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小泉博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こいずみ ひろし
小泉 博
小泉 博
小泉博(1955年撮影)
本名 小泉 汪こいずみ ひろし
生年月日 (1926-08-12) 1926年8月12日
没年月日 (2015-05-31) 2015年5月31日(88歳没)
出生地 日本の旗 日本神奈川県鎌倉市
身長 173 cm
血液型 A型
職業 俳優司会者
ジャンル 映画テレビドラマなど
活動期間 1951年 - 2015年(俳優)
活動内容
  • 1948年:NHKアナウンサーとして入局
  • 1951年:NHK退局
  • 同年:芸能界に転向し、『えり子とともに』で俳優デビュー
配偶者 あり
著名な家族
主な作品
映画
バラエティー番組など
備考
NHKアナウンサー(1948年 - 1951年
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小泉 博こいずみ ひろし[出典 1]1926年[4][7]大正15年〉8月12日[出典 2] - 2015年平成27年〉5月31日[出典 3])は、日本の俳優司会者。本名は小泉 汪(読み同じ)。神奈川県[出典 4]鎌倉市[1][5]出身。身長173センチメートル、体重72キログラム血液型A型。趣味はゴルフ

ゴジラの逆襲』(1955年)

来歴

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政治家の小泉策太郎の八男として生まれる。兄に日本画家小泉淳作がいる[11]

11歳で父と死別し、慶應義塾高等学校を経て1943年慶應義塾大学経済学部に入学。昭和23年(1948年)に卒業、NHK第20期アナウンサーとして入局[1][12]。この進路選択については、「日本を農業と軽工業の国に変革させる、という当時のアメリカGHQの発表に対する不安感があった」とコメントしている[13]

NHK入局後、昭和25年(1950年)ごろに大分放送局に配属される[12][7]。同年9月、休暇で上京した際にNHK内で放送劇をやっていたこともあり、興味本位の軽い気持ちで1951年公開の藤本眞澄が代表を務める藤本プロの『えり子とともに』のフレッシュマン募集に応募し、3人の合格者の一人に選ばれる[6]。これを受けNHKを退職し、同映画に出演する[5][6]。その後、東宝に復帰した藤本から誘われて、東宝ニューフェイス第3期生に応募し、合格[出典 5]。同期には山本廉岡田茉莉子がいた。1951年6月、東宝に入社して、翌1952年1月、『青春会議』で主演スターとして売り出される[出典 6]

都会的な明るい持ち味の二枚目ぶりが人気を呼び[出典 7]、特に1956年から1960年にかけての江利チエミ主演の『サザエさん』シリーズでのマスオが当たり役となった[出典 8]

初期の東宝特撮映画では、誠実な科学者役として欠かせない存在だった[3]。しかし、小泉自身は怪獣映画を特別に意識することはなく、演技は他の作品と同じであったと述べている[5]

1961年以降は次第にテレビへと活躍の場を移し、1970年には『クイズ・グランプリ』の司会を務め、アナウンサー経験者とあって、巧みな話術を生かした名司会ぶりで人気を博す[出典 9]

レストラン「チェック」を経営し、1990年代後半からはフランキー堺の後押しなどもあって日本俳優連合での取りまとめ役に従事、『徹子の部屋』では「そっちが忙しすぎて、俳優の仕事があまりできないんですよ」とコメントしていた[出典無効]

2003年の『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』で俳優業に復帰。『モスラ』(1961年)と同じ中條役としての登場で、久々のゴジラ映画出演となった[出典 10]。同時期にも、テレビ『超星神グランセイザー』に中条という名の役で出演した。

2015年5月31日午前2時20分、間質性肺炎のため死去した[15][7]。88歳没。

人物・エピソード

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映画は戦前から好んでいたが、戦後なだれ込んできたアメリカ映画に魅せられ、学生時代は暇さえあれば映画を観ていたと述懐している[4]

小泉はマスオ役を演じたサザエさんシリーズと、生活に疲れた刑事を演じた『三十六人の乗客』を自身の代表作に挙げている[12]。逆に小泉が苦手としたのがプレイボーイの役柄で、『結婚の夜』では監督と議論を重ねて役に臨んだものの満足のいく演技が出せなかったという[12]

