山中吾郎
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山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月23日[1][2] - 1983年(昭和58年)6月2日[1][2][3])は、昭和期の教育者、地方公務員、政治家。衆議院議員。
来歴
[編集]和歌山県[2]伊都郡名倉村(高野口町[1]を経て現橋本市高野口町)出身。1933年(昭和8年)東京高等師範学校文科を卒業した[1][2][3]。
山形県立山形中学校(現山形県立山形東高等学校)教諭、三重県師範学校教諭、京都府師範学校教諭などを歴任[3]。1943年(昭和18年)7月[4]、高等試験行政科試験に合格[1]。1945年(昭和20年)岩手県庁に入庁[1]。学務課長兼厚生課長、労働部長、教育部長を歴任し[3]、1948年(昭和23年)岩手県教育委員会教育長に就任[1][3]。その後、公共企業体等労働委員会地方調停委員、岩手大学講師、私立修紅短期大学助教授などを務めた[3]。
1958年(昭和33年)5月、第28回衆議院議員総選挙で旧岩手1区から日本社会党公認で出馬して当選[1][2][3][5]。その後、1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続6期在任した[2][3][6]。この間、国土開発幹線自動車道建設審議会委員、衆議院物価問題等に関する特別委員長[2]、日本社会党私学振興対策特別委員会事務局長、同教育政策委員長、同院内役員、同寒冷地対策特別副委員長、党岩手県連顧問などを務めた[3]。1976年(昭和51年)2月の第34回総選挙には出馬せず引退した[7]。
その他、財団法人日本武道館常任理事、国際武道大学専務理事などを務めた[3]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
- 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。