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山下徳人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山下 徳人
栃木ゴールデンブレーブス 監督 #71
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県海草郡下津町(現:海南市
生年月日 (1965-10-11) 1965年10月11日(59歳)
身長
体重
191 cm
98 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1987年 ドラフト4位
初出場 1988年8月30日
最終出場 1998年8月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

山下 徳人(やました のりひと、1965年10月11日 - )は、和歌山県海草郡下津町(現:海南市)出身の元プロ野球選手外野手)。山下慶徳叔父(父の弟)。

経歴

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箕島高校では同期のエース吉井理人を擁し、1983年夏の甲子園右翼手として出場。1回戦で吉田高に延長13回逆転サヨナラ勝ち、2回戦も駒大岩見沢高を降す。しかし3回戦で高知商津野浩に抑えられ敗退[1]

高校卒業後に東洋大学へ進むと、主に内野手として起用される。東都大学野球リーグで3度の優勝を経験したほか、1986年全日本大学野球選手権大会でも、決勝で流通経済大を降し優勝した。リーグ戦には通算で70試合に出場。打率.275(200打数55安打)、5本塁打、29打点を記録したほか。一塁手三塁手としてベストナインに1回ずつ選ばれた。1学年先輩に森浩之、同期に小美濃武芳がいる。

1987年のNPBドラフト会議で、ロッテオリオンズからの4位指名を受けて入団。

二軍暮らしが長かったが、1990年には5月から一塁手として起用される。シーズン後半には外野手も兼ね、主に5番打者として78試合に先発出場。翌1991年愛甲猛が一塁手に回ったこともあり、出番が減る。その後も準レギュラーとして活躍を続け、1994年には49試合に先発、打率.283の好成績を記録する。しかし翌1995年にはフリオ・フランコピート・インカビリアが入団し出場機会が減少。結局はパシフィック・リーグの最終規定打席へ一度も到達しないまま、1998年限りで現役を引退した。

現役引退後もロッテに在籍。1999年には一軍打撃コーチ補佐、2000年2002年には二軍打撃コーチ、2001年2003年には一軍打撃コーチを務めた。2004年からは、北信越・東海・関東地区担当のスカウトとして、西野勇士[2]などの入団に尽力。2014年より二軍打撃コーチとして現場に復帰する[3]と、2016年に二軍監督[4]2017年に一軍野手総合兼打撃コーチを務めたが[5]、チーム打率、得点、安打、得点全てリーグ最下位に低迷し、チームも6年ぶりの最下位に終わった[6]2018年からは、編成部の調査担当に異動[7]2020年限りで退団[8]

2021年3月より、栃木ゴールデンブレーブスベースボール・チャレンジ・リーグ)、エイジェック硬式野球部エイジェック女子硬式野球部を運営する、株式会社エイジェックスポーツマネジメントのチームアドバイザーに就任した[8][9][10]

2024年10月23日、2021年よりチームアドバイザーを務めていた栃木ゴールデンブレーブスの監督に就任することが発表された[11]

人物

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ロッテでの現役時代には背番号24、2014 - 2017年以降のコーチ・二軍監督時代には71を付けていた。奇しくも、箕島高校卒業後の1984年近鉄バファローズでプロ野球生活を始めていた吉井は、2007年のシーズン途中にオリックス・バファローズからロッテへ移籍したことを機に背番号24を着用。同年限りで現役を引退したが、2019年に一軍投手コーチとしてロッテへ復帰したことを機に71を付けている[7]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1988 ロッテ 7 6 6 0 1 1 0 0 2 2 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .167 .167 .333 .500
1989 24 22 21 1 6 1 0 1 10 3 0 0 0 0 1 0 0 7 0 .286 .318 .476 .794
1990 100 337 300 35 75 15 6 3 111 32 6 6 7 1 28 3 1 71 4 .250 .315 .370 .685
1991 94 210 185 26 48 12 1 4 74 25 2 0 4 0 21 0 0 48 4 .259 .335 .400 .735
1992 11 21 18 2 2 0 1 0 4 2 0 0 0 0 1 0 2 7 1 .111 .238 .222 .460
1993 53 124 115 13 31 4 2 4 51 19 1 1 2 2 4 0 1 21 1 .270 .295 .443 .739
1994 68 202 184 25 52 12 3 3 79 17 0 0 0 2 14 1 2 18 3 .283 .337 .429 .766
1995 21 56 51 8 13 2 0 4 27 5 0 0 0 0 5 0 0 17 2 .255 .321 .529 .851
1996 13 26 22 1 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 4 0 0 6 2 .091 .231 .136 .367
1997 41 100 82 8 22 1 0 0 23 4 1 0 0 0 18 2 0 23 0 .268 .400 .280 .680
1998 10 10 10 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .100 .100 .100 .200
通算:11年 442 1114 994 119 253 49 13 19 385 109 10 7 13 5 96 6 6 228 17 .255 .322 .387 .710

記録

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背番号

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  • 24 (1988年 - 1998年)
  • 74 (1999年 - 2003年)
  • 71 (2014年 - 2017年、2025年 -)

脚注

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  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ ザ・スカウト——プロ野球伸びる選手伸びない選手「ここが違います」週刊現代
  3. ^ 山下徳人氏 2軍打撃コーチ就任のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト 2013年10月28日
  4. ^ 山下徳人二軍監督就任のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト 2015年10月27日
  5. ^ コーチ契約について - 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト 2017年10月11日
  6. ^ 2017年度 パシフィック・リーグ パシフィック・リーグ チーム打撃成績NPB
  7. ^ a b 箕島同級生 運命感じるロッテ・吉井コーチと山下徳人氏の“もう一つの縁” - スポーツニッポン 2020年2月10日
  8. ^ a b 山下徳人氏チームアドバイザー就任のお知らせ”. 栃木ゴールデンブレーブス (2021年3月5日). 2021年3月6日閲覧。
  9. ^ 山下徳人氏チームアドバイザー就任のお知らせ”. エイジェック硬式野球部 (2021年3月5日). 2021年3月6日閲覧。
  10. ^ 山下徳人氏チームアドバイザー就任のお知らせ”. エイジェック女子硬式野球部 (2021年3月5日). 2021年3月6日閲覧。
  11. ^ 山下徳人新監督 就任のお知らせ”. 栃木ゴールデンブレーブス (2024年10月23日). 2024年10月24日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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