山手治之
人物情報 | |
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生誕 |
1928年4月15日(96歳) 日本広島県安佐郡深川村(現・広島市安佐北区) |
国籍 | 日本 |
出身校 |
京都帝国大学 同大学院法学研究科 |
学問 | |
研究分野 |
国際法学 国際経済法学 EU |
研究機関 |
立命館大学 京都学園大学 イギリスロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ |
学位 | 法学士 |
称号 | 立命館大学名誉教授 |
主要な作品 | 『国際法論序説』(法律文化社、1962年) |
学会 |
国際法学会 日本国際経済法学会 日本EU学会 世界法学会 |
脚注 |
山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、日本の国際法学者。立命館大学名誉教授。専門分野は、国際法・国際経済法・EU法(EC法)[1]。広島県広島市出身。
経歴
[編集]昭和3年(1928年)4月15日、広島県安佐郡深川村(現広島市安佐北区)で生まれる。昭和17年(1942年)4月に旧制崇徳中学校へ入学。途中、海軍兵学校へ入学するが(1945年4月-8月、海軍兵学校第78期)、終戦後復帰し、昭和21年(1946年)3月に卒業する。昭和21年(1946年)9月に旧制山口高等学校理科甲類に進学し、昭和24年(1949年)卒業する。昭和24年(1949年)4月に旧制京都大学法学部に進学、昭和27年(1952年)には旧制京都大学大学院法学研究科に進学し、昭和29年(1954年)修了。1952年から立命館大学法学部助手、以後専任講師、助教授を経て、昭和41年(1966年)4月に立命館大学法学部教授に就任。大学では国際法を担当する。
昭和44年(1969年)4月から昭和45年(1970年)の期間に立命館大学教学部長を務め、当時の大学紛争の解決に当たる。昭和45年(1970年)9月から昭和47年(1972年)8月にかけて、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジに留学する。
昭和53年(1978年)4月から昭和55年(1980年)3月には、立命館大学法学部長・大学院法学研究科長を務め、昭和63年(1988年)4月に立命館大学国際関係学部に異動する。平成4年(1992年)4月から平成6年(1994年)3月まで立命館大学大学院国際関係研究科長を務め、同年に定年退職。立命館大学より名誉教授の称号を受ける。
平成6年(1994年)4月より京都学園大学法学部教授に就任。大学での担当は国際経済法である。平成7年(1995年)4月より平成9年(1997年)3月にかけて京都学園大学法学部長・大学院法学研究科長を務める。同年4月より京都学園大学法学部特任教授となり、平成14年(2002年)3月に退任した。
主な職歴
[編集]大学関係
[編集]- 立命館大学法学部教授(1966年4月-1988年3月)
- 立命館大学教学部長(1969年4月-1970年3月)
- 立命館大学法学部長・同大学院法学研究科長(1978年4月-1980年3月)
- 立命館大学国際関係学部教授(1988年4月-1994年3月)
- 立命館大学大学院国際関係研究科長(1992年4月-1994年3月)
- 京都学園大学法学部教授(1994年4月-1997年3月)
- 京都学園大学法学部長・法学研究科長(1995年4月-1997年3月)
- 京都学園大学法学部特任教授(1997年4月-2002年3月)
学会役職
[編集]- 国際法学会理事(1976年-1996年)
- 日本国際経済法学会理事(1991年-現在)
- 日本国際経済法学会理事長(1994年-1997年)
- 日本EU学会(旧EC学会)理事(1980年-1998年)
- 日本EU学会(旧EC学会)理事長(1988年-1990年)
所属学会
[編集]- 国際法学会
- 日本国際経済法学会
- 日本EU学会(旧EC学会)
- 世界法学会
著作
[編集]著書
[編集]- 『国際法論序説』(法律文化社、1962年)
共編著
[編集]- 『あたらしい法学』(天野和夫・乾昭三等編有信堂、1964年)
- 『国際法概説』(香西茂他著、有斐閣、1967年)
- 『法学入門』(中川淳等編、東信堂、1969年)
- 『海洋法の新秩序』(林久茂・香西茂等編、東信堂、1993年)
- 『国際経済法』(丹宗暁信・小原喜雄等編、青林書院、1993年)
- 『国際経済条約・法令集』(小原喜雄・小室程夫等編、東信堂、1997年)
- 『ベーシック条約集』(香西茂・松井芳郎等編、東信堂、2003年)
訳書
[編集]- 『軍備競争』(ノエル=ベーカー著・前芝確三等訳、岩波書店、1963年)
- 『EC法入門』(P.S.R.F.マテイセン著、有斐閣、1982年)
典拠
[編集]- ^ 山手教授のホームページ(http://page.freett.com/haruyamate/)