山辺知春
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山辺 知春(やまべ ともはる、1873年(明治6年)12月6日[1] - 1936年(昭和11年)11月21日[2])は、日本の宮内官僚。教育者。
経歴
[編集]福島県人の山辺知一の子。1898年(明治31年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業[3]。一年志願兵として陸軍歩兵少尉となり、その後中等教育に従事した[1]。1903年(明治36年)、北白川宮成久王の教育掛となり、1910年(明治43年)より北白川宮家家令を務めた[1]。その後宮内事務官・式部官を務めた[1]。1922年(大正11年)、秩父宮別当に就任し、1926年(大正15年)からは北白川宮永久王・美年子女王・佐和子女王・多恵子女王の保育係を務めた[3]。1930年(昭和5年)、宮中顧問官に就任し、北白川宮家別当となった[3]。昭和11年11月21日卒去。墓所は青山霊園立山墓地。
著書
[編集]- 『中学修身教授提要』(大日本図書、1902年)
脚注
[編集]- ^ a b c d 人事興信録 第5版 1918.
- ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
- ^ a b c 大衆人事録 1930.
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。