尚裕
尚裕 | |
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第二尚氏 | |
尚裕(1956年) | |
出生 |
1918年9月18日 大日本帝国、東京府 |
死去 |
1997年8月30日(78歳没) 日本、沖縄県那覇市 |
埋葬 |
2005年10月17日 日本、沖縄県島尻郡伊是名村、伊是名玉陵 |
配偶者 | 尚瑛子 |
尚啓子 | |
子女 |
圭子 衞 |
父親 | 尚昌 |
母親 | 尚百子 |
尚 裕(しょう ひろし、1918年(大正7年)9月18日 - 1997年(平成9年)8月30日[1])は、日本の侯爵。第二尚氏の第22代当主[2]。ショウエンタープライズ代表取締役[3]。
生涯
[編集]東京都出身[4]。1918年、尚昌の長男として生まれる[5]。母は小笠原忠忱の次女・百子。父が1923年に死去したため侯爵位を襲爵した[6]。東京帝国大学文学部を卒業[7]、海軍大尉となり、終戦を迎えた[4]。
戦後は、大戦での被害を免れた伝承文化財の保存に努めた。1975年より私財を投じて識名園の復元に当たる。翌年には国の名勝に再指定され、国・沖縄県・那覇市からも補助を受けて復元を進めた[8]。
そのほか、玉陵や崇元寺第一門・石牆の復元にも当たった[8]。しかし、沖縄県当局側では永続的に保管維持するための設備が整えられず、やむなく1988年、当時居住していた東京都台東区への寄贈を一旦は決めた[9]。しかし、これが沖縄県民の反発を買い、更に同県の文化財行政のあり方に影響を与え、翌1989年に琉球王国文化遺産の県外流出を防止する意見書が那覇市議会において全会一致で採択されるなどした[10][11]。
1992年、玉陵、識名園、崇元寺第一門・石牆を那覇市に寄贈した[12]。さらに1995年には琉球王国の陵墓浦添ようどれの土地を浦添市に寄贈した[1]。また、同年9月には尚家伝来の古文書1341件を寄贈、1996年には美術工芸品85件を寄贈している[13]。これらは、2006年に「琉球国王尚家関係資料」として国宝に指定された[14]。文化財保護法に基づく国宝としては沖縄県で戦後初の指定である[14]。
1996年、那覇市より名誉市民の称号を授与される[15]。死去するまでの数年間は東京と沖縄を往復し[4]、晩年の多くは沖縄で暮らしていたが、尚家一族との交流はほとんど無かったという[16]。1997年8月30日、沖縄県那覇市の沖縄赤十字病院にて死去[2]、翌月の9月3日に東京都台東区の寺院で告別式が行われ、長男の尚衞が喪主を務めた[17]。2005年に沖縄に送られ伊是名玉陵に葬られた[18]。2010年には浦添市より名誉市民の称号を授与された[1]。
人物
[編集]家族
[編集]- 父:尚昌(侯爵)[19]
- 母:百子(伯爵小笠原忠春の叔母[5]、小笠原忠忱の次女)
- 前妻:瑛子(1919年(大正8年)12月25日 - 1945年(昭和20年)6月10日、戸澤正己(戸沢氏第33代当主)の四女)
- 後妻:啓子(1920年(大正9年)7月12日生。村瀬鐸三郎の三女)
- 子女
系譜
[編集]第二尚氏の人物として初めて複数の著名な戦国武将の血を引く。
母の百子の血統上の主な先祖に徳川家康、織田信長、前田利家、浅井長政、浅野長政がいる。
信長の長女徳姫が家康の長男岡崎信康へ嫁ぎ後の小笠原宗家初代小笠原秀政の正室となる登久姫を産み小笠原家へ続く。
3代小笠原忠雄に嫁いだ長寿院は浅野光晟と前田利常(前田利家の庶子(四男))の三女自昌院との娘であり、自昌院は徳川家光の養女として浅野光晟に嫁ぎ、三男三女を儲けた。
さらに自昌院の母親は徳川秀忠と浅井長政の三女崇源院の次女・珠姫となる。
以上の婚姻関係により女系でありながら多くの戦国武将の血を引く当主となった。
脚注
[編集]- ^ a b c 浦添市名誉市民 - 浦添市
- ^ a b “尚裕氏が死去”. 琉球新報: p. 1. (1997年9月1日)、(『1997年9月号 琉球新報縮刷版』、p.1)
- ^ “「尚裕(しょう・ひろし)」、最新版 沖縄コンパクト事典”. 琉球新報 (2003年3月1日). 2018年7月31日閲覧。
- ^ a b c “尚裕氏が死去”. 沖縄タイムス: p. 1. (1997年9月1日)、(『沖縄タイムス縮刷版 平成9年9月号』、p.1)
- ^ a b c 『人事興信録 第12版 上』シ107頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月11日閲覧。
- ^ 『現代華族譜要』(1929年)、337-338頁
- ^ 『人事興信録 第14版 上』(1943年)、シ98頁
- ^ a b 古塚達朗『名勝「識名園」の創設(上巻)-琉球庭園の歴史-』(おきなわ文庫、2014年)「はじめに」
- ^ 琉球王朝尚家の遺品、台東区へ寄贈 - 美術界年史(彙報)、東京文化財研究所
- ^ 那覇市市議会会議録 平成17年(2005年)9月定例会-09月15日-05号
- ^ 那覇市市議会会議録 平成25年(2013年)2月定例会-02月28日-05号
- ^ 文化財課要覧(平成28年度版) - 沖縄県教育委員会
- ^ 沿革 - 那覇市歴史博物館
- ^ a b “尚家文書及び伊江家資料の国の文化財指定について”. 定例記者会見配布資料(那覇市文化財課). 那覇市. 2022年7月30日閲覧。
- ^ 那覇市のあゆみ 1921年(大正10年) - 2005年(平成17年) - 那覇市
- ^ “王朝遺産 県民に残し 尚裕さん急逝”. 沖縄タイムス: p. 21. (1997年9月1日)、(『沖縄タイムス縮刷版 平成9年9月号』、p.21)
- ^ “尚裕さんの功績しのぶ 告別式に約800人参列”. 琉球新報: p. 25. (1997年9月4日)、(『1997年9月号 琉球新報縮刷版』、p.119)
- ^ “村の資料【戦後のあゆみ】”. 伊是名村役場. 2018年5月3日閲覧。
- ^ 『議会制度七十年史 第1』侯爵議員17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月11日閲覧。
- ^ 「訃報 野津圭子さん 72歳 = 井上信治衆院議員の義母、最後の琉球国王・尚泰王の玄孫」毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20190919/ddm/041/060/097000c
参考文献
[編集]- 維新史料編纂会 編 『現代華族譜要』 日本史籍協会、1929年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1939年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1969年。
- 沖縄タイムス社 編 『沖縄タイムス縮刷版 平成9年9月号』 でいご印刷、1997年10月20日。
- 人事興信所 編 『人事興信録 第14版 上』 人事興信所、1943年。
- 琉球新報社 編 『1997年9月号 琉球新報縮刷版』 琉球新報社、1997年10月31日。
日本の爵位 | ||
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先代 尚昌 |
侯爵 尚家第4代 1923年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |
その他の役職 | ||
先代 尚昌 |
第二尚氏当主 第22代:1923年 - 1997年 |
次代 尚衞 |