尾山三郎
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尾山三郎 おやま さぶろう | |
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生年月日 | 1888年12月25日 |
出生地 | 日本 富山県婦負郡富山手伝町(現富山県富山市) |
没年月日 | 1951年10月3日(62歳没) |
死没地 | 日本 富山県富山市 |
出身校 | 富山市立富山商業学校(現富山県立富山商業高等学校)卒業 |
所属政党 | 自由党 |
称号 | 正六位 |
選挙区 | 富山県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1950年6月5日 - 1951年10月3日 |
富山市長 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1947年4月10日 - 1950年5月9日 |
当選回数 | 4回 |
当選回数 | 6回 |
尾山 三郎(おやま さぶろう、1888年(明治21年)12月25日[1] - 1951年(昭和26年)10月3日[2])は、日本の実業家、政治家。参議院議員(1期)、富山市長。旧姓は大野。
経歴
[編集]富山県婦負郡富山手伝町(現富山市)で大野清兵衛の三男として生まれ、1899年、富山市千石町の尾山定次郎の養子となる[1][3]。1905年3月、富山市立富山商業学校(現富山県立富山商業高等学校)を卒業した[1][2]。
富山市蛯町の (株) 青物市場に入社。同支配人、同社長、帝国館社長、富山鉄道監査役、富山県食糧営団理事、富山県水産業会副会長、富山消防組組頭、富山警防団長、大日本警防協会理事などを務めた[1][2]。
政界では、富山市会議員(6期)、富山県会議員(4期)に選出され、市会副議長、同議長も務めた[1][2]。
戦後、公選初の富山市長に選出され、1947年4月10日に就任し、戦災の復興に尽力[1][2]。1948年1月、富山県消防協会の設立に伴い同会長に就任し、富山市消防団長兼富山市消防長、日本消防協会理事も務めた[1][2]。
市長の任期途中、1950年5月9日に辞職し、同年6月の第2回参議院議員通常選挙に富山県地方区から出馬して当選し、その後、自由党に所属して活動したが、在任中に富山市の自宅で病気のため死去した[1][2][4]。死没日をもって正六位に叙され[5]、木杯一組を賜った[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
公職 | ||
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先代 石坂豊一 |
富山県(旧)富山市長 1947年 - 1950年 |
次代 富川保太郎 |