小泉は、印象に残っている監督として『青春会議』や『三十六人の乗客』などを監督した杉江敏男を挙げている[12]

戦時中は飛行機乗りへの憧れが強く、『ゴジラの逆襲』で飛行士役を演じた際は夢が叶った思いだったという[16]

モスラ』『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』とモスラが登場する3作品に科学者役で出演したことから、「モスラ博士」とも称される[14]

1963年に出演した『マタンゴ』はグループ芝居的な要素が盛り込まれたこともあって、小泉を含めた出演者全員が気合を入れて臨めた作品だったという[12]。また作中で役者が食べるための「しんこ菓子」製キノコを製作した風月堂に後年、小泉の姪が嫁いでいる[12]

ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』で共演した金子昇は、小泉からいるだけで場が落ち着くオーラを感じたといい、演技について難しいことは語らず「芝居は呼吸だ」と述べていたことが印象に残っていると述懐している[17]

出演

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映画

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テレビドラマ

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その他のテレビ番組

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ラジオ

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『モスラ』と同一役[20]
  2. ^ 資料によっては、中条信一と表記している[18][14]

出典

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  1. ^ a b c d e f 東宝特撮映画全史 1983, p. 529, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  2. ^ a b 決定版ゴジラ入門 1992, p. 164, 「第5章 これがゴジラ映画だ 出演した人たち」
  3. ^ a b ゴジラ大百科 1993, pp. 118–119, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  4. ^ a b c d e f FCGMMG 2003, p. 24, 「キャストインタビュー INTERVIEW 05 小泉博」
  5. ^ a b c d e f モスラ映画大全 2011, pp. 18–20, 聞き手・友井健人「インタビュー 俳優 小泉博」
  6. ^ a b c d e f g h i j k ゴジラとともに 2016, p. 19, 「小泉博」
  7. ^ a b c d e f g h 3式機龍CP 2016, p. 88, 「キャストインタビュー再録 小泉博」
  8. ^ a b c d e f g h i 野村宏平、冬門稔弐「8月12日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、225頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  9. ^ “俳優の小泉博さん死去 映画「サザエさん」でマスオ役”. Sponichi Annex. (2015年6月1日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/06/01/kiji/K20150601010461710.html 2017年10月31日閲覧。 
  10. ^ a b c d 超常識 2016, p. 119, 「Column ゴジラ映画 俳優FILE」
  11. ^ “小泉淳作氏が死去 日本画家”. 日本経済新聞. (2012年1月9日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG09010_Z00C12A1CC1000/ 2017年12月10日閲覧. "弟は俳優の小泉博氏。" 
  12. ^ a b c d e f g h ゴジラとともに 2016, pp. 20–27, 構成・文 浦山珠夫「小泉博」(『映画秘宝』2010年4月号掲載)
  13. ^ 愛の戦士レインボーマン』DVDでのコメンタリより。
  14. ^ a b c ゴジラ大百科 1992, p. 128, 構成 早川優「ゴジラ映画を100倍楽しむ100のカタログ 24 モスラ博士?小泉博」
  15. ^ 俳優の小泉博さんが死去 『クイズ・グランプリ』などで司会”. ORICON NEWS (2015年6月2日). 2020年8月17日閲覧。
  16. ^ DVD『モスラ』のオーディオコメンタリーより。
  17. ^ FCGMMG 2003, p. 20, 「キャストインタビュー INTERVIEW 01 金子昇」
  18. ^ a b c d e f g h i j k 東宝特撮映画全史 1983, pp. 535–537, 「主要特撮作品配役リスト」
  19. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 209, 「『ゴジラ』作品解説/俳優名鑑」
  20. ^ a b 東宝特撮映画大全集 2012, p. 281, 「『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』作品解説/俳優名鑑」
  21. ^ a b c d ゴジラとともに 2016, pp. 28–32, 「小泉博ギャラリー」
  22. ^ モスラ映画大全 2011, p. 14, 「登場人物紹介」
  23. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 55, 「『モスラ』作品解説/俳優名鑑」
  24. ^ 放送ライブラリー 番組ID:R00516

出典(リンク)

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参考文献

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外部リンク

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