鹿熊安正
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鹿熊 安正(かくま やすまさ、1927年(昭和2年)1月9日 - 2019年(令和元年)6月2日)は、日本の政治家。元・富山県議会議員、同議長[1]。元・自由民主党・参議院議員(2期)。安倍派[1]。元・県スキー連盟会長[1]。元・小川温泉社長[1]。
来歴
[編集]富山県下新川郡山崎村(現・朝日町)出身[2]。鹿熊久安の息子[2]。東京農業大学卒業[1]。
1959年(昭和34年)、県庁職員を経て富山県議会議員当選。以後8期務める(下新川郡選挙区)。自民党県連幹事長、県議会議長を歴任。
1989年(平成元年)、第15回参議院議員通常選挙富山県選挙区初当選。
1992年(平成4年)、宮澤改造内閣で通商産業政務次官に就任。
1995年(平成7年)、第17回参議院議員通常選挙で富山県選挙区再選。
1997年(平成9年)、参議院科学技術特別委員会委員、1998年(平成10年)、参議院労働・社会政策委員会委員長。2001年(平成13年)、参議院内閣委員会委員をそれぞれ務める。
同年の第19回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界から引退。
2019年(令和元年)5月17日に自宅で転倒し、内臓破裂で入院していたが、同年6月2日11時53分、出血性ショック・多臓器不全のため、朝日町のあさひ総合病院で死去[4][5]。92歳没。叙従四位[6]。
人物
[編集]- 1987年、当時の県議会で最多の連続8期当選を果たす。自民党県連幹事長を10年連続で務め、県連や県政界をリードしてきた[7]。
- 10年にわたる自民党県連幹事長時代は、在任中に死去した中田幸吉知事の後任を巡る一本化調整をはじめ、党務を取り仕切った[8]。
- 2001年までの在任中に、通産、郵政の両政務次官や参院労働・社会政策委員長、自民党総務、党副幹事長などを歴任した[7]。
- 綿貫民輔元衆議院議長や中沖豊富山県知事とは同じ1927年生まれ。「ラビット会」を結成し、三頭政治を行った[8]。
- 富山県消防協会長や日本ビーチボール協会長として尽力[8]。
家族・親族
[編集]富山県議会議員の鹿熊正一や、小川温泉社長の鹿熊裕二は息子。魚津市議会議員を務めた長勢甚正は姉の夫[2]。衆議院議員で元法務大臣の長勢甚遠は甥。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『政治家人名事典』130頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』カ42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年2月5日閲覧。
- ^ 「2001年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2001年11月3日朝刊
- ^ 鹿熊安正氏が死去 元参院議員・元県議会議長 - 北日本新聞ウェブ 2019年6月2日
- ^ 鹿熊安正元参議院議員が死去 - 富山テレビ 2019年6月2日
- ^ 『官報』41号、2019年7月2日
- ^ a b 「鹿熊安正氏が死去 元参院議員・元県議会議長」北日本新聞、2019年6月3日。
- ^ a b c 「人情味あふれる実力者」北日本新聞、2019年7月23日。
- ^ 鹿熊 久安とはコトバンク。2017年2月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版上』人事興信所、1943年。
- 『政治家人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
議会 | ||
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先代 新設 |
参議院労働・社会政策委員長 1998年 |
次代 吉岡吉典 |