- 2002年 湘南ベルマーレ
- 2003年 水戸ホーリーホック
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | 東京ガス | 16 | 旧JFL1部 | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||
1994 | 旧JFL | 15 | 0 | - | 0 | 0 | 15 | 0 | |||
1995 | 22 | 0 | - | 1 | 0 | 23 | 0 | ||||
1996 | 8 | 0 | - | 0 | 0 | 8 | 0 | ||||
1997 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
1998 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0 | ||||
1999 | FC東京 | J2 | 22 | 1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 28 | 1 | |
2000 | J1 | 27 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 30 | 2 | ||
2001 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||
水戸 | 26 | J2 | 16 | 1 | - | 3 | 0 | 19 | 1 | ||
2002 | 湘南 | 14 | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | ||
2003 | 水戸 | 7 | 4 | 0 | - | 0 | 0 | 4 | 0 | ||
通算 | 日本 | J1 | 27 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 30 | 0 | |
日本 | J2 | 48 | 2 | 5 | 0 | 4 | 0 | 57 | 2 | ||
日本 | 旧JFL1部 | 47 | 0 | - | 1 | 0 | 48 | 0 | |||
総通算 | 122 | 4 | 7 | 0 | 6 | 0 | 135 | 4 |
- 1993年8月25日:JFL初出場 - JFL第15節 vsフジタサッカークラブ (平塚)
- 1999年4月17日:J2初出場 - J2第6節 vs 大分トリニータ (大分市営)
- 1999年8月:J2初得点 - J2第20節 vs 大分トリニータ (大分市営) 7日
- 2000年3月11日:J1初出場 - J1 1st第1節 vs横浜F・マリノス (横浜国際)
- 2000年6月24日:J1初得点 - J1 2nd第1節 vs横浜F・マリノス (国立)
指導歴
[編集]- 2004年 - 現在 FC東京
脚注
[編集]- ^ a b c d e 後藤勝 (2005). トーキョーワッショイ!. 双葉社. p. 58-59
- ^ a b c 小池 知己 選手 現役引退 およびFC東京普及部コーチ就任決定のお知らせ[水戸] Archived 2011年7月22日, at the Wayback Machine. J's GOAL 2004.01.31
- ^ a b “Profile 小池 知己 (2002年版)”. 2003年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月6日閲覧。 湘南ベルマーレ
- ^ a b “Team Info 小池 知己 (1999年版)”. 2000年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月6日閲覧。 FC東京
- ^ 『FC東京ファンブック2000』毎日新聞社、2000年、55頁。
- ^ a b c d e 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、182-184頁。
- ^ a b c 『FC東京ファンブック2001』毎日新聞社、2001年、48-49頁。
- ^ 後藤勝『トーキョーワッショイ!』双葉社、2005年、38頁。
- ^ 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、9頁。
- ^ “小池知己選手 期限付移籍決定のお知らせ”. 2012年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月12日閲覧。 FC東京 (2001年8月29日)
- ^ “小池知己選手 移籍決定のお知らせ”. 2012年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月12日閲覧。 FC東京 (2001年12月20日)
- ^ 2011(平成23)年度 公認A級コーチジェネラル養成講習会 受講者【91名】 (PDF) 日本サッカー協会 2011.05.12
- ^ 2011(平成23)年度 公認A級コーチジェネラル養成講習会 合格者【88名】 (PDF) 日本サッカー協会 2012.04.12
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 小池知己 - WorldFootball.net
- 小池知己 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 小池知己 - J.League Data Siteによる選手データ
- JFAこころのプロジェクト 夢先生プロフィール 小池知己 (PDF) - 日本サッカー協会
- 小池知己さん (15期生、FC東京・明治大学サッカー部コーチ) インタビュー - ウェイバックマシン(2010年12月22日アーカイブ分) - 神奈川県立七里ガ浜高等学校同窓会